やしお

ふつうの会社員の日記です。

ピーター・シーガル 『ゲットスマート』

 映画的な野心とは別の野心に真摯に突き動かされれば、かえって明快な映画が撮られることもある。映画そのものが要求する映画を見つめようとするアプローチは、優れた映画作家にとって有効であっても、そうでない作家にとっては悲惨な結果をもたらすだろう。映画自身ではない何かを選び、それが要求する映画を見つめようとするアプローチによってはからずも、しかし当然の帰結として、前者のアプローチの到達点に接近する。
 この映画においては、作中人物たちが至って真剣であるが故に滑稽極まりない身振りをいかに持続し得るか、が「別の野心」である。
 ま、こんな大袈裟な言い方をするのに相応しいわけではもちろんなくて、もっと軽々と下らないことばかりしている映画なのだ。この下らない場面に対して、どこにカメラを置き、どのタイミングで音を入れ、どう編集すれば最も下らなく見えるか。そして下らない場面を連続させてゆくにはどんな物語が要求されるのか。これをマジメに考えること。もちろん主人公がにたにた笑うなどもってのほかだ。