やしお

ふつうの会社員の日記です。

会社のなかの筋を知る

 それなりに人数の多い会社の中では、誰に話を通すだの何だのといったことがある。この前、入社3年目の若い同僚に
「それは話の持っていき先が違うよ」
「でも○○さんからそうしろって聞いて」
「それは○○さんがわかってないよ」
「そんなこと言われたってわかんないですよ」
と不愉快そうに言われて、それはそうだと思った。
 どこにどう筋が通っているかというのは、背後に理屈がある。その理屈を見せずに結論だけ言っても混乱させるだけだ。それでもう少しきちんと説明したい。
 その前に自分で整理しておこうと思った。


建前と実態

 まず最初に考え方の枠組みについて。考える方向には建前と実態がある、とみなす。

  • 建前 : 条件から出発して、順番に考えたら「こうなる」という理屈
  • 実態 : 現実にこう運用されている、という観察結果

 建前=演繹的=セオレティカル、実態=帰納的=プラクティカルという感じで、逆方向のアプローチだ。この両方向からそれぞれ導いた形をつきあわせて、どうズレているかを見ると、じゃあどう動けばいいのかということがわかる。


 建前と実態の一致度合いは、私が半年前までいた職場と比べると、ここの職場はちょっと低い。低いから悪いということではない。一致度合いが高ければ、日常的に仕事をする中で、建前・筋がどうなってるかも自然に身に付いていく。けれどこの職場は建前と実態のズレ具合が相対的に大きいので、意識して建前方向から考えながら職場を見ないと上手く把握できない。
 それが今、建前のお話をする理由だ。


どうして建前を知らないといけないのか

 建前はゲームのルールだ。だからどれだけいいプレーをしても「ルール違反だ」と責められたら太刀打ちできない。建前は理屈なので否定するのがむずかしい。
 逆に、ルールをよく知っていれば、つまらない責められ方で邪魔をされずにプレーできる。他の人からの攻撃(?)をルールで防ぐことも、逆に攻撃することもできる。また、ルールをどれだけ破って大丈夫か値踏みすることだってできる。誰がどう動くべきか考える拠り所になる。
 制約をきちんと知ることが、自由であるための第一歩だ。


 オフサイドを知らないからといって、必ずしも優秀なサッカープレーヤーでないわけではないかもしれない。ドリブルがめっちゃ上手いとか。会社だとそんな人がいっぱいいる。でもオフサイドという制約を知っていれば、より戦略的に、効果的に動ける。
 会社組織の中で楽に生きていくために、建前をより正確に把握した方がいいし、そうしてほしいと思っている。


建前の始点、2つの根っこ

 ここから建前について考えていく。理論を構築するときに大切なのは条件(仮定、公理)の選び方だ。「自明な(と思われる)条件を選ぶ」、「少ない条件でより多くの事象を説明できる条件を選ぶ」という2点が重要だ。
 ここでは「課長は使用者だ」、「課という役割分担がある」という2つの条件(公理)からスタートする。建前としては広くそう見做されている2つだ(実態はともかく)。


 ひとつ目の「課長は労使の使」は、→課長は課員(労働者)の労働内容と労働時間を管理する→課長は課の業務をマネジメントする という建前へとつながっていく。
 ふたつ目の「課という役割分担」は、人がたくさんいたら役割分担して専門性を高めた方がお互いにとって得だ、医者に医療を、農家に栽培を任せた方がいいという話だ。当たり前みたいだけど、結構ふだん忘れている人が多い。この建前を忘れていると、役割をあきらかに越えた仕事をよその人に押し付けたり、あるいは引き受けちゃったりする。


 この2つの建前の根っこから、「課長は課の意思決定の主体である」という建前が導かれてくる。課は役割分担を担ったユニットで、課を構成するメンバーの仕事を管理しているのが課長なんだから、課長は課の役割を理解してやる仕事/やらない仕事(課の入出力を含む)を決めていく、という理屈になる。そして課長は課という組織体の意思そのものである、という建前だ。
 あと、課長は「ヒト・モノ・カネ」を管理する、という言い方をよく耳にするけれど、それもここから導かれてくる。


 とりあえず建前の出発点を考えた。ここからいろいろな建前を導いてみる。


例:課長は課員の筆頭なんかじゃない

 「課長は課の代表者だ」と誰もが言う。しかし中身をよく見ると「課員の筆頭だ」くらいの意味で言っていたりする。筆頭というのは課員の中のまとめ役のことで、合議制の議長みたいなものだ。実態がそうなっている場合が多いせいで、課員どころか課長本人でさえこう思ってたりする。
 たとえ実態がそうでも、建前はそうじゃない。建前は、さっき「課長は課の意思決定の主体である」と言った通りだ。課長は課員の一人ではなく、課員から隔絶して判断する存在になってる。


 逆に言えば、課員はあくまで実行者であり判断を下すのは課長だという建前になる。この「課員=プレーヤーvs課長=マネージャー」という建前はとても適用範囲が広くて大切だと思うので、詳しく見ていく。


例:ほうれんそうは必須業務

 課長がマネージャーで、課員はプレーヤーだ、という建前から考えると「ほうれんそう」は「した方がいいよね」という話ではなく、理屈上必須の仕事ということになる。私たちプレーヤーが必要な情報を上げ続けないと(報告・連絡しないと)、あるいは判断をあおがないと(相談しないと)、「判断する」という課長の仕事が成立しなくなるためだ。(課長と自分の間に、マネジメントを委託された人がいればその人がほうれんそう対象者になる。)


