やしお

ふつうの会社員の日記です。

ふつうの生活が、ウソみたいに思える

 ふつうに会社通って、給料やボーナスが振り込まれて、特にお金の心配もせずに、パソコンくらいならお金を貯めようと計画しなくても平気で買える、海外旅行しようと思えばできる、そういう自分の状況が、何か嘘みたいに感じることがたまにある。


 母親は中卒で田舎から町に出て住み込みで美容師になった人で、父親は高卒で集団就職で九州から大阪に出てきた。そのあと両親ともパチンコ屋で働いてたんだけど、僕が中学出て高専に入ったちょっと後くらいに店の社長・専務親子と対立して失職、それから二人ともいろんなバイトやパート(ガソリンスタンドとかチェーンのすし屋とか新聞配達とか……)を続けて学校を出してもらった。特にぼくが就職する直前くらいがとても経済的に逼迫して、いちおう自分のバイト代もちょっとは入れてたけどたいした足しにはなってなくて、ずっとお金の心配するみたいな生活だった。


 そういう記憶があるせいか、大きな会社(メーカー)の技術系で、当たり前みたいな顔して働いてるのが、いったいこれは何かの間違いなんじゃないかと思うことがある。
 毎日会社かよって、交通費は出るから定期代の心配なんてしないし、職場では理不尽なこと言う人もほとんどいないし、むかしバイトしてた飲食店のランチタイムみたいに休む間もなく動き続けたりはしない。好きなときにトイレいくし、みんな自分のパソコンが支給されて当たり前。
 そういう生活してるけど、たまに、いや違う、コンビニで学生バイトに「あいつ使えねえ」って陰口叩かれながら生きてくのがほんとの自分なんじゃないか、という気にたまらなくなることがある。


 たしかに工学(機械、電気、ソフト、光学等々)の基礎的な知識や製品の技術的な知識が身に付いてて、ワードやエクセルでそこそこの報告書が作れたり、ビジネスっぽいメールを書けたり、あるていど英語の読み書きができて、社内外の人とコミュニケートできたり、そうした別段すごいわけでもないスキルひとつひとつを身の上に実現させた存在にそれなりの価値があるから、お金の心配しなくてもいい程度の賃金を払ってもらえるんだということは理解できる。資本主義って言えばいいのかそういう仕組みになってるんだということはわかる。ただ実感としてはずっと納得がいかないままなんだ。


 両親のおかげだったりリーマンショック前に就職できたとかで環境が整ったから、たまたまそうなってるだけなのに、父親があんな大変な思いでバイトして稼いでた金がこんなに苦労なく(というかさしたる心労なく)手に入るなんてウソじゃないのか、という感覚。


 こんな違う世界があったよ、そうした世界にぽんと放り込んでくれたのはたぶん、ありふれてるかもしれないけど、実はすごいことなんだと思う、とても感謝している、ということを父親に言おうと思ってたら突然亡くなってしまったので、母親には言おうと思う。
 就職したあと、地元に帰って会うとたびたび父が就職する直前の貧窮のことを「あのころは悪かったね」なんて本当に申し訳なさそうに言ってた。そんなことないのにと思ってたのに「いや、別に、ぜんぜん……」みたいな風にしか返してなかったのを今でもちゃんと言えばよかったと後悔し続けてる。


 母親からはたまにお金を貸してほしいと頼まれて振り込むんだけど、ちゃんと返してくれるのにそのたびに「いつも申し訳ないね」と言う。できる範囲でできることしてるだけだし気にしないでよ、返すのなんていつでもいいよ(返さなくてもいいんだよ)とは言ってる。でももっとはっきり、あなたたちがしたことは結構すごいことだと思ってる、本当に感謝しているのだとこんど言おう。
 あと姉(11歳はなれてる)には昔自動車学校のお金を出してもらったりした。今でも本当にありがたいと思ってると言う。姉の子供たちにもやさしくする。


 バイトと派遣で生活しててあまり金銭的な余裕のない同い年の友達とよく遊んでる。ディズニーランドに行ったことがないという話をしたら彼に「じゃあいこうよ」と言われて「いいよ。いつ?」って聞いたら「うーん、おかね貯めないといけないから」と2ヶ月先を指定されたとき、あっ、と思った。別に俺の生活レベルが当たり前じゃない、ってことを急に突きつけられたりする。親だけじゃなくて、そうした知人や、ツイッターの人とかから不断に自分の生活に対する違和感が与えられる。
 でももし親が同じような大企業の会社員で、大学に行って就職して、周りもそういう人たちしかいなかったら、ひょっとしてこんな風に「これはなんかの冗談だ」と思ったりしないのかなと思うと、不思議な感じがする。