やしお

ふつうの会社員の日記です。

文章を書いてお金を貰う体験

 SUUMOタウンに寄稿した記事が公開された↓
ただの住宅地「新川崎」に住んでいたら、勝手に7年が経った - SUUMOタウン


 自分が住んでいる川崎市新川崎がどんなところで、どんな気持ちで住んでいるのか、といった話を書いた。誰かの参考になればいいなと思う一方で、「本当にこれでちゃんと誰かの参考になるのだろうか」という不安もちょっとある。


 お金をもらって文章を書くという体験は初めてだった。はてなダイアリーから始めてブログは15年弱続けているけれど、ずっと書くのも自分、編集も校正も校閲も自分という環境で、他者のチェックを受けて何かを書くのも初めてだった。


 申し出があったのが12月上旬だった。はてなの編集部門からふいにメールが届いた。実は過去にも「書きませんか」というオファーがはてな以外から数回あったけれど、断っていた。ただ今回は、自分の住む町のことを書くという話で「それなら書けることがありそう」と思えたのと、媒体も自分のブログではないということで受けた。
 その時点でこの「やしお」は読者数が13人で、直近の数ヶ月内で特に「バズった」記事もない中で、よく声をかけてもらえたなあと不思議な気がした。誰かが見てくれて、何か評価してくれたというのは、単純にありがたいことだし、うれしかった。


 はてなが編集部門を抱えて、顧客とはてなブログの作者を仲介して記事提供をしている、というのもそれまで知らなかった。じゃんじゃん新サービスを実験的にリリースするインターネットいけいけちょいダサ会社、という10年以上前の認識で止まっていた。


スケジュール

 12月下旬にはてなの東京オフィスで下打合せをした。それ以外はずっとメールベースでのやり取りだった。クライアント側(SUUMOタウン側)との直接のやり取りはない。
 表参道駅からブランドショップの奇天烈な建築物が並ぶ道を抜けて、根津美術館のとなりのビルの中にはてなのオフィスはあった。都内だけど静かで上品な感じがした。会議室は窓が大きくて、畳敷の掘りごたつになっていて、ちょっと居酒屋の個室みたいと思った。窓の外はとなりの美術館の庭を見下ろしておしゃれだった。
 自分の勤めている会社は古いメーカーで、もともと工場だった建物が、どんどん製造現場をなくしてオフィスになっていったようなところだから、職場には窓がない。窓っていいわねと思った。
 お茶はいただけた。あとノベルティグッズも貰った。うれしい。


 事前にたたき台になるかなと思って、記事内容になりそうなトピックをリストアップしたものを送っていたので(特に要求されたわけではなかったが)、打合せではお互いにそのリストを見ながら大雑把に「こんな内容で」というのを相談していった。少し雑談に近い雰囲気だった。
 とにかく手戻り(作った後の大きな修正)はお互いにとって苦しみなので、最初にレギュレーションをしっかり合意しておきたかった。でも基本的にはなくて、文字数も目安で明確な制限が設けられているわけではなく、とにかく「その人の普段のブログの雰囲気で書いてほしい」ということだった。実際その後、細かい修正点はあったものの、大きな手戻りはなく公開に至っている。


 12月下旬に打合せ、その後に「実際に書く内容を箇条書きしたもの」を提出してクライアント(SUUMOタウン側)のチェックを受けてそのままOKになり、年始に岐阜に帰った際の新幹線の往復で書き上がったので1月初旬に初稿を提出し、そこから多少の修正を経て2/21に記事公開、という流れだった。
 実際には余裕のある期限(納期)が設定されていたけれど、書く内容も構成も決まってしまえば後は手を動かすだけの作業なのですぐに終わった。写真は基本的に著者本人が撮ったものを使うとのことで、近所をウロウロして撮影した。


編集・校正

 ツイッターの白ハゲ漫画で、フリーライターや漫画家・イラストレーターが編集者の理不尽な要求に虐げられる話を時々見かけるけど、そういうことはなかった。
 原稿を書くより前に、内容についてはてながクライアントと合意を取ってくれているため、大掛かりな手戻りは発生していない。(それでも理不尽なクライアントなら、それすらひっくり返して平気な顔をするのかもしれない。)
 編集者による修正点も意図が理解できる内容で、ただ「著者としてはこういう意図なのでこの修正点はさらにこの形に変えたい」というこちらからのカウンターもすんなり受け入れてもらえた。
 理不尽な目に合えば白ハゲ漫画や匿名ダイアリーで告発されて炎上して耳目を集めるけれど、「普通に仕事してる」って話はあえて誰も語らないから見えづらい。今回クライアント(SUUMOタウン)も編集(はてな)も理不尽な要求はなく仕事としてとても真っ当だった、ということはちゃんと言っておこうと思って。


