やしお

ふつうの会社員の日記です。

勉強する「気持ち」をお父さんは伝えたい

 とつぜん中学生の子供ができたときのためのメモ。


 ああ、勉強ってこんな風にするんだなとお父さんがようやくわかったのは、20歳くらいのときだった。もっと早くからわかっていればなあと、少し後悔してる。それでまだ中学生の君にとってなにかヒントになるかもしれないと思って、ちょっとお父さんの話に付き合ってほしいんだ。

勉強がめんどくさくなくなった

 興味って、「ある」んじゃなくて「自分でつくる」ものなんだとわかったとき、はじめて勉強の仕方がわかった気がした。
 興味があるから本気で勉強できるんじゃなくて、本気で考えるから興味がわいてくる。そして興味がまた考えさせて、さらに興味がわいてくる、そんな循環に気づいてから勉強が苦痛じゃなくなってきた。
 興味なかった教科でも、どうしてこの結論になったんだろう? この結果はどんな意味があるんだろう? これはあれと似てるけど関係あるのかな?……そんな疑問を立てつづけて、先生に聞いたり本やネットで調べて、わかると楽しい。授業を聞いて結論を覚えるだけなら苦痛だけど、そんなゲームだと思えば楽しくなってくる。
 それにただ覚えるより背景を理解すれば、テストでも自然に解答できるようになったしね。


 あと「こんな勉強なんてしたって役に立たないよ!」と中学生のころ思ったりもしてたけど、違ってた。
 テレビゲームだって、人生の役に立つ立たないでしてるわけじゃないのと同じで、楽しいからするんだ。もっと言えば、楽しめるようにするんだ。
 なにかを真剣に考えて、そうか、と腑に落ちると楽しい。自分が少し前の自分よりも進歩したんだと思える達成感がうれしい。
 意味があるんじゃなくて、意味を自分で作っていく。


 そうやって興味は自分で作れるけど、その中から、自分でコントロールしてるレベルを越えて圧倒的に興味がある何かが出てきたら、人生かけて取り組めばいいと思う。

理科

 すごく分野が広いから、大きく共通する「理科のこころ」の話をしたい。
 ひょっとしたら理科の教科書に載っているのは、絶対ゆるぎない真実だと思ってるかもしれない。だけどそれはちょっと違う。お父さんもむかし勘違いしてた。
 「こういう風に考えると、この現象をうまく説明できる」と誰かが考えて、それをみんなが受け入れていった。「(とりあえず)こういう風であるとする」というのが仮定だ。いくつか仮定を設定して、上手に仮定を組み合わせるといろいろなことが説明できる。そうして導かれた結論たちを組み合わせて、さらに別の結論を導いていく。
 このとき「いちばん少ない仮定で、いちばん多くのことを説明できるのが、いちばんいい」っていう方針がある。(ちなみにこれを「オッカムの剃刀」という。)そうしていちばんいいと考えられた仮定が選ばれて洗練されてきた結果が、君の目の前にある理論だ。
 だから今の仮定では説明できない現象が見つかることだってある。そうしたら別の仮定に変えたり、増やしたりする。そしてそうした理論の体系は一つきりじゃなく、親子みたいな体系、兄弟みたいな体系、まるっきり他人みたいな体系といろいろな体系が存在している。
 詳しいことはいつかまた話すとして、科学が示すものは、静かに永遠にずっとそこにある真実なんかではなくて、人がダイナミックに創造して「そうやって見ている」というものなんだ、ということをまずは伝えたかった。


 あとはちょっとしたコツの話。単位を意識できるようになってから格段に楽になったって経験をした。
 単位には大きく3つの規則がある。1つ目が、足し算引き算は同じ単位同士でしかできない。5km-3kgなんて計算には意味がない。
 2つ目が、違う単位同士での掛け算割り算はできて、その結果は別の単位になる。8km÷2h=4km/hと、距離を時間で割ると速度の単位になる。その新しい単位はもとの掛け算割り算をそのまま反映している。そして単位の形を見れば、時速[km/h]に時間[h]をかければ距離[km]になるということがわかる。
 3つ目が、等式の両辺で単位は同じになる。(長さ)=(重さ)なんて式は意味がないっていうと当たり前みたいだけど、高校生になって複雑な単位を扱ったり、数字じゃなくて文字で式を組み立てていくときによく間違えたりするんだ。
 この3つの規則を守っているかチェックをしていけば、へんな式を書いて間違えるってことがうんと減る。
 さらに「単位の次元」という概念がわかると、もっと楽になる。長さ、時間、質量の3種類の組み合わせで成り立っている単位と、そのどれも使われていない単位に分けて考えるやり方だ。これはまた高校生になったら話そう。


