やしお

ふつうの会社員の日記です。

紛れもなく、この人の思考

 父が死んで1年になる。去年のことや父のあれこれを、ぽろぽろ思い出してる。


 一人暮らしのアパートで亡くなった。64歳だった。
 遺品整理で父の部屋を見たときにノートが何冊もあった。父の端正な字でびっしり埋められていた。そんなものを書いているとはまるで知らなくて、目にした瞬間驚いたというか、身震いするような衝撃だった。なにか途方もない感じがした。


 父にはほとんど知人がいなかった。離婚したけれど母が同じ市内にいてときどき連絡をとっていたのと、遠く離れて暮らす僕だけだった。趣味もとりたてて持っているわけではなかった。他人から見れば、ただ意味もなく日々を過ごしていた「独居老人」の「孤独死」ということになるんだろう。


 確か2006年の冬ごろ、おばあさんの孤独死のニュースを報道ステーションで扱っていたことがあった。わざわざおばあさんの自宅前でリポートして、おばあさんが友人も趣味もなくただタバコを吸うのを楽しみに暮らしていた、寂しいことだといったことを男性アナが伝えていた。極めて不愉快だった。
 寂しいかどうか他人が決めるな。意味のない日々だなんて勝手に決めるな。そんなことは本人が決めることだと思った。


 父親の部屋にあったレトルト食品やアイスを母親の家にもって帰って少しずつ毎日食べていった。チンするご飯にレトルトカレーをかけて食べながら、こういう毎日を過ごしてたのかなと寂しいような気になった。
 だけどそんなのは失礼だと思った。僕を含めて他人がそれを寂しい生活だと評価を一方的に押し付けるなんてだめだ。自分だって同じだ。一人暮らしで一人でご飯食べててもテレビ見たりしてそれで当たり前に暮らしているのだから同じことだ。


 他人から見れば「独居老人の孤独死」とカテゴライズされる事態を父は迎えたけれど、その父が残したノートの存在を知って、そんなカテゴライズが全く無化される思いがして身震いしたのだ。
 学があったわけじゃない。明晰だったわけでもない。こんなノートを書いたところで世界に何も影響なんてない。だけど、確かに「歩み」のようなものがあったのだ。「無意味な日々を繰り返す」のとはやっぱり違う。




 だけどノートを改めてよくよく見てみたらがっかりした。それは新聞の芸能欄とかの書き写しだった。ただ書き写してあるばかりで、なんのコメントも加えられていなかった。一時期、朝日新聞天声人語を書き写すのが世間ではやったりしたことがあったから、その影響かもしれない。日記か何か、父の生前の思考があるのかと思って最初期待していたから正直すこし失望したのだ。
 あとは家計簿も残されていたけれど、そこにも特にコメントのようなものはなかった。そういえば誕生日にCDラジカセをあげたけど、どう思ってたんだろう、うれしかったんだろうかと思ってその頃の家計簿を見たけれど、受け取った事実だけでそれ以上のことは書かれていなかった。


 父がなにか思想を語るというのはほとんど見たことがない。ニュースや何かで聞いた話をぽつぽつ話すことはあるけれど、自分の意見というのを言ったりすることはなかった。
 好きな食べ物とかでさえ、こちらから「これが好きなの?」と聞くと「そうだね」と答えるくらいだった。
 「自分の意見を言わなければいけない」といった前提を持っていなかったのだろうし、直接的に思想を語る道具、方法や言葉を持っていなかったのだろうと思う。終戦から3年後に生まれて2歳で両親をなくし、親戚をたらい回しにされた後に厳しい養父母の家庭に入ったことが、自分の意思を言葉の形にまとめて表明しようとするインセンティブを減少させたのかもしれない。


 父から何かを教わった記憶をあれこれ辿ってみても同じだ。子供のころ、自転車の乗り方だとか、キャッチボールだとか、逆上がりだとか、あと部屋に布団をかさねて柔道の投げ技とかをやった。中学以上はもうほとんどないけど、車の免許を取った後、助手席に座ってもらって練習させてくれたくらい。
 どれを思い出しても、なにか言葉で説明してくれるということはなかった。要素を言語化して説明、という感じでもないし、あまり体系的な説明という感じでもなかった。
 そんな人がノートにだけ思考を書き綴っていると考える方が不自然だと納得した。




 もともととても片付いている父の部屋で遺品整理を続けていたら、押し入れの中に大きなアマゾンの箱があった。ネットなんてしないのに、それに空き箱や不要な袋の類いが他に一切残してないのに変だなと思って開けたら、中にCDラジカセの空き箱が入っていた。誕生日にあげたやつ、ノートにコメントも書かれていなかったし、電話で話した時も軽くお礼を言われたぐらいのものだったけど、ああ、わざわざ箱なんてとっとくくらい、あんなでも、お父さんうれしかったのかなあと思ったら泣けて仕様がなかった。


 ああ、そうだと思った。別に意識して言語化されていないとしても、だからってそれで思考がないということなんてないんだと思った。言葉で伝えるところがなかろうと、繰り返し同じものを食べていれば好きなんだろうなと思うし、別に服の好みを語っていなくても、いっしょに旅行にいくたびにあの変なダサいTシャツを毎回着てくるところを見れば気に入ってるんだろうなと思うし、あのノートにしても、アンダーラインが引いてあったり、文字の色を変えていたり、記事の選び方といった端々に、この人の思考が確かに紛れもなくあるんだと思った。


 確かに父の思想があったとして、それは言葉という形で表現されたものではなく、それだから別に社会的な影響力も持ち得ないし、息子である僕自身にとっても把握して大きな力を持ち得るものではない。だからといって無意味なわけではない。
 昔、まだ僕が17,8歳くらいだったころ、誰にも伝わることのない、影響を与えない思想や表現なんて意味があるのだろうかと思ったりしていた。でもそんなことはまるで関係ないのだとその数年後には思えるようになった。それを父の死に際して、改めて突き付けられるようにして思ったのだった。
 あのノートは確かにただ新聞記事を写したものに過ぎない。だからといってあれが父の思考と無縁とは言い難い。そもそもみんな「自分の意見」だと思って表明しているものもその実、これまで受け取ってきたものの組合せに過ぎない。自分だって中学生のころは、ニュースのコメンテーター受け売りのことを恥ずかしげもなく言ったりしてた。
 その延長上で、組み合わせ爆発が起こるようにしてあたかも自由に思考でき、自分の意見を形作れる(と思える)ようになってきたのだ。その組み合わせ爆発の前、相転移がふいに訪れる前の、極めて個人的な一歩一歩が、本人の意識とは無関係に確かにあのノートにあったのだろうと思う。
 感動という言葉があまりに手垢まみれなのでみだりに使いがたいとしても、父のただの新聞の書き写しノートの上に、それでも思考がここにあるのだと思ったあの体感は、感動と呼ぶに値するものだったと思う。