やしお

ふつうの会社員の日記です。

自分を分かりやすい存在にするゲーム

 学校卒業して会社はいってからすごく気をつけてたのが「説明のつかない動きをしない」ってことだった。相手に(何で今そんな質問したの?)、(何でそれをやったの/やらなかったの?)って思わせないように、もし思われてそうなときはすぐに説明できるようにしておくみたいな。
 別に仕事に限った話じゃないけど、自分の中で位置付けがはっきりしないものがそばにあるとみんな不安になるしイライラしちゃうからね。目的がそもそも謎な実験の詳細を聞かされ続けるプレゼンとか、意義がうまく見いだせない上司からの命令とか。


 特に入ってきたばっかりの人っていったいどんな人か分からないから、みんな不安になる。不安の裏返しでみんな攻撃的になったり妙にへりくだってみたりする。そんなのに囲まれてとても生きづらい。そしてみんなが(なんだこいつ。おかしなやつだな)って思ってるんだろうなって自分で思い始めるようになるともっと生きづらくなる。
 それで、私はあなた方を理解しています、それに私はあなた方にとって理解可能な存在です、っていうことをなるべく早く周りに刷り込んでってそんな事態を回避してくんだ。挨拶とか、メールで「いつもお世話になっております」とか書くのも、相手にとって自分が理解可能な存在だよって予防線の一種なのかもね。
 そうした作業がある程度進めば、多少「説明のつかない動き」をしても、(よく知らないけどたぶん意味のあることをしてるんだろう)、(もし「それは何をしているの」と聞けば納得のいく答えが返ってはくるんだろう)と肯定的に放っておいてもらえる。つまんない話かもしれないけど「信用を積み上げる」の実体はこんなもんなのかもね。
 毎度まいど「キミはいったい何をしとるんだね、野比君」なんて聞かれて相手の納得いく答えを言わなきゃいけないのはお互い面倒だよ。


 この、相手の納得いく答えとズレたことを答えないようにして、違和感を与えない、っていう話。
 たとえば仕事中にケータイ見てたとするじゃん。で「あれ、ケータイ見てんの」ってかすかな難詰をふくんだ調子で誰かに言われたとして、「時間を見ようと思って」って答えたとする。そんとき目の前にPCがあって作業してたのにそう答えたら(ん? PCの時計見ればよくね?)って相手に違和感を与えることになる。違和感を覚えながらも「ふーん。そっか」で済めばいいけど「パソコンの時計見ればいいじゃん」って言われたりするわけ。「いや、パソコンの時計っていまいち信用できなくないですか? だから俺ケータイ見ちゃうんす」なんて苦し紛れに言い訳すれば相手(はあ?)ってなる。「なんでケータイのが正確なんだよ」「電波の方が早いんで……」「はあ?」
 こうして言い訳に言い訳を重ねておかしなことになるって現象がぼくは本当に大好きだし、ひょっとしたら(うわーこいつバカだ! ちょうかわいい!)ってなって出川みたいなポジションで愛されてく可能性もあるけど、そうした出川的な才能と僥倖を自分の上に期待することは難しいので、さっさと適当に「メールが急にきて何かなと思ったらヤマダ電機でした」とかいって済ませる。
 その答えが相手を安心させられるかどうかは相対的なものだけどね。もし相手が、仕事中は基本的にケータイ見ちゃだめだけどちらっと確認するくらいはOKだって思ってそうなら、さっきの答えで大丈夫かもしんないし、そもそも相手が何とも思って無ければ受け答え自体必要じゃないだろうし、相手がもし、仕事中に見るなんて言語道断って思ってそうなら最初からケータイを見ること自体控えるかもしれない。


 これ、相手にとっての許容範囲と、自分が楽でいられる範囲にどれだけ共通範囲があるかって話かもね。ベン図みたいので、相手の許容範囲∩自分が楽な範囲となる範囲。この共通範囲が狭ければ狭いほど過ごしづらくなってく。
 それで楽になりたいから共通範囲を広げていこうと思うと、相手の自分に対する許容範囲を広げるか、自分が自分に許せる許容範囲を広げるって事になる。
 前者は例えば、(あいつ仕事中にケータイ見てるサボッてる!ムキーッ)って思われてたのを、(まあ見てるけどあいつ仕事はしてるしな)とか(ふだん見ないのになんか大切な連絡でも入ったのかもね)って流してもらえるようになってくってことかな。
 後者は(俺が好きな時に俺はケータイを見るんじゃ!)っていうのをやめて、(ま、別に見なくてもいっか)ってなるやつ。案外よくよく見てみると自分のこだわりやアイデンティティなんて、実は「どっちでもいいこと」に入れられることも多いしね。


