やしお

ふつうの会社員の日記です。

自己紹介という基礎工事

 社内研修なんかで、参加者の満足度って実は、内容のよしあしとはそんなに関係ないんじゃないかと気づいた。参加者に「思ったことが我慢せずに言えた」と思わせれば案外それで成功するんじゃないか。逆に(一方的な講義や見世物でない限り)どれほど中身が充実していようとその一点が損なわれるだけで全体に否定的な評価が参加者によって下されてしまう。
 講師が「遠慮せずに意見を言って下さい」と促すことはほとんど無力だ。(その直後に参加者全員が黙るというのはよく見かける光景だ。)必要なのは環境整備であって、たぶん、さいしょの参加者同士の自己紹介をどうするかという工夫にかかっている。

疲れた。二度と受けたくない。

 今日はほんとうにぐったりした。会社の研修を1日受けた。中身がハードだったわけじゃない。難しい作業も何ひとつしていない。だけど疲れた。ものすごいストレスだった。昇格試験に受かった人を対象にした、自分の長所・短所を考えようとか、今後の自分の役割を考えようとか、それをグループのメンバーと共有しようとか、ブレストしてみましょうみたいな、普通のよくある研修だった。内容は普通だった。だけど、くたくたに疲れた。


 うう、この人たちおれのこと馬鹿だと思ってるんだろうな、あっ今のこういうことじゃないか、でもそんなこと言って変な空気になるのやだな、それにみんなおれのこと「あまり喋らない人」と思ってる気がするし急に喋ったら(えっお前しゃべるの)とか思う、いやそんなこと思わないか、ああもう気が重いから話すのやめよう、っていうかみんなも黙ってるし別に……ううーっそうだった。自分は一対一なら話せるけど、多人数だと気を使いすぎて話せなくなる根暗だった、さいきん忘れてたけど自分はだめだったんだよ……うぐぐー……


 ふだんの職場では、周りが自分を肯定してくれてると感じながら過ごしているのに、急に周りも自分自身も自分を否定せざるを得ないような状態に追い込まれて、1日過ごすことになった。ひどいストレスだった。もう受けたくないと思った。

根暗OKな研修もある

 でもよく考えたら変だなと思った。同じように初対面の人達とグループをつくって1日過ごして、ちゃんと人間関係築けて、「ああ、今日は楽しかったな。よかったな」と思って終わる研修も今までいくつもあった。多少の根暗(自分)でも満足いくやつもある。何が違うんだ。


 そりゃ参加者個々人のパーソナリティによるところも大きい。どんな状況でもガンガン自分のペースに巻き込んで好きな事言える環境を作り出せる(ザキヤマみたいな……?)人もいるだろう。偶然そんな人がいたおかげで話しやすい環境になるってこともありそうだ。
 でも、そうじゃない根暗どもを揃えても、リラックスして意見がでやすい環境をそれなりに作り出すやり方があるんじゃないか。それが上手く機能していたから、自分みたのでも「今日は思ったことが言えたなあ」と満足して帰らせることができたんじゃないか。

安心して話せる状態をつくる

 「リラックスして喋れる」はどうやって成立してるんだろう。それには喋っても大丈夫、みんな変な顔しない、受けいれてくれる、大丈夫、っていう安心・確信がないと難しい。
 気の合う人と喋ってると、次から次へと下らないことやいろんな記憶がどんどん湧いてきて、もうひたすら盛り上がって話も止まらなくなる、みたいな経験がある。一方で、必死で話題を探しまくってるのに探せば探すほど何も出てこなくて沈黙が深くなる、なんてこともある。これは相手に対する「なに喋っても大丈夫、受けいれてくれる」の安心の有無からきてる。
 じゃあどうやったらその安心は生まれるんだ。


 ここには双方向の安心サイクルがあって、その相乗効果で安心の場が形成されてくる。
 意見を言う側からすると、意見を言う→周りがそれなりに受けいれてくれる→安心する→意見が言いやすくなる、というサイクルの繰り返し。
 意見を聞く側からすると、相手の意見に納得できる→「この人は自分と価値観を共有できている」という安心が生まれる→意見を受け入れやすくなる、というサイクルの繰り返し。
 これが両方回ることでだんだん安心感が大きくなってくる。数学的帰納法みたいというか、だんだん牌が大きくなってくドミノ倒しみたいな感じ。だから、とにかく一番さいしょはハードルをうんと低くしないといけない。みんながみんな、ぜったいに相手を肯定し合えるような、間違いなく「変な顔」せずにうんうんって頷けるような話題から初めさせる。「今日は寒いですねえ」「そうですねえ」、「いつも通勤に2時間もかかってるんですよ」「大変ですねえ」、そんな、絶対につまずかないハードルから初めさせる。


 そうやって双方向の安心の場ができると、ようやく、多少意見が割れたり反論の出る議題になっても、気後れせずに意見を言い合えるようになる。

成立したキャラを裏切れない

 それから、一度口の重い場が成立してしてまうと、それを立て直すのは一から作るよりはるかに難しいということがあると思う。「あまり喋らない人」、「必要なことしか喋らない人」というキャラが成立してしまうとなかなかそれを変えるのは難しい。人によるけど。多かれ少なかれ、過去との一貫性を保とうとする、整合性を取ろうとする(それを裏切れない)機能がはたらいてしまう。やっぱり肝心なのは最初だ。

