やしお

ふつうの会社員の日記です。

河野稠果『人口学への招待』

https://bookmeter.com/reviews/90529521

人口に影響するのは、出産・死亡・移動の3要素だが、そのうち最も大きな影響を与えるのが出産であるため、本書は大半が少子化出生率に関する様々な学説や理論、データの紹介に充てられている。出生率の高低が、実はダイレクトには経済的な要因よりも、文化・価値観の違いや変化の方が効いているらしい、という話が面白かった。日本では経済的要因の方が支配的に論じられがちなのはマルクス主義経済学の伝統によるのでは、という。人口減少が問題というより、生産人口>>従属人口の関係を前提としたシステムの変更が根本的な課題なのだろう。


 本書は06年までのデータを扱っており「日本の合計特殊出生率が05年に最低の1.26を記録した、06年は微増したが今後続くかは不明」と書かれているが、その後緩やかに増加して15年に1.45、その後3年はまた微減して18年は1.42。ただ人口そのものがシュリンクしているので出生数自体は下がり続けている。

 ハテライトというキリスト教の宗派がコミュニティを形成し、アメリカ北部~カナダ南部に暮らしている、妊娠中絶も避妊も禁じており、20代前半で結婚し、多産であり、出産の記録も正確なため、人口学の世界では「出産のコントロールをしなかった場合の統計的なモデル」として使用されている、という話が面白かった。

広瀬和生『21世紀落語史』

https://bookmeter.com/reviews/90529442

客を笑わそうとするのではなく、つい笑ってしまうようでないといけない、何気ない会話の中で二人の関係性が浮かび上がってこないといけない、と考える柳家小三治が、08年に「千早ふる」を演りながら二人の会話を聞いて「この噺はこんな噺なのか、面白いなあ」と感じた、という話がすごい境地だ。小説家が書きながら「自分が書くのではなく作中人物が勝手に意思を持って動く」と感じるのに近いのかもしれない。小三治が弟子の三三に「大きな声を出せ」→「落語らしく演れ」→「人間として人間を語れ」と教えて三三もそれに答えたという話もすごい。


 落語には名人芸を見せる「作品派」と大衆を笑わせる「ポンチ絵派」がある。(ただし作品派は単純に伝統の継承に留まらず、両者とも現代を取り入れる。)
 立川談志は「ポンチ絵派」に落語の本質を見出して進んだが、その一方に「作品派」を追求する古今亭志ん朝という「落語の上手さ」を実証的に提示する落語家がいたから可能な選択だった。
 その志ん朝が2001年に死ぬと、談志は「志ん朝の分も頑張るか」と発言し、実際にそれ以降、作品派とポンチ絵派の両者を同時に実現するような実践を続けていくが、10年後、2011年に談志も死ぬ。ここで「昭和の名人」との連続性が一旦切れて、そこからの10年間で新しい局面に入っている。
 というのが大雑把な21世紀に入ってからの20年間の構造として提示されている。

柄谷行人『マルクスその可能性の中心』

https://bookmeter.com/reviews/90529387

一旦構造が形成された後から見ると、構造の結果がその原因としてしか見えなくなり結果と原因を取り違えてしまう(遠近法的倒錯)という指摘がされる。そしてこの倒錯に立脚して考えることで、さらに起源が見えなくなり構造を強化してしまう。それを免れるには構造や体系の形成過程を見る(想像する)ことが不可欠であり、それこそが「読む」という行為で、本書に限らず柄谷行人の著作はそうした営みになっている。遠近法的倒錯はこの疑い方の様式を一度知ると、概念や理念、イデオロギーなどの形で至るところに存在していることに気付く。


 マルクスは対象をドイツの哲学(『ドイツ・イデオロギー』)、フランスの政治(『ブリュメール十八日』)、イギリスの経済(『資本論』)と移しているが、哲学者でも政治学者でも経済学者でもなく、その言説によって一体何が見えなくされているのかを考える点で一貫しているという。これは柄谷行人自身が、文芸批評から現在の思想家へと変わってもその読む姿勢では一貫しているのと同じことだろうと思う。