やしお

ふつうの会社員の日記です。

映画『家族を想うとき』が冷静に見られなかった

 ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』(Sorry We Missed You)は、どうしようもなく個人的な記憶が喚起されて冷静に見ることが難しい映画だった。忘れていた、完全に忘れていたわけではないけれど、日常的に意識したり思い出すことの少なくなっていた「お金がないと余裕がなくなって日常がキリキリと苦しくなっていくあの感覚」がよみがえって、12年前の両親との暮らしの記憶が一気に立ち現れて冷静でいられなくなるのだった。
(この映画は「ネタバレ」とは無縁のお話だとは思うけれど、内容について以下で触れているので一応ここで断っておく。)


 イギリスで暮らす一家の日常が描かれる。ホームレスにはならない程度の貧困にあえいでいる。父親は配送ドライバー、母親は訪問介護の職業に就いている。職にあぶれている訳ではなく、二人とも真面目に働いているし職業意識も高い。15歳くらいの長男は友人グループとのグラフィティにハマっていて学校をややサボり気味で、思春期のやや不安定な年頃。10歳くらいの長女は素直で聡明だ。
 家族全員が、知的水準は低くないし根本的に誠実な人達だ。それなのに、生活があまりに苦しい。


 配送ドライバーの仕事は「フランチャイズだ」と言われて、トラックは自前で用意しなければならないし労災もない。しかしノルマは厳しく時間が奪われる。映画の冒頭で父親がドライバーの職業を始めるが、トラックの頭金のために自家用車を売却する。母親は「訪問介護で必要だ、ないとバスで回らなくちゃいけなくて時間が足りない」と食い下がるが、次のシーンで父親はドライバーの仕事を始めている。観客の私たちは(ああ、車を売っちゃったんだ……)と理解する。
 息子が万引きで捕まってしまい、両親のどちらかが警察署に出向かなければ犯罪歴がついてしまうという。父親は母親に行ってもらおうと電話をかけるが繋がらない。配送会社の管理者に理由を伝えて仕事を抜けようとするが「家族のトラブルを抱えているのはお前だけじゃない」と罵倒され罰金を払わせられる。
 父親は労働中にトラブルに巻き込まれてひどい怪我をしてしまう。しかし会社は休業中の補償どころか、ノルマ未達の罰金と壊れた端末代を請求する。


 この、お金がないと余裕がない、選択肢がない、少しずつじわじわ追い詰められていく感覚は、イギリスでも日本でもまるで変わりがない。例えば50万円でも貯金があれば、何かトラブルがあっても何とかなったりする。でも、それが出せないから不利だと分かっている選択肢を取らざるを得なくなる。取り得る中で最善の手を選んでいるつもりなのに、「取り得る選択肢」自体がお金のなさですごく制約されているから、悪手を選ばざるを得なくなって苦しくなっていく。
 お金があれば時間を買うことができる。(車や食洗機を買う、高速バスではなく新幹線に乗る、お手伝いさんを雇うなど。)これは逆に言えば、お金がないと自分の時間を切り売りせざるを得なくなるということだ。人間らしく生活するには自由な時間がどうしても必要になる。家族と過ごす時間も奪われるし、より良い生活や職業のために準備する時間もなくなっていく。


