やしお

ふつうの会社員の日記です。

改善を他人が押し付けて当たり前な不思議

 何か製品に問題が起こったときに、製造元に対して「原因調査と再発防止策の実施を求める」というのは当たり前だと思ってたけど、これって過剰要求なんじゃないかとふと思った。大手メーカーの中にいて、そういう要求を他社にもしてきたし、自分たちが受けて応えてもきたから、ずっとそういうものだと思ってた。でも製品を修正/交換してちゃんと動くようにする、ということまでが責任を取る適切な範囲なんじゃないか。製品がちゃんと動かないという実害に対して責任を負えば、本来はそれで充分なんじゃないかと思うようになってきた。


 大手メーカーに入社して、6年半を品証部門で過ごして、半年弱を検査部門で過ごしつつある。
 品証部門では市場で起こった問題について原因調査&対策実施を進めるという仕事があった。それを自社や他社に求めていく。何の疑問もなかった。求めればよその会社も、それぞれの会社ごとのフォーマットで報告書を出してきてくれるし、自分だって決まったフォーマットで原因と対策を書いて発行していた。そういうもんだと思ってた。
 検査部門に入ったら今度は工程改善という仕事があった。外注先に対して、工程内で発生した不具合について原因と対策を求めていく。しかしこれは何だろうかと思った。よその会社に「お前のやり方をもっとよくしろ!」と言うのはどんな越権行為なんだろうかと不思議な気がした。(自分がちゃんと調べていないだけで、本当は「そういう指導をする」という契約が交わされているのかもしれない。)
 「原因と対策を示せ!」と迫るというのは、「俺を安心させてくれ!」ということだ。お前は大丈夫だということを俺に示せということだ。それを相手に要求して当然だし、要求されて当然だという前提で成り立っているのは考えてみると不思議なことだ。


 実害の補償だけでなく、気持ちにも配慮を求めて当たり前というのはちょっと、日本社会らしい気もした。相手の気持ちを先回りして読んで、相手の気分を害さないように動いていく。そうしてどんどん勝手に洗練されていく。洗練は別に効率とは関係ない。
 実際アメリカのメーカーに原因と対策をドキュメントに書いて出してもらおうとしても、かなりはっきりお願いするとか理由を伝えるとかしないと難しかったりした。「そこまであなたが我々に求める筋合いは何なのか」という点をはっきりさせないと難しい。依頼したときに、「あなたがそう依頼をするのは当然だ」という前提はあまり共有されない。あとアメリカのメーカーの人に聞くとやっぱり、改善の明示は依頼されればするし、依頼することもあるけど、やることが前提になっているという感じはないと聞いた。そうは言っても広くアンケートを取ってるわけじゃないから、別に日本でもアメリカでも他のどの国でも、国別にどれほどの差があるのかは知らない。


 客→メーカー→一次外注→二次外注(あるいは部品メーカー)……という安心させてほしいという圧力の連鎖が続いていく。それが当然視され常態化している。そうして製造が改善されていく。
 製造元に対して「原因調査と再発防止策の実施を求める」というのは、今までは「いい製品を作る」という大義のための意識的な振る舞いかと思っていたけれど、実のところ「安心したい」という気持ちがかける透明な圧力で生じる「嫌われたくない」という無意識の振る舞いによるものなのかもしれない、と思い始めてる。