 それから理科に出てくる数式には、必ず何か現実のイメージを伴っている。だから「公式がこうだから」で数字を当てはめるより、その公式の一つ一つの要素がどんな現象のことを表現しているのかなと考えるとずっとよく理解できるようになると思う。
 ちなみにもし君が大学生になって、工学系に進んだとしたら、この本が本当におすすめだ。きっと数式のイメージを把握する手助けをしてくれる。



数学

 中学校で出てくるような数学の問題なら、だいたいスタート地点とゴール地点が示されてる。問題が解けないとしたら、そのスタートとゴールの間に、はしごのかけかたが分からないか、はしごを持ってないかのどっちかだ。


 はしごのかけかたが分からない。いろんな理由があると思う。
 例えば、自分がどこに立ってるのかわからない。スタート地点がわからない。
 与えられた情報、前提を見落としてないか洗い出すといいかもしれない。そしてそれを整理する。図に情報を書き込んでひとめで見えるようにするとかね。「三角形ABCとCDEは合同だ」という前提があるなら、それを分解して、図の同じ長さの辺に記号をつけて見分けがつくようにするとか。


 自分がどこに向かえばいいのかわからない、ゴール地点がわからないのかもしれない。
 問題文には「辺AB=EFであることを証明せよ」とか「xの値を求めよ」とかゴールは書いてある。だけど同じことを、別の表現に直せないだろうか。たとえば「平行四辺形であることを証明せよ」と同じ意味になってるかもしれない。ゴールを別の表現に直して、それをたくさん並べてみたら、そのうちのどれかにはしごをかけられるかもしれない。


 それから、はしごは持ってるけど短すぎて届かない。ならスタートからはしごをかけて、ゴールからも別のはしごをかけてみて、それではしごとはしごの両端がくっつけば、登れるかもしれない。途中にうまく足場をつくって、まずはそこまではしごをかけてゴールに近づけばいいかもしれない。


 いろんなアプローチがあると思う。
 こういう作業、自分がいまどこにいるのかを把握する、自分がどこに行きたいのかを見定める、そして今自分がどんな道具を持っているのかを自覚する……それは数学に限らず、ものを考えたり、判断したり、行動するのにいつだって必要な作業だから、その練習だと思えば数学の問題も悪くない。
 「こんなアプローチがあるよ」というのをまとめてくれてる本があるから、紹介しておくね。


大人のための数学勉強法 ― どんな問題も解ける10のアプローチ

大人のための数学勉強法 ― どんな問題も解ける10のアプローチ


 あとは、はしごを持ってない。この問題を解くにはこの公式を使うんだけど、忘れちゃったとかね。しょうがないよね、って諦めるのか? そんなことはない。はしごをその場で作れるくらいになれればいいだけだ。
 三角形の面積の公式「(底辺)×(高さ)÷2」だって、三角形をひっくり返して二つ並べれば平行四辺形になる→平行四辺形の角を切って反対側にもってこれば長方形になる→長方形の面積は「(たて)×(よこ)」。そのイメージをつかんでおけば、公式を忘れてもその場でなんとかなる。
 高校、大学と進むにつれて複雑な公式がどんどん出てくる。試験中に、あれ、この公式のここ、マイナスであってたかな? と急に不安になる。でもなるべく簡単なイメージや公式から、順番に導けるようにしていれば安心だ。「ここがマイナスなのは、こういう意味だからだ」とわかっていれば不安になることもない。
 それにわけわからないものを丸暗記するのは、つらいからね。


社会

 お父さんは中学生の時、社会科を完全に捨ててました。高校じゃなくて高専を受験したんだけど、入試の科目になかったしね。それに、「暗記科目なんて何の意味があるんだ!」と思ってたからね。でも今になって、もっときちんと勉強していればよかったと後悔しています。


 歴史と地理に関して、こんなアプローチで勉強すればよかった。
 とりあえず大きなところを把握する。日本史だったら時代区分の名前と順番を覚えてみる。それから各時代の支配者(一族)の名前を覚えてみる。そして時代と時代の間に何があって何が変わったのかを知る。骨を並べてから、関節をくっつける。大きな流れをまずは把握する。
 日本史ならこの本とかそんな作業にちょうどいい気がする。古代から現代までを一本の流れでいっきに見せてくれる。


