やしお

ふつうの会社員の日記です。

施しの流儀

 かつてタモリは他人の家を転々としていたという。居候を続けるコツは「この俺がお前の家に住んでやっているのだ」という気持ちを若干出していくことだという。相手になにか「住んでいただいている」ほどの気持ちを抱かせれば追い出されることもないのだという。
 一方、田中角栄は金を人に渡すときは素早く、低姿勢を実践していたようだ。しかも相手の想像する以上の金額を渡す。そうして心底感謝される。


 施すときは丁重に、施されるときは尊大に。
 これが肝心なのだ。もちろん常識から転倒しているからこそ教訓たり得る。実際には難しい。


 身に覚えがある。
 金欠の友人に500円出すからと言って映画のレイトショーに誘った。ところが彼は私に500円を渡す。え。こっちが500円おごるって意味で言ったんだけど……と言うと、不満そうに200円を追加で渡される。
 おごったのに非難されて釈然としない私。想定より多く払う羽目になって不満げな相手。お互いにとってひたすら不幸な出来事だ。
 自分が全く愚かだった。
 覚悟が足りないのだ。
 はなから1200円全部出せばよかった。こっちが付き合ってもらってるから気にしないでくらい言うべきだった。その上ポップコーン代も払うくらいじゃないとだめだ。
 中途半端な施しは仇になる。しない方がましだ。
 10万円でも100万円でも同じだ。相手を落胆させる施しはかえって恨みを買う。やるなら損得を度外視するほどでなければだめだ。


 施されるときがもっと難しい。施してよかったと相手に思わせる。相手の顔が立たないような遠慮はしない、大きく感謝を表現する。そこまでは努めてできても、尊大さで相手を満足させるバランス感覚まではなかなか持ち得ない。
 丁重さで施し、尊大さで施される。ほわわ〜。