 映画の中の父親を見ながら、自分の父親もほんの一時期タクシーの運転手をやっていたことを思い出した。16歳の時に、同じ職場で勤めていた両親が同時に解雇された。それまで経済的に余裕があったのに一気に苦しくなった。(貯金をするなり有事の準備をしていなかった親も悪いけれど……。)
 父親は二種免許を苦労して取得した。免許の取得費用はタクシー会社が持ってくれたんだと記憶している。ただ拘束時間がとても長い割に実入りが思ったよりも少なくて、1年ほどで辞めてしまった。ノルマがあったり、最低給与の設定はあった気がするけど、その頃の仕事のことはちゃんと聞いていなかったから正確にはよく分からない。まだ「親が仕事をして子供を育てるのが当たり前」と思い込んでいた頃だったから、積極的に知ろうとしなかったのかもしれない。自分もバイトはしていたけれど、この頃はまだ家に入れたりはしていなかった。
 『家族を想うとき』の中で、壊れた端末代を会社から請求され、その理不尽な状況に母親が怒って会社に電話を入れるシーンがある。自分の父がタクシー運転手を辞めた時に会社から制服代を請求された。母親がそれに抗議の電話をタクシー会社に入れていた記憶が、そのシーンを見て突然よみがえってきた。ずっと忘れていた記憶だった。
 この頃母親は回転寿司屋のパートで働いていた。とても忙しくきつい仕事だったと聞いた。切り場を担当していて、ある日包丁で手を切る怪我をしたのだけれど、労災だとかそうしたものは無かったんじゃないかと思う。給料が少ない方がそうしたトラブルへの耐性が少ないのに、給料のいい会社の方が色々な補償や手当が充実していたりして、ある種の逆進性がある。あるいは給料がいい会社の方が同僚や上司に理解があるとか、ひどい扱いや軽んじられたりせず人として大切に扱ってもらえるといった周囲の人間(同僚)という面での「逆進性」もあったりする。


 じゃあこの映画が陰鬱な映画か? ひたすら辛いだけの映画か? と言われれば全く違う。家族で楽しい時間を過ごすこともあれば、コミカルな場面も多く含まれている。それでスクリーンを見つめながら、リアルだと、そこに彼らが現に生活していると感じる。家族のメンバーは前向きであろうと努めるし、生活をより良くしたいと願っている。「貧しいから毎日辛そうに暮らしている」というのは現実にはあり得ない。テレビやネットを見て笑ったり、日常の出来事を話して笑ったりするのは当たり前のことだ。
 ただ、お金がないために必要のない諍いが日常的に起きてしまうのも事実だった。お金がないと時間がなくなると書いたが(「貧乏暇なし」という言葉の通りだ)、時間がなくなると色々な予定の調整が効かなくなる。『家族を想うとき』の中でも、子供の用事でどうしても親が出ないといけない予定の調整がつかずに諍いが起こる。もともとお金の工面ができずに諍いが起こるが、時間によっても引き起こされる。お金と時間があれば発生しなかったはずの諍いが日常の中で増加してしまう。人間の感情はその場限りで割りきれるものではないから、引きずってしまう。生活の全域に緊張感や不快感が張り出して、安心して暮らすことが難しくなっていく。
 楽しい時間もある、だけど苛々した時間が増えて暮らしを支配していくのが、お金がないというリアルな状態だった。だから「お金が無いけど楽しく明るく暮らしてますよ」でも、「お金が無いからずっと暗い雰囲気で暮らしてますよ」でも、どちらか一辺倒のお話には「そうじゃない」という気持ちになる。この映画はそうした単純化から免れている。


 こうした「生きる苦しさがある」しかし「ずっと陰鬱な訳じゃない、楽しい瞬間はいくつもある」ような一家の現実が描かれる映画という意味では、是枝裕和監督の『万引き家族』に似ている面がある。また子供を極めて自然に撮り得るという面でもこの日英二人の監督の作品は似ている。子供を自然に撮るというのは、大人が考える子供らしさを描くという意味ではなく、子供が大人らしさを見せるような瞬間を逃さずに画面に定着させるという意味だ。
 是枝監督は先日NHKケン・ローチ監督と対談していた。
  NHKドキュメンタリー - BS1スペシャル「是枝裕和×ケン・ローチ 映画と社会を語る」


