やしお

ふつうの会社員の日記です。

アンドリュー・スタントン 『WALL・E』

 もちろんこの映画の物語は人間の存在を必要とはしていない。物語が必要としているのは、命令を与える装置だけだ。
 実際、ウォーリーその他ロボットたちは一見そこにいる人間たちのために働いているようで、実のところ人間が発したかどうかが彼らにとって全く意味を持たない命令に従い続ける。また、機械に頼ってきたために筋力の落ちぶくぶくに太った船長が自らの足の力で立ち上がり、歩きだそうとするところで「ツァラトゥストラはかく語りき」が流されるそのアイロニカルな意識は、この映画における人間の命令を与える装置としての部分以外を、物語を決して逸脱させない程度にしか扱わないという商業的に極めてまっとうな意識そのものだろう。(本気で感動的な場面に仕立て上げようとしての選曲、という可能性を皆無と断言しはしないものの、この作り手たちはそこまで無邪気でないと思われる。)
 そうして逸脱も過剰も含まない人間という修飾詞を取り除いてみるとこの映画は、蓮實重彦が『小説から遠く離れて』で語った物語の形状に驚くべき律儀さで収まってしまう。「宝探し」、「依頼と代行」、「捨て子」、「創造主と被造物」、「双生児」……。そしてその他の細部も、物語に抗うような過剰さやズレを含まない。この極めて退屈なまっとうさを意識的に全うして観る者に安心をしか与えない技術は、商業的に成功する条件として必須のようにも思われるし、徹底してできるのはある面で立派なことと思う。