 修正も、小見出しが入ったり、読点が入ったり、言い回しの伝わりにくいところが直されたり、細かなものだった。それも「著者の方で修正して下さい」ではなく「こう修正してみましたがどう思いますか?」という形での提示だった。例えば「自分だったらここに読点は入れないな」と思ったりもするけれど、それはクライアント・編集側で違和感がなければそれでいい。
 たぶん「自分の作品」だと思って見てしまうと修正に対して「こんなの僕の文章じゃないやい!」って気持ちになるのかもしれないけれど、「プロダクト」だと思って見れば気にならないんだなと感じた。昔、映画監督の黒沢清がエッセイの中で「早い・安い・そこそこで撮っている」と語っていて(それで傑作を撮るのだけど)、ものすごく細部にこだわり抜いて細かく指示を出して全部自分でコントロールしたいタイプの監督もいれば、役者・照明・カメラマン等々にある程度お任せするタイプの監督もいて、そんな違いなのかな、みたいなことを思った。
 これは「こだわらない」という意味ではなくて、「餅は餅屋を信じてお任せする」という意味だ。いつも自分はブログを「自分の思ったことを整理するために書いている、ただ他の人にも共有できればいいだろうから(それがインターネットの良さだし)共有しておく」というつもりで書いているので、「みんなにとって読みやすいかどうか」にそれほど配慮していない。ただ今回は、編集が間に入って「なるべく人に読んでもらいやすい・読みやすいものを出す」という目的が設定されているのだし、その点に関しては編集の方が「餅屋」なのだからそれに従う、ということだった。それで実際、初稿から読みやすさの点で改善されていると思う。


報酬

 原稿料の相場観なんて自分にはないから、どんなもんなんだろうかと思ってネットで調べてみたら、たぶん普通の(良心的な)金額のようだった。特にプロのライターとして実績があるわけでもない素人に払う金額としては、きっと十分なものだ。
 ただ、時間給に換算してしまうと、本業の会社員の方がはるかに高くなってしまう。打合せをしたり、たたき台を作ったり、原稿を書いたり、写真を撮ったりするのにかかった時間で割ってしまうと、どうしてもそうなってしまう。買い叩かれているわけではなく、良心的な原稿料を貰ってもこれなのだから、「フリーライターになる」というのは、金銭的にはとても大変なんだろうなと改めて思った。


 この前、鈴木智彦『ヤクザと原発』(文春文庫)を読んでいてそんなことを思った。
 著者はもともと暴力団関係が専門のライターで、原発の建設から作業員の手配まで(福島の事故以前から)暴力団が関わっている実態があって、その関係で事故後の福島原発の取材も始めてついに作業員として潜入取材するまでに至る。それで、ヤクザの取材と原発の取材のはざまで苦しむことになる。

実際、私の経済状態はギリギリで、いつ破産してもおかしくなかった。普段の暴力団記事を放置、というか、落としてばかりで、原発にかかりっきりの上、まだほとんど原発の記事を書けていない。収入は、古い付き合いの実話誌になんとか記事をぶち込んで得たごくわずかの原稿料だけだった。睡眠不足にもかかわらず、金のことばかり気になり、夜になっても寝付けなかった。

(pp.101-102)

 手帳を見返すと、当時の行動はアクロバットだった。客観的にみて、キャパを超えた日程であり、冷静な取材ができたとは言いにくい。その後、沖縄に1週間ほど取材の後、翌日に福島入りし、7月4日まで福島(県内のいわき市郡山市南相馬市福島市など)―東京間を5度往復している。5日は原稿執筆の間に家族と食事を済ませ、7日には暴力団取材のため、新幹線で関西に出かけた。帰京したのはいわき入りの前日である9日で、この日の夜は広域暴力団2次団体総長と都内で食事をした。

(pp.163-164)



 能力も人脈も実績もあるプロのライターであっても、どんどん取材してどんどん記事を入稿し続けないと、「金のことばかり気になり、夜になっても寝付けな」いという。フリーであるというのは、大変なことだ。


