やしお

ふつうの会社員の日記です。

自分を縛ってうれしいタイプに有利なルールで生きてる

 自分に制約を課すことに喜びを感じるタイプかどうかって点が、一人の人生にすごく影響してくるのかとしみじみ思うことがある。


 お金ないお金ないっていつもいってる友達がいる。確かに給料は安いしボーナスもない。でも実家住みで貯金ゼロなのはそれだけじゃない。外側から見ると細かく無駄遣いしてる。金遣いが雑なんだ。
 毎日スタバ的なカフェに行ってる。すぐ機種変しようとする。タバコをやめない。よくコンビニで買い物する。外食ばかり……
 一点一点はささいなことだ。「そりゃ給料は安いけど、ちょっとくらい贅沢しなきゃやってらんないよ」というのもわかる。けれど、それが漫然と全領域にわたっていればお金もなくなる。週払いの給料を使いきる生活をしている。


 ふと自分が就職したときのことを思い出した。これから給料もらって自活していくってときに、お金の使い方の指針を決めた。映画と本は見たいだけ見ていい(レイトショーやブックオフを利用できれば利用するけど)、でも他については日常的には一切贅沢しない、というルールを決めて守ってきたんだった。
 おいしいご飯を食べればうれしいし、スタバでゆったりした空間にいればうれしいけど、冷静に考えると無くても別にどうってことなかった。
 マックの100円コーヒーで十分だし、会社でペットボトルのジュース買わなくてもポットのお茶で十分だった。おいしいご飯はたまに友達といく食事で十分だ。たまにまとまったお金を使う方がずっと楽しい。


 これはお金の使い方に限らないんだと、ふと気づいた。
 何か少し遠くの喜びのために、自分に制約を課すことが嬉しいというタイプかどうかという点に差があって、それが金遣いでも健康面でも時間の使い方の面でも出てきてしまう。
 彼は野菜や魚を十分にとっていないし、歯や歯茎のケアも不十分だ。それからゲームをだらだらとしてしまう。小説家になりたいと言っていて書いてはいるけれど7年経って一つも完成させていない。
 そして今、安い給料で不安定な地位で働いているということも、そのタイプの差がきいている。大学に入ったのに、なんとなくやめてしまって、ずっと実家暮らしでバイトをしてきて、30歳手前の今、派遣で働きながら正社員を目指して就活してる。高卒で、車の免許もないし資格もないし職歴もない。
 そのときそのときで当人として真剣に考えたんだろうってことはわかる。だけどその選択がことごとく、将来的な目標にむかって現時点の楽しみを若干犠牲にしながら毎日少しずつ積み立てる、という方向をまるでとらなかった。


 アリとキリギリスとは違って、僕にとってその友達は大切なので、外で凍死してろとはまるで思えない。それで貯蔵食料の一部を無償提供している。
 旅行や外食の代金を8割くらい負担したりしている。あとは就職にしても彼が、ウェブデザイナーとか向いてるかもしれないとか、貨物列車の運転なんかよさそうとか、大手がいいとか浮ついたことを言っているので、そうじゃなくて、もっと世の中には目に見える範囲にはないいろんな職業があるとか、今のあんたのステータスではかなり限定されるとか、ハローワークも選択肢として持てばいいとか、中小企業の製造業でもちゃんとしたとこなら汚いキツいってことない、機械加工でもマシニングセンタとかなら切りこだらけ油まみれなんてことはない……とか、あれこれ伝えている。それは現実認識の積立を分配しているという感じ。
 本当はもう少しアリ的態度の側に寄ってもらえれば、もっとずっと生きやすくなるのになと思っているけれど、おそらくこれは子供の頃の環境(周囲の大人の態度?)に起因するところが多いような気がするのでここを変えるのは難しいのかもしれない。


 ここで自分が相対的にアリ的な立場にいるからといって、キリギリス的な立場を嘲笑しようなんて気には全くなれない。
 どっちがいい悪いという話じゃなくて、今生きてるシステムの中でどちらがより有利かというだけの話でしかないからだ。例えば好きで野球選手になって、相手と自分の能力のどちらが上かという話ならまだ誇りうる余地もあるけれど、現行システムのルールの中で生きているのは我々にとって別に選択的なものではないのだから、その中で多少戦略的に有利な態度をとっているからといって、そんなことを誇ってもむなしい。それにもっと激しくシステムに最適化してる人(要するに金を稼いでいる人)から見れば僕の態度なんて、積み立て方にせよリスクの取り方にせよ、まるで足りないという話になるしね。
 もっと言うと、キリギリス的な立場の人がつらくなるシステム自体が変だとすら思ってる。将来的なジャンプアップを期待して、自分に制約を課して我慢して積み立てること自体を悦びにする、というアリ的な倒錯がダメだと別に思ってないけど、そうしないと生きづらさを押し付けてくるっていうシステムはどうかしてるんじゃないかと思っている。
 とは言え、現状で一個人でシステムを変えられるわけではないので、せめて無理しない範囲で友人に適応してもらって楽に生きてってくれればいいなあと思ってあれこれしてる。あとは、そもそも「そうでないシステム」の可能性があるのかということを考える(既に誰がどう考えたのかを知ろうとする)くらいしかできないので、そうしている。