 息子は学校をサボりがちで、両親と口論になる。父親は「勉強してほしい、負け犬になってほしくない」という。息子は「負け犬って父さんみたいな?」と口走ってしまう。そう言った本人の方がむしろ顔を歪め、ひどく傷ついてしまう。このシーンを見ると、きっと彼は何年経ってもそんな言葉を父親に投げかけてしまったこの日を忘れられないだろうなと想像して辛くなる。
 自分自身の場合は両親が離婚した後、しばらくは母親と二人暮らしをした後、父親と二人暮らしをして、それから学校を卒業して首都圏で就職したため地元を離れた。父親と二人暮らしをしていた頃、父が家計管理が不得手だったため私が管理していた。その頃は自分のバイト代も少しは家計に入れていた。その頃の父は、ガソリンスタンドと新聞配達のバイトを掛け持ちしていた。睡眠時間もかなり減っていた。肉体面でもきつかったと思う。お金が無い中で家計を管理していると、食費などの面で切り詰めようとしてしまう。父と暮らした最後の年の冬に、「みかんは1日1個まで」というルールを設定していた。しかし父が複数個食べてしまって、そのことで自分は怒ってしまったことがあった。ここだけ切り出せば下らない話かもしれないけれど、そんなことできつく当たったことを後悔している。今の自分の経済力だったらそんなこと何も気にしないのにとか、そもそも50代後半になってバイトを掛け持ちしてそれで学校に通わせてもらっておきながらどの口でそんなことを言うんだろうかとか、色々と罪悪感が残っている。
 経済的な苦しさが精神的な余裕を奪ってしまう面もあるし、あるいは管理側に回ると何か偉そうになってしまう機序もあってのことだった。「総務課」でも「スポーツの管理団体」でも、本来は社員や選手を雑務から解放して本業に専念できるようにする組織が、管理権限を得たことでまるで何かを与えているかのような、偉くなったかのような振る舞いを始めることがよくある。それと同じようなことが自分にも起きていて、自分では効率的にやってあげてるんだ、と思っていてもそれはすごく狭い視野で見ていた中での話でしかなかった。愚かだった。


 『家族を想うとき』で描かれるイギリス人家族と自分のケースとを比較すると、親が各種制度(セーフティネット社会保障)の利用をためらわないかどうかと、子供が学校を素直に卒業するか(上手く就職できるか)という2点は大きく状況が異なると感じた。
 この映画の冒頭で、父親が配送会社の面接で「生活保護は受けたことが無いし受けるつもりはない」と問わず語りに語っている。一方で私の母は「受けられるものは何でも受けよう、利用できる制度は全部受けよう」という考えだった。(父はそのあたりは特に何も考えていないようだった。)実際、自分は高専(本科5年と専攻科2年)に通っていたけれどずっと授業料の全額免除を受けていた。かなり助かった。事態を緩和したり好転させたりするにはどこかに余裕がないといけないし、余裕がなければ事態はより苦しい方向へ悪化していく。
 『家族を想うとき』では長男が学校をサボっている。それは学校教育の枠組みよりも友人関係やグラフィティの活動を重視しているからかもしれないし、ある種の息苦しさを感じているからかもしれない。自分の場合は真面目だったからとか、勉強が好きだった、明確な人生設計があったわけでもなく、サボる気力がなかったので通っていただけだった。一般論として高卒と大卒とでは就ける職や収入に違いがあり、特に日本では(まだ)新卒で就職するかどうかが重要になっている。学校教育と異なるルートで能力を身に付けて高収入を得る人(アーティストやプロスポーツ選手など)もいるが、一握りだ。
 こうした、親が制度の利用を積極的にするタイプかどうか(調べたりする能力や気力があるかどうか)、子供が素直に学校に通うタイプかどうかといった状況の違いは「たまたま」でしかない。今の社会システムにとって余裕(お金や時間)を得られやすいかどうか、という価値基準で有利/不利なだけで、本質的にはどっちが良い/悪いという話じゃない。だけどこうした「たまたま」で生きやすさが大きく左右されてしまう。