 今回は「箱買いした野菜やかたまりで買った肉を使って、1杯のカレーだけを作った」みたいな話だけど、プロのフリーライターなら「大量の材料を仕入れながら、材料を振り分けてカレーや肉じゃがや色んな料理を作り続ける」みたいな回転でなければ成り立たないんだろうと思う。本業で十分な収入があるから、趣味でカレー作りをしていられる。
 最終的に単行本になることが確実で、十分な部数が見込める作家でもない限り、「情報収集」と「原稿の執筆」を完全にパラレルでこなせないとフリーライターにはなれない。そのためにはしっかりした「情報源」がいるわけで、過去の経験や人脈がある程度なければ難しい。
 そう考えると十分な情報源や専門性を持たない人がいきなりプロブロガーになるなんてことは厳しいし、乏しい情報を無理やり膨らませようとして世の中のためにならないことをただ書き散らすだけの虚業のようになっていく。
 元々プロブロガーやプロのライターになりたいとは思っていないけれど、改めて難しい話なのだろうなと感じた。


契約

 著作権のうち、財産権は全て譲渡、人格権は行使しないことを約束する、というのが契約の内容だった。会社で特許を取ったりした場合でも、会社に譲渡して報酬を受け取るみたいなのは普通なので、財産権は全部譲渡というのはあんまり違和感がなかったけれど、人格権の不行使のことはよく知らなかった。調べてみると一般的な条項のようだった。
 著作者人格権が行使されてしまうと、修正や公開のたびに逐一著作者の許諾を得ないといけなくなってしまうので、映像素材やイラストの納品などの契約では一般的に盛り込まれるという。今回の話には少しそぐわない気もするけれど、この契約は今回に限った話ではなくて、はてな社との業務全般でも使われるので、一般的に入れられているのかもしれない。
 自動的に付与され、かつ譲渡が無効になっている人格権を、契約によって無化できるのか、というのはとても不思議な話で、実際「不行使条項は無効である」という説もあるようだった。


 その他、秘密保持の契約とか色々あって、初めてだしと思って全部読んだけど、たぶん一般的な内容だったんじゃないかと思う。




 納期、対応、報酬、契約、どれをとっても特に違和感がなかった。「はてなの編集の仕事は違和感がない」ということをちゃんと言っておいた方がいいかと思って。あとやっぱ、初めての経験だったから、思ったことは忘れないうちに記録しておいた方がいいかなと思って。

権力に追従する技術

 この前テレビをつけたら国会中継衆院予算委)をやっていた。旅行の出発当日で荷造りしながらつけっぱなしにしていたら、途中で自民党萩生田光一議員が質問者として出てきた。
 萩生田議員は、日本会議と創成「日本」のメンバーで、国粋主義者で、安倍首相の追従者の筆頭、という漠然とした知識はあったけれど、実際に喋っているのをきちんと見るのは初めてだった。


 萩生田議員の名前は、西村康稔議員とセットで「安倍首相の熱心な追従者」として覚えていた。
 清和会の中で次期大臣の座を狙う二人だが、西村議員が、西日本豪雨の際に安倍首相や小野寺防衛相を含む自民党議員が宴会をしていた写真をTwitterにアップして大炎上させたり、総裁選で「石破の応援演説に参加すれば将来に差し障る」と神戸市議を恫喝したことがバレたりして、「失点」を重ねている中で、萩生田議員の方がリードしている、というようなニュースを去年に見て、この二人の名前を何となくセットで覚えていたのだった。


 萩生田議員は他の質問者・答弁者よりはるかに語りが上手くて、つい見入ってしまった。他の自民党の質問者より政府をしっかり批判しているように見えた。しかしその内容をよく見ると、政府に全くダメージを与えないどころか華を持たせるようなものになっている。
 自民党には自浄作用がきちんと働いている、政府もそれに真摯に対応している、という印象だけをノーコストで与える。その高い技術があって初めて、追従者としての役割を果たせるんだなと思った。


 国会の映像は↓で見られる。(2019年2月8日の衆議院予算委員会。)話題が3パートに分かれていたから、それぞれ萩生田議員の技術がどのようなものだったか、具体的に記録しておきたい。
衆議院インターネット審議中継