2時間でおさらいできる日本史 (だいわ文庫)

2時間でおさらいできる日本史 (だいわ文庫)


 日本の地理ならこの本とか。この辺に山があって、だからここは雪が多くて、みたいな話を全国分、県の中の地域区分でざっと見せてくれる。



 詳しい人はこんな本、間違いだらけって言うかもしれない。こんな単純じゃないぞと言うだろう。そしたらその箇所を自分のなかで修正したらいい。歴史でも地理でも全体のマップを自分のなかに作って「この話がどこに位置するのか」がわかれば、「わけわからないままとにかく個別に丸暗記」という苦痛から逃れられる。そして少しずつマップを詳しくしていく。
 詳しくしていった果てに、最初の大まかなマップの形自体がまるっきり姿を変えてることに気づいたら、ものすごい驚きだ。このびっくりを味わうためにいままで勉強してきたんだ! と思えるかもしれない。


 それから逆に、狭く細かくからも同時に攻めてみるといいかもしれない。
 漫画の『日出処の天子』を読めば聖徳太子周辺にむやみに詳しくなるだろうし、『影武者 徳川家康』を読めば家康周辺だけ詳しくなれる。大河ドラマでもいい。こんなのフィクションで史実じゃない。だけどウソでもそのキャラにイメージをつければ、忘れるってことがなくなる。「記号としての人物」から「ぼくの知ってるあの人」に変える。
 そうやって置いた点を足掛かりにしてちょっとずつ詳しい範囲を広げていくのもいい。


 大人になってつくづく、点として入ってきた情報が、他のいろんな点とリンクしてきちんと確かな位置をしめて自分のなかに収まることが、どれだけうれしいことか痛感してる。博物館にいって何かを見ても、ニュースで世界のどこかの地域の話題を見ても、それができるかどうかで面白さがまるで違うんだと大人になってから気づいた。
 調べればわかることなんて記憶する必要ない、と昔は思ってたけれど、あの大きなマップが自分の中にあるかどうか、どれだけ詳しいかどうかで、いきなり入ってきた情報をどれだけ豊かに捉えられるかが決まってくる。
 それがテストの点数に直結するかはしらないけど。


 あと公民のこと忘れてた。
 「社会の仕組みはこんな風だよ」という話。最初は「ふーん、そうなんだ」と覚えるだけでいいかもしれない。だけどその後で「なんでそんな仕組みになったんだ」を考えるのが大切だと思う。
 ツイッターとかで未成年者が飲酒してるのを見つけて、炎上してその子が退学に追い込まれたりする。だけど未成年者禁酒法というルールがどこから生まれたか考えれば、そんなのおかしいとすぐに気付く。子供の健康を守るためにできたルールを逆手にとって子供の人生を叩き潰して、それが正義だと思い込んでるなんておかしいということがわかる。この法律の罰則の対象が子供ではなく、子供がお酒を飲むのを見過ごした親や、売った店にあることを考えたってすぐわかる。
 そんな「どうやって生まれたルールなのか」の視点に立てば他にも、憲法は国民の義務、だなんて誤解もせずに、国民の権利を実現するために国家に課された義務、だと理解できる。
 こういう疑ってみる姿勢は別に、公民に限った話じゃないけどね。


英語

 英語は日本語とちがう。あたりまえだけど、中学生のときお父さんちゃんとわかってなかった。
 英語は言葉の順序がゲンミツに決まってる。順序が、単語から文章を作っていく。日本語は「てにをは」が単語から文章を作っていく。この違いの意識がなくて、単語の並べ替えテストをフィーリングでやってた。なんとなくしっくりくる/こないで答えてた。中学生まではそれで何とかなったけど、そのあとは無理だった。
 英語は、「誰(何)が、何する」という形がコアにあって、そこに「何を」「どんな風に」「いつ」「どこで」といろんな情報を付け加えていく。どんな順番で付け加えるかも、ゲンミツに決まってる。語順をひっくり返したり、省略したり、複雑に組み合わせたりといった操作でいろんな表現も出てくるけど、根本的にはいつだって、この「誰(何)が、何する」がコアにある。


 じゃあ、そんな順番のルール=文法をどうやって身につけるのか。
 文法を解説した本を読むのも大切だけど、それだけじゃむつかしい。ルールブックを読んでサッカーができるようにならない。基本的なルールだけ覚えて、実際に練習試合に出て失敗して、「そうか、今のはダメなのか」と痛い目見ていけば、複雑なルールも身につけられる。
 この本なんかおすすめ。


