やしお

ふつうの会社員の日記です。

柄谷行人『遊動論』

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/35580458

柳田がマイノリティへの視点を放棄したという誤解をとく本。柳田自身も、彼を評価・批判する者も時代状況からは免れない点、時代=文脈を見ないと正しく読めない点をまずは確認する。そして放棄したと誤解される山人が、先祖信仰や妖怪、狼と形を変えて保持されることを示す。柳田はそれらが実在するとは言わないとしても、それらが信じられている/いたことを信じている。これは目をつぶって「私はこう信じる」と考えるのではなくてたぶん、どれだけ目を見開いて消そうとしても消えてくれずにどうしても「ある」と認めざるを得ないこと、だと思う。


 内容とはあまり関係ないけど、前書きとか無しでいきなり始まるのがいい。前書きで「こういう結論ですよ」、「こんな展開で論証していきますよ」と整理せずに、いきなり思考にぽんと乗せられていくのが楽しい。
 だけどそういうのは、この人の著作ならたぶん面白いだろうという信用が読者側にないと難しい。


 社会の変化に伴って、ある村とかに存在していた思考は失われる。それを国がお金出して保護しようとしても、やっぱり失われる。そんな絶望的な認識の中で、では何ができるのかというと、ただ記録をすることだ。この社会の様態が消えても、本人たちがそのことに自覚的になって、あとから認識できるようにしておくことだ。そうして認識していくというところにしか意義がない、そんな態度。