やしお

ふつうの会社員の日記です。

かなしみのプレイヤー

 職場に信頼性が低い(嘘をつく手を抜くサボる)ので振られる仕事の範囲が限られている50代の人がいる。あまりにウェブばかり見てタバコ休憩ばかりなのでついに注意されてしまった。そのときおじさんは、「ちゃんと仕事を振ってくれないからだ!」と逆上していたという話を聞いて、どうしようもなく悲しい気分になった。
 ああ、この人はわかっていないのだ。仕事は自然に降ってくるものではなくて、自分で取りにいかないとやれないものなのだ。「取りにいく」と言っても毎度毎度「あれをやらせろ」「これをやります」と主張することとは限らない。そうした積極的な獲得ばかりではなく、振られた仕事を納期までにこなすことや、状況を必要な人に正確に伝えることを通して、信用を積み重ねていくと自然に、より高レベルの仕事が回ってくるという、消極的な獲得も含めて自分で取りにいくということだ。あるいはその中間として、振られた仕事を自分の職務の最低限の範囲を少し拡大して、関係者の隣り合う仕事を手伝っていくということもあるだろう。


 会社というフィールドの中で、仕事のルールに則って、プレイヤーとして評価を受けようとすればそんな振る舞いをしていかざるを得ない。ただ立っていてボールが回ってくるなんてことはないし、信用がなければボールは回してもらえない。そんなゲームなのは日本の大きな会社の中だけの話かもしれないが、いずれにせよ現状はそうしたルールなのだから、一プレイヤーとしては適応していくしかない。
 実のところ、ボールをまともに受けようとせずに、それでプレイヤーとしてゲームに参加し続けられるのなら、それは一つの戦略として立派なことだと思っている。おじさんはあちこちの職場を転々として今、私のいる職場に押し付けられているが、昔のどの職場の人も、おじさんは仕事をしていなかったと言っている。一日インターネットして、しょっちゅうタバコ休憩をとって、全ての調整は他人に任せてたまに単純作業を思い出したようにやるだけで、その辺のバイトや派遣よりはるかに多くのお金をもらえる地位を確保したのだとすれば、嫌味ではなくとても凄いことだと思っている。


 なのに、そのおじさんは注意されて、適当にあしらうのではなく、「仕事を振ってくれないからだ」とマネジメント側の問題だという認識を本気で示したのだ。自分を肯定して戦略的にやっていたわけではないのだ。
 振られた仕事を期日になって「まだやってないですけどね」と平然と言うのも、伝えられた事項を「聞いてない」と断言するのも、それらがどういう効果を生んでいるのかを知らずに他人のせいだと思い続けているのかもしれない。
 いろんな打ち合わせに顔を出したがったり、他人の話に口を突っ込んだり、研修に行きたがったり、就業時間中に英語の勉強をしたりしているのを考えると、実は今でもプレイヤーとしての尊敬を勝ち得たいと思っているのかもしれない。ただその戦略があまりに的外れで、信頼を勝ち得るやり方がわからずに心中わだかまりを抱き続けているのかもしれないと思い至って、どうしようもなく悲しくなる。


 以前は自分もこのおじさんにいらいらしていた。ゲームの一プレイヤーの視点で見れば苛立ちもする。しかし鳥瞰で見始めてからはあまり気にならなくなった。大人数が働いている会社ならそんな人がいるのは当然だし、そのサンプルを間近に見られるのは貴重なことだと思っている。
 それとは別に、生きていて自己肯定感を持てずにいる人がいるというのは、例え他人でもつらい。