やしお

ふつうの会社員の日記です。

鴨長明「方丈記」がとるしたたかな戦略

 ふと思ったんだけど、「方丈記」ってPREP法みたいな構造になってるんだね。


Point(結論):世界とは無常です。うたかたです。
Reason(理由):実際、今まで大火事、竜巻、無謀な首都移転、飢饉、大地震と天災人災が続き、人は死に、物も壊れる様を目撃してきました。
Example(例示):例えば私は方丈庵を造り上げ、超ロハスな生活を送ることでこの無常に対応してきました。
Point(結論):世界は無常です。それを無視して富や人間関係に汲々とする生活は誤りであり、私のような生活こそ正しいのです。


 しかもすごく具体的に数値や描写を重ねて訴えかけるのね。この災害で何人死んだ、何ヘクタール焼けた、何棟倒壊したうんぬん。方丈庵にしても内部構造を詳細に伝えて、ロハス生活も具体的な散歩コースや普段の過ごし方(琵琶のこの曲を弾いていますとか)を書き連ねる。
 そういった内容の具体性と、PREP法的な構造で論を支えてアピールする。もうちょっとタイトルを、例えば「世界が無常である5つの理由とそれを乗り切った私の方法」などと変えれば、はてなブックマークのホットエントリに上がってきそうだけど、いかんせん鎌倉時代だから。


 そう聞くと自己啓発っぽくてなんかウンザリする内容だけど、「方丈記」がすごいのは、最後の最後ですべてを台無しにするところ。(400字詰め原稿用紙換算で)25枚ほどそれまでせっせと積み上げてきたアピールを、最後の1枚でぜんぶ台無しにするの。

うーん、でももう喋るのもやめようね。方丈庵とかロハスとかいいよ、もう。なんかよくわかんないし。とりあえず念仏をとなえておきますね。おわり。

 みたいなことを突然言って呆気なく終わる。この直前が

俺の生活がおかしいって言うなら魚や鳥の生活考えてみろよ。なんで水の中に住む? なんで林の中に住む? あいつらの気持ち分かんねーだろ? だから実践してみなきゃわかんねーんだって。(やってもねーのにぐだぐだ言うな。)

などとかなりヒートアップしているので、その落差がものすごい。


 これを作者の性格によるものとみなすことはできる。「長明という人はやや激しやすく、また醒めやすい性格の人と思われる。」(鴨長明方丈記』浅見和彦 校訂・訳:p.218)とかね。でもその見方はあまりに貧しいと思う。
 むしろ相当計算してこの落差を最大化させてるんだろうなと思うよ。最後の「台無し」に至るまでの、内容面でも構造面でも最高の効果を挙げようと工夫している様を見る限り、作者はただ思っていることをだらだら書いているわけではなくて、作品が人に読まれること/読者の存在を明確に想定・意識しているとしか思われない。そう考えると「台無し」についても、読み手を想定した上で「わざと」そう仕掛けていると考える方が、ただ感情の赴くまま筆が滑り続けた結果、と考えるよりずっと自然に見える。「台無し」の直前の熱情も落差を最大化させるための冷静な工夫。
 書き手が作品を客観視して書くことを現代のなせるわざと思い込み、鎌倉時代の人は書き手と書かれたものがべったりくっついて作者の感情・感覚イコール作品とみなすのはあまりにも礼を失しているというか、あまりに不自然だよ。


 そういうわけであの「台無し」が作者による仕掛けだとして、いったい何のために?
 「方丈記」で言われてることって、「世界って無常だよ」「富とか人間関係とかせっせと積み上げたって、とつぜん災いがきてみんな崩壊するよ」っていうこと。この主張を、作品全体として実践したのが「台無し」なんじゃないかなと思うの。
 世界の無常とその対処法について淡々と、時に熱っぽく書かれてゆくから、こっちも真面目に読んでいたのに、最後の最後で「よくわかんないから念仏となえとくね。おわり」とか言われるから、読んでる方は「おめーなんだそれはーっ、鴨ーッ!」ってなる。この今の気持ち、きちんと積み上げられてきたのが一瞬で崩れて「はあ? なんで……」って思ったでしょ? これこそが、無常なんだよ。と読者に体験させるための仕掛け。
 主張をただ直接主張するスタティックさではなく、テクスト全体で読者に体験させるダイナミックさの方を鴨長明は選択したんだ。エッセイをはみ出してる。


 まあ、知らんけどね。鴨がなに考えてたとか知らんし。ほんとうに感情のおもむくまま書いて結果的にこうなっただけかもしれんし。
 でもそう考えるより、自身をエッセイに押し込めることをやめた作品なんだと思って読むほうが豊かな気がするし、できるだけ豊かに読むほうがお得だしね。


 もっともその読みもまた、目的のために要素が隷属するスタティックさを免れ得てはいない以上「実は頑張って書いてたけど突然理由もなくうんざりした鴨が最後に投げ出した説」に思いをはせるほうが、もう全く無償で無意味なので、すこし魅力的に見えたりもするんだ……


 そんなようなあれこれを、久しぶりに「現代誤訳 鴨長明方丈記」」(id:OjohmbonX:20111204:p1)を読み返しながら考えてました。