やしお

ふつうの会社員の日記です。

異動するときはかっこよく異動したい

 職場を異動するにも、かっこよくやる心得がある。前の仕事を引きずらない、前の職場に未練を見せない、前の職場の人間に先輩面しない。組織人としてそれをきれいにやれるかどうかは、プライドの基礎工事がどれだけしっかりしてるかにかかってる。


 それなりに大きな会社や役所で、部署を異動したあと前の仕事をいつまでも引きずる人ってけっこういる。「いやあ、どうしても前の職場に頼まれちゃって」と困ってるみたいな顔をしたりする。本人の意識はたしかにそうなってる。でもはたから見るとどう見ても本人が引きずってるだけにしか見えない。主観と客観のこの齟齬がどうやって出てくるのか、自分が異動してみて内在的な感覚がよくわかった。


 異動して新しい職場に移ると自分の能力がある程度リセットされる。特に組織特殊的な能力、たとえば職場の人間関係や同僚の性格、ものの置き場、道具の使い方、書類の処理の仕方、決済の流れ等々の外の職場には知る由もない知識や技術は、中にいる時は仕事を進める上でかなり有益でも、外に出るとまるで無益なものになる。習得するのに案外時間がかかるわりに潰しがきかない。
 それまで、それなりに上手に仕事ができていたし、周りの人も認めてくれていた。なのにそれがリセットされる。
 これはけっこう、苦痛なことなのだ。


 そこへ前の職場の人が頼ってくると、むかしの自尊心を一時的に取り戻すことができる。(自分が抜けて前の職場は苦労してる)(やっぱり自分は重要な存在だったんだ)と思うこともできる。気持ちいいのだ。
 それで、本人も無意識のうちに、いつまでも仕事を属人的にかかえて離さない。棚卸しをして引き継げばいいことを、いつまでも渡そうとしない。これには、前の職場の人たちにとっても、自分が引き継ぎたくないし、他職場の人間がタダで手伝ってくれるんだから楽という面があって、双方の利益が一致しているからなかなか収まらなかったりする。


 要するにこれは、プライドが高い割に基礎工事が弱いということだ。
 単にプライドが低ければ(自分の仕事なんて重要じゃないしどうでもいい)となって何もかも手放している状態になる。
 一方、基礎工事が弱くてプライドが高い人は、自己の重要性の実感につながる何もかもを手放せずに守ろうとする。(おれはこの製品の担当者なんだぞ! お前よりぜったい詳しいんだぞ!)みたいなのが漏れ出てくる。一般に「プライドが高いやつはめんどくさい」というのがこれだ。
 基礎工事が強固でプライドが高い場合はどうなるかというと、そんな枝葉なんてみんな落ちても、根は大丈夫だと確信できる。前の職場の技能なんか捨てても、新しい職場ですぐに信頼を勝ち得ることができる。前の職場で得たコアの能力は必ず次の職場で活かせられる。次の組織特殊的な知識や技能だって昔より早く身に付けられる、という自信がある。
 一見、基礎工事が強固でプライドが高い人と、単にプライドが低い人は、あっさり前のポジションを捨てる点で似ているけれど、その後の進み方がだいぶ違ってくる。


 プライドの基礎工事をしっかりするには、自身を客観視する技術が不可欠になる。「自分が重要感を手軽に得たがっている」のかどうかをきちんと見分けられないと自分のプライドを構成する枝葉と根幹を弁別できない。どれを守って、なにを捨ててもいいかがわからずに、プライドを傷つけられる怖さから闇雲に何もかも守ろうとしてしまう。
 それに客観視する技術が弱いと、新しい職場の人間からどう見えるかがきちんと想像できない。(こいつはまだ我々の仲間ではない)という意識を少しでも周囲に与えてしまえばなめらかに仕事をこなすのを阻害してしまう。早く同化した方が結局、組織にとっても組織人としての個人にとっても得なのだ。
 そんなようなことを考えて昔の仕事を早く引き継いで、今の仕事を早く身に付けたいと自分自身も思ってるけど、まだ十分にプライドの基礎工事が強固じゃないところがあって、気をつけている。
 ちなみに同化といっても、組織に唯々諾々と従って流されるといったこととは全く無関係だ。


 こういうのって、日本の会社組織が内部で役割分担の境界を曖昧にしているという点にも起因してるんだと思う。組織長は管理者じゃなくて調整者であって、担当者同士で勝手に進めていくことが許容されるような形態になってるから、仕事をずるずる引きずっている人というのが許されたりするし、あまっさえ望まれたりもする。
 それが組織全体として望まれていて、しかも組織にとってそれが有利に働く(小さい会社で一人あたりの役割が大きくマルチプレイヤーでないと困るとか)ならそれでいいと思うけど、そうじゃないならきれいに異動したいと思う。