アニメ『たまごっち』シリーズには「たまペット」が登場する。たまごっちが連れているペットなので「たまペット」と呼ばれているらしい。
見た目は千差万別だ。ペットらしい犬のような「たまぺっと」もいれば、メロディっちの「たまペット」、どれみっちとそぷらっちのようにカービィに似た形状で綿菓子のような質感のものもいる。たまごっち達が互いにまるで似ておらず極めて多様な形態をもつように、「たまペット」達の姿も多様である。たまごっちか「たまペット」かは見た目ではよくわからない。たまごっちよりも大きな「たまペット」もいれば、小さなものもいる。
一体たまごっちと「たまペット」を分かつものは何なのか。
それは知的レベルの差なのだろうか。確かにどれみっちとそぷらっちは合理的でない行動を取ったり、みゅみゅー、きゅきゅーなどと鳴くばかりでいかにも知能が低そうに描かれている。しかし主要キャラのくちぱっちもここ最近は「大食いのバカ」、「知的に後退した心優しき力持ち」といった態で描かれており、急速にその知的レベルを低下させて「たまペット」と大差ないレベルに陥っている。
そして実際、「たまペット」達の知的レベルは低いわけではない。まめっちの発明した翻訳機などを通せば、たまごっち達と対等に会話が可能なのだ。記憶に新しいところでは、三日月イルカっちの言葉をウォッチリンが通訳している。バウリンガルのような疑似翻訳ではない。「たまペット」達は完全に言語を獲得している。
普段は言葉が通じないだけで知的に対等な相手を、「ペット」と呼んで自分達と区別して扱う。
奴隷ではないか。
奴隷制をマイルドに呼んでいるだけではないか。しかも「言葉が通じない」という線引きすらも曖昧である。主人公まめっちとその妹ちゃまめっちの「たまペット」、ハピハピっちは普段からたまごっち達と同じ言葉で会話を交わしている。そしてちゃまめっちとは友達として描かれて、そこに知的レベルの差はまるで認められない。にもかかわらず、ハピハピっちは「たまペット」なのである。
完全に奴隷ではないか。
かわいい顔して無邪気に奴隷を飼っているのである。確かに差別は、差別構造への自意識を欠いて立ち現れる。
ところで『たまごっち』には肉料理が登場する機会はあまりないが、絶無でもない。例えばくちぱっちが作った中華まんの中に肉らしき具が入っていたこともある。あるいはハンバーガーを食べていたこともある。
一体それは何の肉なのか。
うしっちという牛に似た生物がいる。飼われていない野生の(?)者共についても「のらたまペット」などと呼ばれたりしているが、もしうしっちが肉料理の原料であって、さらにうしっちも「たまペット」と呼ばれ得る存在だとしたら、彼らは「たまペット」を奴隷として飼っているのみならず、食用にさえしている。
テレビ東京かバンダイに問い合わせて万が一「そうです。奴隷です。」と回答されたらと思うと恐ろしい。「しかも食用です。」アムネスティが黙ってはいまい。
でも……そんなこと関係ない……「ゆめにむかって こころキラキラ。」ただそう唱えればいい。頭カラっぽにして無心で唱える……「ゆめにむかって こころキラキラ。バッチグー。」そうすればもう、なんにも気になることなんてない。ただしあわせで心温まる「たまとも」の世界に身をゆだねればいいだけだよ……