どんどん話すための瞬間英作文トレーニング (CD BOOK)

どんどん話すための瞬間英作文トレーニング (CD BOOK)


 これは基礎練習だけどパズルみたいで楽しい。簡単な日本語の文章をぱっと英語で口に出せる練習。難しい単語はいっさい出てこない。言葉の並べ替えを身につけるための練習だからね。
 最初は基本の「誰(何)が、何する」の形から初めて、少しずつ、一歩ずつ複雑になっていく。一冊終わると、中学校でならうルールを一通り身につけられるって寸法だ。


 それからもう一つすごく大事なのは、発音だ。これができるかどうかで、勉強の楽しさがぜんぜんちがう。
 これはお父さん絶対に保証するけど、ネイティブじゃないから発音がへたくそなんじゃない。ひとつひとつの要素を大切に意識していないから、へたくそなだけだ。よく意識して丁寧に練習していけば、誰でも間違いなくきれいに発音できると信じている。
 すべての子音の口の形を正確に身につける。母音の発音にはバリエーションがあることを理解する。最初に土を耕す作業をちゃんとすれば、きれいなお花も咲くってもんだ。
 それから実際の単語を一字ずつ正確にゆっくり発音していく。日本語みたいに母音を勝手に追加しないように注意する。単語のアクセントの位置を覚える。文章全体のアクセントの位置に慣れていく……。実際の音もよく聞いて、真似して、どうしてそうなってるのかも考えて、そうして何年か経てば当たり前みたいにできるようになる。
 音読するとお口の運動という感じで楽しくなってくる。勉強をどれだけ面白くするかが続けるために大切だし、しかも実践的で、一挙両得のしくみ。


 ほかにも、品詞を理解するとか、語彙を増やすとか、いろいろあるけど、長くなっちゃったからここまでにしておこう。


国語

 現代文の読解、実はお父さんテストで苦労した経験がほとんどないから上手にアドバイスできる自信がない。
 でも授業よりも先のレベルでその後、むずかしくて何が書いてあるのか読めない! っていう本にはいっぱい出会ってきたから、その時の付き合い方のお話をしてみたい。


 ぎりぎりわからないくらいの難しい本を読んで、こういうことかな? これはあのことを言ってるのかな? と本気で考えてまた別の本を読んでいく。それを繰り返していくといつのまにか、昔難しかった本がびっくりするくらい簡単にわかるようになるんだ。それにはいろんな理由があるんだろう。


 例えば同じ人の別の本や、別の人が書いた本を読めば、いろいろなちがった面からものを見ることができる。だんだんその「語られているもの」のイメージが自分の中で出来上がってくる。そしてイメージが出来た後から、それが語られているのを聞くと、とてもよくわかるようになってるんだ。
 リンゴのことを全く知らずにリンゴジャムの製法を聞いてもよくわからない。でもいろんな人から話を聞いていくうちに、少しずつリンゴのイメージができていく。その後でもう一度リンゴジャムの製法を聞けば、ずっとよく理解できる。
 リンゴみたいな具体的なものじゃなくて、「考え方」とか「ものの見方」でも同じだ。


 それから難しい本というのは、「途中式」を省略していたりする。「AならばBである。BならばCである。」って書いてくれればわかるのに、いきなり「Cであるから〜」と言われたりする。でもだんだん慣れてくると、その省略された前提や途中式を自分で補う力がついてきてわかるようになってくる。ほかにも、とても長いセンテンスや、複雑な論理関係を把握できる力がついていったりする。


 「ぎりぎりわからないくらいの本」を本気で読み続けるのはとてもしんどい。投げ出したくなる。だけどそれを読み終えた時には、読む前よりも自分が少し広がってる。そして繰り返していくと、世界の見え方がまるで変ってることに気付く。
 この喜びはすごいよ。一度体験すると、それを期待しないなんてあり得なくなってくる。そうすればもう、「ぎりぎりわからないくらいの本」を読むのをやめられなくなる。
 それで疲れたら、やさしい本を読んで休めばいいしね。


 日本語でものを考えたり理解している以上、国語の読解力が上がるということは、あらゆる教科や分野で考える力が広がるということだから、やって損はないと思うんだ。




 それで子供が(うるせえ!うぜぇ!)みたいな顔して、おれ、にーやにやする。
 それでいいよ。おれの料理を食え!って強要したいんじゃなくて、材料をあげるから勝手に料理してね(べつに使わなくてもいいけど)って感じだから。