やしお

ふつうの会社員の日記です。

小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』

https://bookmeter.com/reviews/110839420
ロシアのクリミア侵略は「認知空間・サイバー空間での攻撃がすごい」と言われがちだけど、結局は旧来の軍事力がメインで、サブ的な要素に過ぎない、といった指摘をされると、たまたま直前に全然関係ない谷川浩司藤井聡太論』を読んでいて、AIの活用が言われがちだけど、序盤研究にAIを役立てているのは藤井聡太に限らず他の棋士も同じで、実は圧倒的な終盤の読みの力に裏付けられている、といった指摘とほぼ同じ構造だなと思った。

谷川浩司『藤井聡太論』

https://bookmeter.com/reviews/110839405
普段は将棋の真理を追求する研究者、対局の序中盤は将棋の新しい世界を築く芸術家、終盤は勝利を求める勝負師、と3つの顔を棋士は持つべきという話は、意味の解釈/新たな解釈の実践/技術の追求のような、文芸なら批評家/純文学作家/エンタメ作家のような感じで、将棋の持つ多面性をよく整理された言い方だなと印象に残った。最近はトップ棋士たちの研究量が増大して現役時代の打ち込み方が他のスポーツ選手並になった、という話も、パラダイムシフトへのキャッチアップが非常に厳しくなっている現状をよく表していると感じた。

山本紀夫『トウガラシの世界史』

https://bookmeter.com/reviews/109889732
こうして見ると、日本の「激辛ブーム」は、今生きてる人間からは単に「ブーム」に見えても、歴史全体で俯瞰するとトウガラシの受容プロセスの一環、不可逆的な浸透の過程になるのかなと思った。コロンブスが南米から持ち帰って以降の500年程度の歴史しかなく、インドや韓国ももともとトウガラシのないカレーやキムチの歴史が長かったのに、今では「最初からいましたけど」みたいな顔してるんだから、恐ろしい浸透力だ。辛味のハードルと、脳内麻薬の快楽のバランスで、「スパイス使用の素地がある地域では急速に浸透する」特質がある。


 しばらく前に「料理が辛い地域は、権力者が塩の制限をしたので食料保存にトウガラシを使う必要があった。辛くない地域はその制限がなかった」と断言するツイートがバズってるのを見かけて、(なるほど面白い)とその場では思ったけど、(本当にそうなのか? 実証的な論拠がほしい)とずっと思ってたところ、本書を見かけて買って読んだ。
 本書を読む限り、「塩制限地域でトウガラシ普及」説はウソだろう、と今は判断している。


 そもそもトウガラシの歴史自体がかなり浅い。「じゃあトウガラシ以前の食料保存はどうしてたんだ」「なんでトウガラシが入ってきた途端に塩を制限するんだ」となる。


 辛くない日本と辛い韓国の場合、実は伝来は日本の方が早く、韓国は日本経由で伝来した、という話が意外だった。日本では「七味の中の一味」という限定的な受容だったのが、韓国では全面展開される。この差は、もともと韓国が日本よりスパイス使用が多かったからだという。仏教が伝来した後、殺生が下火になって肉食が減ると、スパイス使用が減る。
 ただ韓国ではモンゴル勢力の伸張を受けて肉食が増えてスパイス使用が復活する。スパイス使用の素地ができているところへトウガラシは来て普及する。スパイスの使用量がもともと少なかった日本では、明治以降に肉食が拡大すると、少しずつトウガラシの受容も進む。
 それでいうと大陸と地続きの韓国(帝国の周辺)と、海を隔てていた日本(亜周辺)という地理的な要因が働いていた、とも言えるのかもしれない。(アジアの中だとフィリピンも辛いより甘い食文化なのも似た理由があるのだろうか)
 インドでも全面展開に至ったのは、トウガラシ伝来以前からスパイス使用が豊富だったことによるという。


 「辛み成分(カプサイシン)は人間の脳に快楽をもたらす」「しかし辛みの受容には慣れがいる」という特性から、「ハードルはあるが受容が始まると不可逆的に浸透する」性質がトウガラシにはあって、ハードルを低くする要素=もともとのスパイス文化があると、早く浸透する、ということかと思った。


 他にブータンは、もはや「スパイス」ではなく「野菜」として食べていて、それは標高の高い地域で野菜が育たない環境だったからとか、トウガラシが浸透する理由や素地には、やっぱりその国や地域の個別具体的な経緯があって、それを見ることなしに簡単に「権力者が塩を制限したから」と単純化して言うのは違うんだろうな、と感じた次第。