 アメリカのある町で生活困窮者に月500ドル(5万円強)を支給する、使途は問わない、という試みを始めてみたら、人々はお金を時間の余裕に変換して生活改善に遣った、というニュース記事をしばらく前に見た。ベーシックインカムなどは「人々を怠惰にさせる」という批判もあるが、この実験結果を見る限りそうではないという。
  毎月5万4000円を市民に配り続けた結果何が起こったのか?という記録 - GIGAZINE
 『家族を想うとき』のイギリス人一家でも同じような光景を想像できる。もしそうしたお金が彼らにあれば、トラックの頭金のために自家用車を手放さずに済んだかもしれないし、それによって母親の移動時間も減って家族にもっと時間を割けられたかもしれない。全体に「人間らしい」生活にシフトできたかもしれない。


 ところでこの映画の原題である「Sorry We Missed You」は、父親が配達業務で使用する不在連絡票に書かれた決まり文句で、「お会いできず(あなたをmissして)すみません」といった意味になっている。この言葉は、お金がないことが時間を奪い、家族と一緒にいられないこの状況にぴったりかもしれない。ラストシーンにはこの不在連絡票がさりげなく、でも鮮烈に使われている。
 ラストに何か解決や救いが与えられるわけでもない。父親がどうしても家族の生活を支えるために自分を犠牲にして生きようとする姿が描かれる。私の父は、最後は新聞配達とガソリンスタンドのバイトを兼業して、そのおかげで私は学校を卒業できている。父は私が就職して4年後に自宅のアパートで孤独死した。64歳だった。冬のとても寒い日で、布団に眠って亡くなっていた。ひょっとしたら暖房代を節約していたのかもしれない。先日、熱中症より凍死する人の方が日本では多い、自宅にいてさえ凍死してしまう、という話を見た。父もそうだったのかもしれない。慢性的な睡眠不足は様々な疾患を招きやすく寿命を縮めると多数の研究結果や実例が示している。生活費を得るために無理をしていたあの数年間が父の寿命を縮めたのかもしれないと、つい考えてしまう。
 母はその4年後に、父と同じ64歳で亡くなった。自殺だった。以前から「子供に介護などで負担をかけたくない」と語っていた。それから65歳を越えると生命保険の受け取り金額が減ることも気にしていた。それが理由なのか、はっきりとは分からないけれど、65歳の誕生日の直前に、川で入水自殺をした。
 自分の中で整理したかったから、父と母が亡くなってそれぞれしばらくしてから、状況や感情の記録をここでつけていた。
  父のこと:つらいということ - やしお
  母のこと:悲しいだけ - やしお


 この映画の特にラストシーンを目にすると、どうしても自分の両親を思い出してしまうため、「ただの映画」として冷静に、自分とは関係のない話として消費することが難しかった。ある種の罪悪感を持ってしまう。罪悪感を持つこと自体にも罪悪感が湧いて、むしろ感謝しなければそういう生き方をした両親の立つ瀬がないじゃないかと思っても罪悪感のようなものが残る。
 大手メーカーに就職して、こんなにお金が簡単に手に入るのかとか、お金の心配をせずに暮らせるのは心に余裕ができるんだとか、あれこれ不思議な感覚というか、若干苛立ちや怒りに似た感情があった。あんなにお金で苦労したのに、つらくない仕事の方がお金も時間も手に入るこの世の中は何なんだと思った。就職した後もお金を遣うことに後ろめたさがあった。(「お金のある人がしっかり消費して経済を回すべき」とよく言われるけれど、本当にそうか? しっかり再分配して生活困窮者を押し上げて中間層を厚くするのが本筋じゃないかって気もするし、それを言い始めると産業資本主義の構造が悪いみたいな話になってしまう。)自分の今の生活は本当は違うんじゃないか、本当はコンビニやガソリンスタンドでバイトしながら生活しているのが自分の人生なんじゃないか、という違和感のような感覚があった。
 でもそれも、就職して12年が経って、父が死んでから8年が経って、母が死んでから3年が経って、徐々に薄らいで忘れていっている。「当たり前」が置換されていく。その忘れかけていく感覚が、『家族を想うとき』でいきなり生々しく蘇ってきた。