やしお

ふつうの会社員の日記です。

残業の沼からみんなで抜けたいよね

 新社会人に会社の沼みたいなの伝えたいって思った。
 効率的に仕事をしようって思う。優先順位つけて、必要性の低い仕事は捨てるべきだと考える。でもそうすると「まじめな」人がその捨てた仕事を拾って、「あいつがやらないから、俺ばっかりやらなきゃいけなくなるんだ」と怒るんだ。みんなが「まじめな」人だと、まるであなただけが必要な仕事をしていない人間のように見えてしまう。そしていつの間にか「責任感のない人」というラベルが曖昧に貼られていく。
 そんな世界でどうやって生きていくのか。圧力に耐えられなくていっしょに「まじめな」人になるか、諦めて「責任感のない人」と思われても(誤解がいつか解けるとでも信じて?)仕事を選別するか。実際にはその間でなんとかバランスを保っていく。


 お金を生むのに必要な仕事や、みんなが働きやすくなる作業ならやる気が出る。でもひたすら社内的な安心感、責められないための穴埋め、仕事のための仕事がいっぱいある。自分が出席する必要性5%みたいな会議に参加するとか、社内発表用の資料を作り込むとか、複雑な運用ルールをつくって縛るとか。(ある程度人数の多い組織だけの話かもしれない。)
 そこまであからさまでなくとも、念のために確認しておこう、問い合わせておこう、みたいに仕事が増殖していく様はよく巻き込まれることになる。
 2年前にそんな話を書いた。
  労働生産性はともかく残業したくないです - やしお
 ここでは、「ダラダラ残業が原因だから個人がやめればいい」なんて言説では何も救われない。残業はもっと人と人が絡み合った、承認欲求や損得勘定、世間力の沼に引きずり込まれて増えているんだ、という話までを書いた。


 それから2年たって、あれこれ考えがアップデートされてきた。残業はもっと構造的に発生していくんだ、という理解が進んできた。また当時は「個人」が同時多発的に変わらない限り変わらないのではないか(リーマンショックや大地震といった外的要因で一律に残業が規制されるとか)と漠然と考えていたが、違う方法で変えられるかもしれないと思い始めている。
 今の時点でどう考えているかをまとめておこうと思った。


不可避的に仕事が増加する

 上司は指示者というより調整者として振る舞う、という特徴がある。仕事を選別して指示するより、担当者にまかせて最後に報告を受けて承認/不承認する。あるいは担当者間で衝突が発生した際にその調整をする。
 これが仕事の自己増殖をもたらす。担当者は、上司の不承認を食らわないように、事前に穴を埋めようとする。あらかじめツッコミポイントを探して潰そうとする。「1時間で7割の完成度」よりも「5時間で9割の完成度」を目指す方向に傾く。(根本的には「相手の意向を先回りして汲み取る」という日本社会の傾向に基づくのかもしれない。)
※このへんは最近↓でもう少し丁寧に書いた。
  打合せが増えていく構造 - やしお


 この構造に対して忠実な担当者は、仕事をどんどん抱えて残業せざるを得なくなっていく。他の人が不要と判断して捨てた仕事も「そこもやらなきゃ穴がふさがらないじゃん」と考えて拾ってしまう。


残業する人/しない人の内訳

 同じ部署なのに残業する人/しない人が出てくることがある。このとき残業する人にも二種類、残業しない人にも二種類いるように見える。

  • 残業する人−:時間でお金がもらえるので特に何もせずにだらだらいる人
  • 残業する人+:職務に忠実であろうとして仕事が増殖している人
  • 残業しない人−:とにかく時間になったら帰る人
  • 残業しない人+:時間に収まるよう仕事の優先順位をつけている人

 きれいに分かれるというより、+−どちらかに寄っているという感じ。この人たちが混在していると、残業する人+に仕事が集中していくことになる。全員が残業しない人+になれば幸せかもしれないが、社会構造上、自然にそうなることは期待しがたい。