地方自治体の行政能力

 幹事長代行という立場上、地方自治体から様々な陳情を受けることがあるが、よく聞くと国の仕事ではなく自治体の仕事だと思う内容が結構ある、という掴みで始まった。そこから「交付金は財政力には直接効くが、行政力には効かない」という話をして、「非常時の地方自治体の行政能力の問題」の話へと導入していった。
 そして具体的な事例として西日本豪雨を挙げる。総理が官邸で電話をかけて直接「簡易エアコン」の手配をして、被災地にせっかく届けられたのに、箱から出されることなく積まれたままで被災者に届かないケースがあったという。間に自治体が入るべきだが、自治体自身も被災している中でその能力が不足しているから、自治体の行政能力を上げないといけない、という主張になっている。


 ここでの主張は、あくまで表向きは「政府が動くだけでは不十分、自治体も動くこととセットでなければ実効性がない」というもので、誰もが納得できる真っ当な意見だ。
 しかし、昨年の西日本豪雨の時、安倍首相たちは宴会をしていて初動対応が遅れたと批判を浴びた、という背景を思い出すと、ここでは同時に「安倍首相はちゃんとやっていた」というメッセージにもなっている。時間が経って世間が宴会のことをだいぶ忘れかけているから、「あの時、政府はちゃんと対応していた」というイメージで上書きするにはちょうどいい時期なのかもしれない。またその前段で「政府による交付金は財政力に効いても、行政力は自治体の問題」という話をしていることも、ここでの「政府はしっかりやってる、自治体のせい」というイメージを補強している。
 さらに、この宴会が世間にバレた原因が萩生田議員のライバルである西村議員だった事実も思い出すと、「安倍首相に汚名を着せる西村議員と、その汚名をそそぐ萩生田議員」という対比を「ついでに」作り出している。


 ものすごく短い間に、

  • 納得性の高い問題提起をして見る人に信用を与えること
  • 政府(首相)の過去の不手際をプラスイメージで上書きすること
  • 政府の責任を回避して他(自治体)へ問題を転嫁すること
  • 自身の立場を向上させること

といった操作を同時に施している。効率的で、圧縮率が高い。


 かつて気象予報は3.3km四方の単位だったが、今は400m四方の精度で出されている。しかし気象庁から出されるその情報をきちんと解釈できる職員が自治体にいなければせっかくの情報も生かされない。
 そんな話が続く。原稿に目を落とすこともなく具体的な数値を挙げる。「知らなかった事実」「意外な事実」を教えられると「へー」と思って人は耳を傾ける。そして数値や具体的な事例で語られると、それは正確な内容なのだと信じてしまう。そして一つでも信じられれば、その他も信用に足るものと推定する。こうして話の全体を「信頼できそう」と思わせることができる。
 これは良いとか悪いとかいうものではなく、話に説得力を持たせるためのただの基本的なテクニックだ。ただそれを、話の中で定期的にきちんと繰り返して説得力を維持するという作業を、他の人々が疎かにしているために、一人だけ突出して説得力があるように見えている。


 そして最終的に、「技術職を増やすのは本末転倒なので、自治体の職員に資格を取らせればいい」という話に持っていく。それに対して総務相と首相は「人材育成に地方交付税を充当する」という答弁をする。
 地方公務員の総数は1994年をピークに減少を続けて昨年(2018年)時点でピークから16%減少している。自治省総務省事務次官通知や閣議決定などの形で削減の方針や指示が中央から示され、安倍内閣に限らず減らし続けてきた実態があるので、それを踏まえて「人は増やさないが」というエクスキューズになっている。(ちなみに「就業者数に占める公務員数の比率」だと日本は先進国中最低で、世界でもモロッコに次いで低く第2位らしい。多ければいいという話でもないけれど、かなり少ないのは確かなようだ。)
 「公務員の数は増やさないけど資格を取らせよう、時間外勤務を増やしたり、給料が正規の3分の1の非正規職員を増やしたりして頑張ってね。」と言っている。


 形の上では「委員が指摘したことで政府が対応した」となっているが、地方自治体の職員の資格取得を推進することがどう課題解決になっているのか、16兆円ある地方交付税のいくらがどのように「充当される」のかと思うと、どれほど実体のある約束がここでされたのかはよく分からない。
 ただ何となく聞いていると、前半に説得力があるので、「ああそうだその通りだなあ」みたいな気持ちで結論をスルーしてしまいそうになる。
 全体を通してとにかく圧倒的に聞きやすい。つっかえることもなく、原稿に目を落とし続けることもなく、「ま、あー」とか「えー」とか、無意味な「まさしく」「あります」とかで間延びさせない。ほとんどの答弁者がずっと原稿を見続けていることと対照的だった。練習に費やす時間が違うのだろう。