今日のつらい研修はどうだったんだ

 今日の研修の冒頭、グループメンバー同士の自己紹介は、一日の会社での仕事を紹介してみよう、という縛りだった。これが話すのも聞くのも難しい。それぞれ専門性が違うので、簡単に「へえー」と思わせる話をするのも難しいし、質問するのも難しい。相手を上手に肯定するのが難しい。せめてあなたの話は大丈夫ですよ、と安心してもらうために、水飲み鳥みたいに馬鹿みたいにうんうんうなずいてたけど、ほぼ聞いてなかった。尊敬してる人のむつかしい話はよろこんで聞くけど、よくわからない人のむつかしい話を聞くなんて苦痛だった。


 その次が、いきなり会社の中期経営計画に関する感想や意見の交換から始まった。これも難しかった。みんな探りながらなんとか話を合わせていこうとするけど、どうしたってこのテーマだと意見の違いが出てきてしまう。まだ相手への信頼がない状態で(えっそれは違うんじゃない)と思うと、(いや、この人のことだから何か考えがあるのだろう)という肯定的な見方ではなく、(この人大丈夫かな)と懐疑的な見方をしてしまう。そしてそれを黙って飲み込んだり反論されたりしてフラストレーションがたまっていく仕組み。


 一日の最後に、会社で経験した嬉しかったこと・嫌だったことのブレストのコーナーがきた。盛り上がりそうなテーマだけど、すでに口の重い場が成立した後では沈黙が流れる結果になってしまった。

自己紹介のさせ方あれこれ

 今までで満足感の大きかった研修を思い出してみると、一日の立ち上げ方が上手だったような気がする。「一日の立ち上げ」とはとりもなおさず、参加者同士の自己紹介だ。思い出せるだけ書いてみる。


・お題を世間話にする
 世間話みたいな、今日どうやってここまで来たか、といったお題があらかじめ複数設定されていて、それに沿って自己紹介するって形式を経験したことがある。話しやすいし、質問もしやすい、発展もさせやすいかんたんなお題で、気軽な空気ができた。
 このとき、グループに1個、わたわたする触感のボールが渡されて、「発言者はこのボールを持つこと」というルールが設定されていた。初対面の大人どうしでボールを手渡ししたりして、みんな苦笑する。バカバカしいことだ。でも、バカバカしいことをやって許される雰囲気が強制的に作りだされて、安心サイクルの促進に貢献していた気がする。
 ついでに、緊張してると何か手に持っていじいじしちゃうので、ちょうどいじってても変に思われないものをオフィシャルに供給されたのもよかった。


・ペアで自己紹介させた後、相手をみんなに紹介させる
 ペアでさせるのはいいなと思った。人数が多くなればなるほど、より一般的に受け入れられやすい話(当たり障りのない話、特殊情報の含まれない話)をせざるを得なくなって話題が限られていく。でも一対一なら相手のことだけ考えて話せばいい。その後でグループの他のメンバーに相手のことを紹介するときも、この人は自分の味方なのだ、という意識がどっかにあって話すのもずっと楽になる。


・ペアで共通点を出させ合う
 共通点を出せるだけ出して、数えてみようというゲームを兼ねた自己紹介もあった。ゲームなのでいっぱい出そうとするし、その間にプライベートを含めたいろんな話ができるわけで、関係を築くのによかった。それなりに相手のプライベートな面を知っているというのは、親近感が湧くというか、安心感が生まれる。その後の雑談のタネにもなるし。


・わざと失敗させる
 これは英語ライティングの研修の話。最初にグループ内のペアでお互い英語で自己紹介をする。こっちはライティングの研修だと思って完全にゆだんしてた。仕方ないのでぼろぼろの英語で話す。でも相手は真剣に聞いてくれる。同じ社内の人なんだから、露骨にバカにしたりするわけないんだけど、でもありがてえーって気持ちになる。こんなクソの喋るクソ英語を聞いてくださって……。
 その後、みんなに相手のことを紹介する。またぼろぼろの英語なんだけど、でも、一人だけはもう自分のことわかってる人がいるので、いきなり全員の前で恥かくより楽。
 そうやって最初に失敗させておけば、このあとどういう失敗したってあれよりはひどくない、もう自分の評価が落ちるってことないよな、という気持ちで一日過ごせる。ただ、自己紹介やってるときのストレスはそれなりにあったけど。


 こうやって挙げてみると、どれも外部講師による研修ばかりで、社内の講師によるものは一つもなかった。さすがに商売でやってるだけのことはあるなと思った。

その評価に騙されてはいけない。

 満足度の高い低いって、参加者本人はついつい研修の内容に結びつけがちだ。意義がよくわからなかったから、説明が十分でなかったから、自分のレベルに合っていなかったから……。
 そんな参加者のアンケート結果をもとに、講師は内容をブラッシュアップさせてく。でも実は、それよりさいしょのグループでの自己紹介を工夫する方が、ずっと満足度の改善につながったりすることもあるかもしんない。


 たまたま今日受けた研修は、講師の態度も悪くない、説明も悪くない、内容もよくある感じ、特別何か悪いところもないのに、つらかった。なんでだろうって思って。
 でもあの人事部の講師のひとも、家帰って、ううーっいい空気つくれなかったよーとつらい気持ちになってたりするのかも。それで録画してたガンダムビルドファイターズ見ながらあはは笑っても、どっかつらい気持ち残ったままで、ああすればよかった、こうすればよかったって思ってたりするのかなとか勝手に想像してます。