 この内訳を忘れて上司が残業する/しないの区分けで人を一律に評価するといずれかの「+」側の人のやる気を著しく削いで組織を疲弊させることができる。
 「残業してる人は頑張ってるから評価を上げる」という思想の下では、残業しない人+は「ちゃんと8時間で帰れるように全力を尽くしているのに評価されない!」と苦痛を感じることになる。
 一方で、一律に「残業してる人は自己管理ができていないから評価を落とす」という思想下では、残業する人+が強い不満を抱く。残業する人+の側からは「仕事がどんどんきて自分は頑張ってこなしているのになんで?」となる。


仕事の自己増殖を食い止める

 そもそも仕事の増殖が「上司は部下に指示せず事後にツッコむ」という運用に基づいているのだから、「上司が仕事をマネジメントして指示する」「必要性の低い仕事はきちんと省いて指示する」という運用にすれば、仕事がみだりに増殖せず残業も抑えられるはずだ。
 と、そんな簡単にはいかない。ハードルが二つある。
 一点は、上司一人が把握して指図するには部下の人数が多すぎるということだ。もともと担当者が勝手に動いて進めていく運用で動いていたので抱えている人数が多い。
 もう一点は、その上司の上もまた同じ構造になっているということだ。課長に対する部長もまた、「上司は部下に指示せず事後にツッコむ」という運用になっていたりする。上がそうなっていると、どうしても先回り穴埋め作業が始まってしまうし、それを下にも伝搬させてしまう。


 一つ目の「把握するには部下が多すぎる」という話については、業務分掌に応じたチーム分けをしてリーダーを立ててマネジメントをさせればよさそうだ。もう一段、中間管理職をつくる。
 でも簡単じゃないのは、自分がリーダーに「事後ツッコミ」をしないこと、リーダーがメンバーに「事後ツッコミ」をさせないこと、また「仕事をフィルタリングする」のが職務だという理解を徹底させないといけないってことだ。それを怠ると、仕事を増殖させる関門が一人増えて、同時にプレイヤーが一人失われるという、より悲惨な状況が生まれる。仕事が減るどころかさらに増える。(実際にそんな光景を見たことがある。)


 二つ目の「その上もまた事後ツッコミ構造」は、もはや部長や横の課長たちに「私はそれをやめます」ということを言動から説得的に示していくしかないのかもしれない。「その方がいいんです」「リソースを無駄にしないんです」って。
 でもそれじゃ結局、一人が頑張っても飲み込まれるというあれと同じことが起こるんじゃないかと思うけど、ちょっと事情が違うのは、横並びの人数が少ない(課長の下の課員の数より、部長の下の課長の数の方が少ない)という点だ。もっとも人数が少くても大変そうだけどね。
 「仕事を適切に切り捨てる」ことより「仕事を最も精緻にやり遂げる」ことの方が重要だと信仰する部長の下にいたらもはや、自分一人が犠牲になって(評価を下げられても)十数人を救おうとがんばってみるか、あきらめて元の構造に落ち着くか、どちらかだ。(前者に近い上司を一人だけ見たことがあるけど、部長とかなり仲が悪かったし最終的に課長をやめさせられてしまった。)


 ここまでやってはじめて、本当に仕事に対して人員のリソースが足りないのかどうかがたぶん見えてくる。人が増えても増えただけ仕事が自己増殖するという状態を解消してはじめて、本当に人が少ないのか仕事が多いのか弁別できる。
 お片付けと同じだ。「収納が足りない!」と思っても実は、いらない物が多すぎるのかもしれない。整理整頓してはじめて、収納が本当に足りないのかどうかが見えてくる。


スピードが上がって変わる?

 残業を本当に減らそうとするなら、課長は上下両方向にむかって、この思想を実現しないといけない、って話になってしまった。そんな苦しくてめんどくさいこと大変だし、みんなやらないよね。だって現行システムでは、上方向に対しては事前穴埋め、下方向に対しては事後ツッコミで忙殺されているんだ。忙しいのにそんなめんどくさい気力のいること、やる元気なんかないよ。
 だから、仕事が増殖する構造はほったらかしのまま、「残業を減らしてください」とお願いして「人が足りない」と嘆く、矛盾した態度をとることになる。かわいそうな課長。