幼児教育・保育の無償化

 無償化の対象外となる施設の中にも、対象にすべき施設はあるのではないか、という指摘だった。萩生田議員の地元・八王子市内にある、発達障害児の教育に力を入れている「みどり幼児園」を、対象外となる実例として具体的・詳細に挙げていてここでも説得的だった。
 文科相の答弁は「制度からあぶれる施設もあるが、国でなく各自治体でサポートするとか、認定に移行してほしい」というものだった。それを受けて萩生田議員は声のトーンを強めて、直接的には文科相の答弁を否定はせずに、力強く批判しているような雰囲気を作っていく。そして
「これ時間がありません、総理の決断でもう一度指示していただきたい」
と迫る。
 安倍首相が答弁に立ち「用意した答弁ありますが」と断って原稿は見ずに、「今の話でそういう例があることを知った、検討したい」と答弁する。首相の答弁が終わった時、「おおっ」と誰かが上げた声が映像には入っている。


 首相のリーダーシップのアピールになっている。管掌の大臣の答弁を覆す首相、官僚の用意した答弁を覆す首相のイメージを出している。一方でそれを引き出した萩生田議員の力のアピールにもなっている。
 ただ、2日前に質問通告はされており、だから手元に「用意した答弁」が存在するのだということを考えると、出来レースとか茶番劇といった言葉が浮かんでもくる。


国家公務員の人事制度

 統計不正の問題に絡めて、国家公務員の人事評価制度に持っていく。
 自分は幹事長代行の仕事をしている、複雑な仕事だが、経験者の先輩がいるからやれる、一方で官僚は統計局から局長に上がった人は一人しかいない、仕事の内容を理解してくれない上司だとだめだ、キャリアとノンキャリには壁があり、人事の採用も出世も各省庁がやっていて「採用してくれた人」「引き上げてくれた人」という恩義で固まった縦のラインができている、だから各省庁から人事権を取り上げて人事院でやればいい、内閣人事局でせっかく仕組みを作ってあるのだからそれを利用すればいい、という話だった。


 「各省庁から人事権を取り上げれば統計不正は起こらない」というすごい理論になっている。しかしやはり話し方は上手いし、一つ一つは不自然ではない事実を語っているので、ぼんやり聞いていると何となく納得しそうになる。「単体では不自然でない話を重ねていって最終的に妥当性のない結論にたどり着く」というのは「風が吹けば桶屋が儲かる」論法そのものだ。無数にある因果関係の束のうち、因果関係の強弱とは無関係にそのうちの一つを任意に選ぶことができる。
 2つ目の幼児教育・保育の無償化の話のところで「一番詳しいのは身近な地方自治体だから、施設の認定は地方自治体の判断で」と萩生田議員は語っている。その理屈を援用すると、ここでも「一番詳しいのは各省庁だから、職員の人事は各省庁の判断で」という結論を導くことだって可能だろうとも思う。
 問題への対処に見せかけて首相・官邸への権力集中を進めようとするのは、正しい尻尾の振り方ということかもしれない。


 途中、大学4年生の試験でキャリアかノンキャリが決まってしまうという話に絡めて、
「学校時代の成績ですべてが決まるんだったら、ここにいる人結構いないですよ」
と発言して、議場がどっと笑いに包まれた。
 「学生時代の学力でその後の全ての評価が決まる世界はおかしい」というのは一般論としてその通りだ。ただ、「ここにいる人」の中で「偏差値が高くはない大学を出ている」一人が安倍首相だという背景を考えると、ある種の学歴コンプレックスを慰めたり、肯定感を与えたり正当化するのに寄与している。
 ちなみに西村議員は東大卒・元通産官僚なので、ここも同時にある種の当て擦りとして機能しているのかもしれないが、それは邪推が過ぎるような気もする。






