やしお

ふつうの会社員の日記です。

安全な「哲学」の耐えがたい鈍さ

 俺の周りって浅いやつばっかで。趣味とか世間話とかだけでぜんぜん本音で喋らないっていうか、自分の哲学とかないのかよって。……
 「自分の哲学」をその辺の他人と交わせるはずだという無邪気な思い込みが既に、あなたの「哲学」がせいぜい安全で他愛ないものでしかないと証拠立てている。我々は知ってしまっているのだ。深化させればさせるほど根本の思想は、多数の他人に容易に受け入れられる姿から遠く離れていってしまうということを、我々は身をもって知らされてしまっている。ふと「自分の哲学」など漏らして、目の前の他人たちが困惑して今すぐ私を置いて立ち去りたいとでも言いたげな顔を並べている恐怖に少なからず見舞われているのだ。
 あなたが刀を抜いて振り回せるのは、あなたの刀がせいぜい他人に了解可能な痣を作るかどうかのおもちゃに過ぎないからでしかない。我々はあなたの模造刀で殴られる不快さを我慢してでも、真剣を抜いて事故を起こしたくないのだ。
 思想を絶えず疑いながら更新していった我々は、だから、とにかく枝葉を擦り合わせてどうにかお互いわかり合えている振りをしていく。そのための趣味の話であり、世間話なのである。あるいは結論だけを合わせていく。根幹を交わすなど危険すぎるから、生きるには他人と関わらざるを得ない中にあって、せめて枝葉を共有しようと必死なのだ。
 あなたがどれだけ「お前らは刀を抜かない。ずるいではないか」と言い立てても我々は、その辺で刀を抜いて振り回せるあなたの懐かしい幼さに、軽蔑と憐れみの視線をこっそり投げることしかできない。しかし我々とて刀を抜かないわけではない。あなたではない、受け止め得ると真に信頼できる誰かには抜くのだ。信頼した相手と真剣を交わしたり、インターネットを通じて演舞を見せたりといった形で刀は閃くだろう。
 我々はあなたのチャンバラごっこを見て「いやあ、すごいですね」「私にはそんな深い考えはありませんよ」とますます刀を背後に押し隠すばかりだ。