 それで共通範囲を生み出せずにいるっていうのはすごくつらい事態だよ。みんなが(始業の30分前に出社して仕事するのが当然だ!)って思ってるけど自分は(いやだ〜。定時前に働くのなんてぜったいやだ〜。)っていう状態とか。
 これ難しいのはまず相手の許容範囲を広げるのが難しい。自分一人で30分前を拒否したり、場合によっては始業前業務がいかに間違っているかを話したりするとする。それで周りが彼を肯定的に見る(許容範囲が広がる)ようになるかというと、(俺は損してるのにあいつずるい!)にしかならないことが多かったりする。その(あいつずるい!)が大勢を占めてる環境だとなかなかひっくりかえらないよね。運動部なんかもそうなんかな。
 居心地の悪さに屈せず自分が正しいと思ったことをし続けなさい、って伝道師みたいな態度をすべての人に期待するのは難しい。
 それで仕方なく彼もいやいや30分前から働き始めたとする。自分の思想と行動に齟齬がある状態はつらいから、行動を変えられない以上、思想を変えていくことになる。(まあ、そうは言っても朝って効率いいし)、(その分自分の能力も高められてるし)等々……
 そうして結果的に自分の側の許容範囲を広げてしまう。そしてそんな自分を否定するのはつらいから、次の新人がきたら「30分前に働くのが当然だよ!」って言ってしまう。こうやってゾンビが増えていくように悪化していく。


 こうした人たちをただ「社畜!」と罵って「会社辞めればいいじゃん」って無責任に放言する態度をぼくは心底軽蔑してるんだ。一般市民が徴兵されて戦争で人を殺したのを「殺人者!」って罵って安心するなんて態度が可能なのかな、っていうのと似てると思ってる。
 兵役のたとえは無茶だよ、だって職業選択の自由があるわけだし、って言われるとほんとかな?って気持ちになる。
 ある個人が、思考のツールを持っていること、努力する資質があること、リスクをとった行動がとれること、人生をコントロールできると信じられること、多少の金銭的余裕があること……そうした何もかもをその個人の自己責任と言い切れるだなんて信じてない。そうして諸々の帰結としてある職業を誰かが「選択」しているとき、それが兵役と比べてはるかに自由な選択だったと本当に言えるのかな、ってことをずっと思ってる。
 不可避的な苦境の中にあって自分自身をなお肯定して救済しようとしたその姿勢を、対岸の火事と見なして安心しながらただ非難する態度はどうなのって思ってるんだ。どうして彼がそこに陥ったのかをよく見ることも、自分自身がそうであったかもしれないと実感することもなしに安全に罵れるっていう退屈な信仰は耐え難いよ。


 あとね、1回きりの人生でそうやって他人の目(相手の許容範囲)を気にしてやりたいこともやれないこんな世の中じゃ……ポイズンだよー、相手にとって自分を理解しやすい存在にさせてく努力なんてむなしいよって言われるかもしんない。
 そうだね。
 でも、自分を説明可能な状態においてくゲーム、相手と自分の許容範囲を広げて居心地よくするゲームをしてるだけって割り切れば多少は気持ちも楽になるかもしれない。わけもわからず職場の居心地が悪い、みんな俺のこと分かってくれないって苦しむよりか、そうしたルールが働いててそんなゲームの中でみんな動いてるだけ、くらいに思えば少しは周りの景色もすっきりしていいんじゃないかなと思ってんの。
 人生はよりよい方向に変化させる必要があるとか、他人とは違う自分にならないといけないとか、自分の価値を高めて売り込むとか、きたるべきグローバル社会でビジネスパーソンは英語ができなきゃだめだとか、金融リテラシーが必要だとか、そうした命題と同じくらい無意味で、同じ程度に有益な認識だと思ってる。(ここでさして優劣がないっていうのは、価値判断が原理的に、何事かを主観的に前提することなしには成立しない、どれほど客観的で正しく見える命題でも底の底では主観的な選択が入り込むほかないっていう意味でそう言ってるんだ。)
 英語勉強するのも、自分を分かりやすくするゲームするのも、パズドラするのも、仕方なくやってると思うと人生の空費に思えて辛いんなら、自分でやろうと思ってやってる、空費である/ないは客観的に決定されるわけではなくて自分の好きに決定できる、って思ってた方がまだ楽だよねってこと。


 そんなことよりさっきからずーっと、さかなクンのこと考えてる。
 さかなクンはギョギョーッてゆって本来説明のつかない奇声だけど、「さかなクンだから」で説明になってみんな平気になってる。もちろんさかなクンはさかなのことすごいって部分で尊敬されてて「自分に許せる許容範囲」を広げることなく(ギョギョーッ、キャァーッていうのを我慢しないで)、「相手にとっての許容範囲」を広げてるってところはあるのかもしんない。それにテレビの中だとみんな安全(貞子みたいに出てこないし)だから、かえって変わってる方が楽しいと思ってもらいやすいってこともあるかもしんない。
 そうやってずっとギョギョーッて言っててもそのうちみんな何とも思わなくなるってこと考えると、自分をわかりやすくするゲームも無理して頑張らなくていいかもしんないって気になってありがたいね。だから職場の人の前でちんちんかいてても(ズボンの上からね)最初はどんびきされてもそのうち、あ、またかいてるなーって思われるだけになると思う。すごく夢があるって感じする。