 本当の意味で権力に追従するというのはこういうことなんだなと思った。一見、強く批判しているように見せて、その実ダメージを与えない。その上「きちんと対応する政府」のイメージを作る。
 この日の衆院予算委は、岸田政調会長も最初の質問者として出ているが、「統計不正は制度やルールの問題ではなく公務員の意識やモラルの問題、政治家がチェックできるわけないし」みたいな話をしていて、萩生田議員と比べるとあまりに雑だった。コーティングする手間を省いていてダイレクトに政府擁護をしてしまう。それは頭が悪いとかいうわけではなく、追従することへの本気度の差なのだと思う。
 岸田文雄が三世議員で地盤を引き継いで政治家になったのと違い、二世議員でもなく、官僚出身でもなく、市議から都議になり国会議員になった萩生田光一にとって、権力基盤のない中で上ろうとすると、こういう戦略になっていくのはある意味自然なのかもしれない。


 党内で派閥に権力が分散した中選挙区制では、族議員になって専門分野で能力をつけて派閥に貢献していくのが一つの生存戦略だったのが、党首(総裁)に権力が集中する小選挙区制では、徹底して党首のイメージアップを測ることに貢献していくのが生存戦略になっている。(ただ「だから中選挙区制へ戻せ」と単純に言うのは、権力闘争の激化で政権運営が安定しない、バラマキ型になる、といった大きなデメリットを無視しているので無意味だとは思う。)
 それが国会議員の本来の役割からかけ離れていたとしても、過剰適応は一般的にそうしたズレを孕む。その過剰適応の一例が萩生田議員なのかな、みたいなことを初めて話している映像を見て思ったのだった。
 萩生田議員は、国粋主義的な言動(日本の核武装容認等)や守旧的な価値観(育児は母親がすべき等)をたびたび表明して叩かれたりもしているが、これも「安倍首相の(日本会議等の)価値観と合わせる」という適応の結果だったりするのだろうか。


 ここまで全振りして貢献しているし、当選回数も5回だし、大臣のポストくらいあげてもいいんじゃない、みたいな気持ちにもなるけれど、それは国民の利益を視界の外に置いて、国政のみを舞台として矮小化した視点で言えることでしかない。
 こうやってがんばっている国会議員がいるということを、中の人達だけじゃなくて、外からもちゃんと見てあげた方がいいかなと思って。

マネジメントはバランス感覚の問題かもしれない

 職場のグループリーダー(GL)になるから準備する、という話を前に書いた↓ 年明けにGLを交代して1ヶ月が経って、思うところをメモする。
会社でグループリーダーになるから準備する - やしお



バランス感覚の問題

 GLって「メンバーの進捗管理をする」「マネジメントをする」というのが仕事だと思っていた。それは間違いではないけど、実際にやってみるとそこよりもバランス感覚の問題なんだなと思った。
 進捗管理だけならメソッドを習ってやればできるかもしれない。でもそうじゃなくて、情報・時間・人手・お金といった様々な制約がある中で、どこで折り合いを付けて現実のアクションに落とし込むのかというバランス感覚が優れているのが、いいGLってことなんじゃないかという気がしてきた。そこを自分の中で訓練して精度を上げていく必要があるなと思っている。


 GLになってから、入ってくる情報の量が格段に増えた。想像はしていたけど実際に体験してみると(あ、こんな感じなんだ)って新鮮さがあった。

  • 担当者として自分が対応する話
  • GLとして自分が対応する話
  • グループのメンバーに振る話
  • さしあたり状況の推移だけ把握しておく話
  • 課長や他の部署に上げる話
  • 振られているが跳ね返すべき話
  • ただのご参考


 そんな情報がメールや打合せや口頭でわーっと入ってくる。今までは「担当者としての自分の仕事」だけが主だった。把握と仕分けに少なくない時間を毎日費やしている。
 「情報の共有」という名目で打ち合わせに出てみたら、そこに課題が埋め込まれていて、その洗い出しや整理をしたら新しい課題が出てきたみたいな、仕事が仕事を生んでくみたいなところがある。内容によっては即応性が求められる(緊急度が高い)話もあって、情報収集と整理をしていたら一日がもう経っていたりする。


 情報の仕分けは結局、アクションを決定することと一体になっている。「攻撃・防御・アイテム・逃げる」みたいな感じで「自分でやる・メンバーに振る・押し返す・静観する」みたいな判断がある。

  • 全体として効率的か
  • 内容に妥当性があるか
  • コストが現実的か

と頭を使って考えても、解答は一意に決まらない。
 例えば製品に品質問題が見つかって、在庫品をどこまで確認するかという話(よくある)ひとつ取っても、ユーザーへの害の程度、発生頻度、1台あたり確認・修正するのにかかる時間、といった状況が毎回違うし、情報は不確定だったり推定だったりする。その上で「全数やる」とか「何もしない」とか選択していく。かなり(うーん……)と悩ましい場合もあるけど、これと決めて「こう考えるのでこうします」と関係者に伝えないといけない。