 というより、そうした思想を持つ課長自体まだなかなか現れないだろうなと思ってる。だって、時間を犠牲にしても「仕事を最も精緻にやり遂げる」人=「残業する人+」的態度によって評価されてきた、っていう成功体験の上でみんな出世してんだから、それを捨てるのは難しい。
 それで評価されたのは、資本主義の圧力によるスピードが今よりまだもう少し遅かった(差異化の強迫度が低かった)からなんじゃないかと思ってる。重箱の隅をつつく時間があったというか。
 そんなことを↓で書いた。
  さよなら品質神話 - やしお


 ところが資本主義のフェーズが進んでスピードが上がると、差異化に貢献する作業を意識的に選ぶ=仕事をフィルタリングする必要性により迫られていく。それでもう少し若い世代だとその意識が強い傾向があって、上司の世代交代が進めば変わるかもしんない。
 でもそれは残業を減らすこととは直接関係ない。「残業を減らしたい」が先行すると「仕事を減らしたい」→「仕事をフィルタリングする」という方向があるけど、これを阻害しない、という程度の意味しかない。


 仕事自己増殖が根本的に社会構造(相手の意図を先回りして読むシステム)によってもたらされたように、それが変わるのもまた社会構造の変化(資本主義のフェーズの進行)によるのかもしれないと想像してる。


ただのメンバーの振る舞い方

 課長はともかく、ただの平社員はどう振る舞えばいいんだろうと思って自分を振り返ってみると、「残業しない人−」と「残業しない人+」の間をふわふわ漂いながら、よっぽど評判を落としそうな危険があるときだけは「残業する人+」になるみたいな感じだった。嫌われたら生きていけないみたいな世界で極端に振りきったりはできない。
 でも基本的には、みんなで「残業しない人+」になりたいなあ、という思想なのでどうしても行動がそちらよりになる。その結果、たぶん「あんまり責任感のない人だ」と思われてるんだろうなと感じている。
 現状の構造だと例えば、担当者が横でつながって自分の担当外の状況も把握するというスタイルになるけど、その中で(そこは多少落としても各自が職務に専念する方が無駄がないのでは?)と思ってそうすると、「いまいち責任感がない」「頑張らないから成長できないもったいない人」となる。でも「あいつらがわかってない!」だなんてまるで思ってない。これは構造の帰結であって、彼等が正しいと思っている。現行システムに対しては「残業する人+」的なあり方が最も適応しているのは事実なのだから、「残業しない人+」的な思想は十分適用していないと見なされても、それは正しい。


 それだから、こんな話をしながら何だけど、客観的に見て自分が課長になってこれを実現しようと試すなんて未来はあり得まいと思ってる。もし本当にそれをやろうとするなら、たぶんこんな道筋がいいと思う。
 まず現行システムにぴったり合致した人間を演じる。「残業する人+」になる。詳しく言えば、優先順位を正確につけながら、でも低い仕事も切り捨てずにやる人になる。事後ツッコミに対して強固に防護できれば信用ポイントが徐々に貯まっていく。


 自分も昔はそれが正しいあり方だと思ってた。というか実際、現行システムを所与の条件と見なすなら、それは正しい。だって田舎から出てきてはじめて大きな組織で働いて、とにかくまずはシステムをインストールするので精一杯だったから、正しいと思い込んでてもしょうがなかった。
 だけど2年前あたりから疑問を持ちはじめて、今になって、そもそものシステムを疑い直せば別の形があり得るのだと考えるようになった。そして日本の大企業システムの中で生きる個人の外側にある、一回きりの人生を生きている個人として優先順位をあらためて判断するとどうしても、会社の中での適応を多少犠牲にしても、残業したくない、8時間以上働きたくない(週休3日にしてほしいほどだよ)、ということになった。システムに忠実だとそのシステム内の人から評価してもらえて自尊心が満足されてうれしくなるけど、そっちに流されちゃうと人生トータルではちょっとね、と思った。それはもはや、個人的な選択の問題だ。
 もうあと個人としては今後、どんな風にこのシステムが変わっていくのか、それとも保持されていくのか、見られればいいなあ、と思ってるだけです。