 判断に抜けや漏れがあると後で問題になるけど、その検証に時間を取られ過ぎると時機を逸する。「念のため」の確認作業を増やせば安心だけど、コストがかかる。どこまでで切り上げるか、というバランス感覚を上手に保ちながら、それを自分自身で偏っていないかチェックしながら、毎日判断を下していくゲームなんだなと思った。
 そういう判断をすることは一担当者の時ももちろんあったけれど、幅と量が一気に増えた。判断のケースや体験の量が増えて、自己チェックを重ねていくことで、だんだんこのバランス感覚の妥当性や正確性が改善されていったり、切り上げるポイントに到達するまでのスピードも速くなっていくのかなと思う。


 あと「判断を下すこと」にはある程度の慣れ(というか鈍感さ)が必要だった。やっぱり最初のうちは迷いや不安もあってストレスになる。「それで大丈夫だった」という経験を積んで、「ま、これでいっか」と思って一旦忘れられるようにならないと続けられない。これにもある程度、判断の体験の絶対量が必要だ。


メンバーとの関係性

 グループが50代3人、40代2人、30代2人の計6人で、自分は年齢順だと下から2番目という構成になっている。「上司が部下に指示する」というより「一緒に考えて『じゃあそれで行きましょう』と決める」みたいな感じになっている。さっき「判断する」と書いたけど、全部自分の手でやりきるわけじゃなくて、「この人に振れる」という大きさにまでパッケージングできたところで担当者に渡す。それで渡す時に「こうした方がいいでしょうか」「どう思いますか」と相談して決めている。
 自分が担当者だった時に、細かいアクションまで指示されて、ただ作業するだけだと意欲が減退するという経験があったから、こんな感じでいいんじゃないかと思っている。年上だから気を遣って相手の主体性を尊重するやり方になっていることが結果的に良いのだと思う。


 GLがしっかりしていて指示の粒度が小さいとメンバーの主体性は奪われて意欲が減退する。逆に粒度が大き過ぎると「担当者に仕事を丸投げ」になってGLの意味がなくなる。今まで担当者としてどちらのタイプのGLの下で働いたこともある。これもまた、バランス感覚の問題になっている。
 言われた作業だけこなしていたい人もいれば、自分でコントロールして進めたい人もいるし、本人の意思だけでなく実力の程度も関係する。相手との関係性やレベルを見て常時調整し続ける必要がある。唯一の年下のメンバーは「次にGLになれそうな人」だと思っているので、少し粒度を大きめにして渡すようにしている。


 メンバー(特に前リーダー)からはどう見えてるんだろう。「頑張ってるな」と思われてるのか、「空回りしてんな」と思われてるのか、「ムカつく」と思われてるのか、それは分からないけど、そこはあまり考えないようにして、こうするのがいいと考えたことをやっていくしかない。


立場が重層化した

 今までは「担当者」だけだったのが、「グループの運営責任者」と「課全体の業務のメンバー」と立場が重なっている。「GLをやれ」と言われた時は「グループのメンバーに対するリーダー」になるのはイメージできたけれど、それだけじゃなくて、「課長をリーダーとする課業務に対するメンバー」にもなるんだってことは、あんまり考えていなかった。予算の計画から5Sみたいな話まで、課として取り組む業務や課題を、課長から指示を受けてこなすメンバーという立場にもなっている。
 課内の課題やグループの運営は、今までは「こうした方がいいんじゃないですか」と提案する立場だったのが、自分の手で課題を解決していく立場(それが疎かになっていれば批判される立場)なんだなと思うと、プレッシャーもある反面で、楽しさもある。


 課員のヘイトを高めずに協力体制を築くには結局、課題や進捗をみんなに見えるように透明化していくしかないんじゃないかなと思って、週一のグループミーティングで洗いざらい知ってることをバラしている。新製品立ち上がりの状況とか、隣のグループの状況とか、課の課題への取組みの進捗とか、「関係ないことは伝えても意味がない」という考えもあるかもしれないけど、伝えている。情報から疎外されると帰属意識が薄れて反発意識が出てくる。


サイクルが出来て落ち着いてきた

 「判断を下すこと」の前提として「現状が把握できていること」が必要なので、メンバーからの情報収集が必要になるし、逆に決めた判断をメンバーに伝えることも必要になる。一方で課長に対するメンバーとして同様に双方向の伝達が必要になる。結局なにはともあれ、コミュニケーションが大前提になっている。
 1ヶ月やってみて、1週間のサイクル・1ヶ月のサイクルが大体形になって少し楽になってきた。

  • 【月曜の朝1h弱】グループミーティング:グループ内外の状況をメンバーに共有(出張でいない人にはメールで)
  • 【週の後半】メンバー個別に10~20分くらいヒアリングして、進捗確認や案件のアクションの決定。抜けや漏れがないように案件を簡単にリスト化してメンバーとGLの2人でチェック
  • 【その都度】新規で何かあればその都度メンバーと相談
  • 【金曜】グループ内の状況をまとめて週報を課長に出す→そのまま翌週の月曜朝のグループミーティングに使う


という1週間のサイクルが習慣化してきた。(今までグループミーティングも個別の進捗ヒアも無かった。)


 最初の頃は「ああしよう、こうしよう」とプライベートの時も考えたりしていて、寝つきが悪くなったりしていた。それはプレッシャーというより「遠足の前でテンションが上がってるから眠れない」に近い感じだった。良くないなと思って心配したけど、最近は慣れてきたせいか落ち着いてきた。


気持ちの話

 以前に比べて態度が(たぶん)丸くなった気がする。
 前は仕事していて「そうじゃないだろう!」と立場が上の人に苛立ったり態度に出たりしていたけれど、そうしたことがかなり減ってきた。苛立っていたのは甘えだったんだろうと最近考えている。責任の範疇が増すと人のせいに出来る範疇も減る。「お前がちゃんとやらないからだ!」といった苛立ちの余地も減る。
 学生の時はもっと人格がハチャメチャだったことを思うと、学生から会社員になって、それからGLになって、少しずつ自尊心の欠如と甘えが無くなってきていて、それで規律と精神的な余裕ができているのかもしれない。隣の課の先輩でGLをしている人がいて尊敬してるんだけど、その人はそういう目の前の相手を責めるみたいなところがなくて凄いなと思っていて、でも昔は怖かった気がするけどなんでだろう、と不思議に思っていたのはこれかもしれない。でも係長や課長でも「お前が悪いんだ!」と打合せで他部署を批判しまくる人もいるから、人による。


 あと自尊心という話で言うと、やっぱ33歳でGLになれたっていうのは、別に世間一般からすれば全然大したことないと分かっていても、この古い大企業だとそこそこ早いし、例えば同期とかに対する虚栄心が満たされる、みたいなところも正直ある……。そんなことで態度が尊大になるのは間違っているしダサいから絶対にダメだけど、やっぱ嬉しいって気持ちがあるのは事実だ。両親が生きてたら自慢はしてたと思う。そうやって表に出さない範囲で嬉しくなるくらいは(神様に?)大目に見てもらおう。


 結局、金と名誉と地位の余裕が、精神の余裕と自制を生んで人に優しくなれるのか、と思うとちょっと身も蓋もない話だけど、実際はそんなものかもしれない。


 「こいつをGLにしてもいいか」と思ってもらえたのは、「ちゃんとしよう」と思ってやってきたからだとしても、それは結局「怒られたくない」「馬鹿だと思われたくない」という気持ちがずっと動機になってたんだなと振り返ってみて気付く。怒られず馬鹿だと思われない方法を考えて実践してきたのが第一にあって、結果的にそれが「組織の中でちゃんと働く方法」に帰結していった、みたいなことを思う。最初から別に「仕事ができる人間になるぞ!」と思ってやってた訳じゃない、ってことを忘れないでおこうと思った。
 今の立場だとそれが、「グループのメンバーが自分の仕事に集中できる環境をきちんと整えること」や「グループとして抜けや漏れがなく効率的に業務が進められていること」の実現を目指すこと、とかに繋がっている。そしてその実現にはバランス感覚が必要で、そこは引き続き自分をトレーニングしていかないといけない。囲碁なんかも、地を欲張り過ぎると奪われて負けるし、欲張らなさ過ぎるとそれも負けるし、ちょうどぴったりの手を打たないといけないけど、そういうバランス感覚は勝ったり負けたりする中で要因を考えて反省していって、だんだん醸成されてくるものなんだろうなと思っている。