 そんな建前が導出されるので、「なんで情報を上げないんだ」と責められても「だって上げろなんて聞いてないもん」という言い訳で対抗できない。これは指示の範疇ではなく、システム上自明のことなので「知らない」とは言えない。
 逆に言えば、まとめて話をするとかメールのCCに入れるとかして適切に上げておきさえすれば、何かあっても「材料は提供したのにそれをきちんと調理しなかったのはあなたの職責上の問題ですよ」という状況に持っていける。


例:全ての仕事は課長の管理下

 実態としては、課長から指示されてやっているわけではない業務があったりする。しかし建前としては、そんなものはあり得ない。「課長の管理下でない業務もある」と仮定すると、課長にとって与り知らない仕事が存在することになって、労務管理はできないという話になり、最初の公理と矛盾する。
 それだから、「ほうれんそう」の対象は自分の全業務ということになる。例外はないのだ。たとえ明示的に指示がなかったとしても、背後には指示が存在していると見做される。「最初から無い」のではなく「省略されている」と考える。


 という建前を踏まえた上で、現実的な振る舞いを考える。現実的には課長1人が課員20人の全業務をマネジメントするなんて不可能だ。そこで、上司に上げる情報と、上げることを省略する情報とに分けることになる。課の正式な入出力に関する部分や、課の意思決定に関する点についてのみ整理して情報を上げるというのが、およそ建前と実態をバランスした現実的な境界線となる。
 実際には「こういう情報が揃ったので、こうしようと思いますが」と判断の半歩手前まで持っていって、最後に課長(か代理管理者)に「いいよ」と言ってもらうことになる。実態的には承認以外の何物でもないが、建前上はこれが指示・判断になる。


 入社してすぐの研修で、「自分で判断して行動できるように」といったことを言われるのに、職場に配属されると「判断するのは上司の仕事だ」と言われたりするのが混乱のもとかもしれない。


例:出張は特にしっかり

 先述の通り、現実的には建前と実態のバランスをとって「ほうれんそう」のレベルを調整する。聞かれたら答えられる形にしておけばいいものと、実際に連絡・報告するものとに分けている。しかし出張時はこのレベルがより建前側にシフトする。
 出張は課長の目の届かないところで仕事をすることになる。「課長は労務管理をする」という建前を考えると、出張はそれを難しくする。だからより建前側に近い行動を取って、課長にとって見えるようにしないといけない、という理屈だ。

  • 業務内容を明確にする : 実態としては「お前が自分で考えろ」と言われたりするので、自ら「今回の出張ではこれとあれとそれをします」と整理して事前に課長へ通知しておく。
  • 範囲外の作業発生時に通知する : 特によその職場から自分の課の職務範囲を外れるような作業を依頼されたりする場合は、課長を通して依頼してもらうようにする(現実にはまず間違いなく承認されると思える場合は先回りして作業を進めたりするが)


 普段ならちょっとした頼まれ仕事を上司に黙ってひょいひょいとやってしまうところでも、出張中はその受け入れレベルを厳し目にする。根本的に「課長は労務管理をしているのだ」という建前を見失わない。


例:課長のハンコが捺された書類

 課長の判断=課の意思そのもの、という建前から考えると、課長のハンコが捺された書類は課の正式な言葉になる。そんなことくらいみんな知っている。しかしその扱いが、この建前を踏まえたものになっているかというと結構怪しかったりする。


 たとえば自分が担当者で課長のハンコが捺されている書類を、受取先の職場へ出しにいくとする。でもその時君は、ただの運び屋なのだ。もはや「あなた個人の書類」ではない。課のアウトプットなのだから、受取先の課にインプットしないといけない。だから宛先は課もしくは課長だ。個人的に担当者同士で渡し合うものではない。
 また、相手先の課長に渡す際、その案件に関する質問を受けて答えることもあるかもしれない。しかし君は「担当者個人」として答えるのではなく、課(課長)の代弁者として答えることになる。だから自分の課長に通っていること以上を勝手に話してはいけないし、それを話すなら「これは担当者個人の見解だ」という点をきちんと意識して弁別していないといけない。


 ところで実態としては、課長は事後的に承認/否決するだけで、実質的に担当者へ判断がほとんど委譲されていることがある。その場合は、事前に担当者同士で調整することになるが、建前としてはあくまで判断は課長にあるという点を忘れないように振る舞う。
 そのあたりがぐちゃぐちゃになっている人はよく見かける。


例:課長の決定に文句はない

 課長は意思決定の主体だという建前があるため、課長が判断して指示した仕事についてもはや反対するということはない。プレーヤーとしては、決定事項について後からぐちぐち文句を言うより、なるべく効率よくこなすだけだ。ただ、課長の持ってる情報が不足しているせいで判断が十分でない/誤っていると思えるなら、情報を上げればいい。


 たとえばよその部署の担当者との間で、誰がどう動くべきか見解が割れた場合どうするかというと、課長同士で話をしてもらう。その前に必要な情報を課長に上げて「私はこんな理由でこうした方が良いと考えています」と参考の見解も添える。その上で課長同士で決まったことなら、たとえ自分の考えが通らなかったとしても、文句を言う筋合いはない。
(ちなみに、コンプライアンスがらみはこの建前より先にくるので、課長の決定に従わないこともあり得る。)


例:仕事を防御する

 よその担当者から「これやってよ」と依頼が来ることがある。建前を踏まえれば適切に断ることができる。課の役割分担、もしくは課長からの指示内容から外れているから勝手には受けられない、課長を通して正式に依頼をしてくれないと困る、という形に持っていけばいい。
 逆に自分から依頼するならそうした筋を立てておけばできる。
 いずれにせよ課組織には相対的に役割分担があって、どこまでその範囲が広がっているか普段からきちんと考えておく。


実態と建前をバランスする

 今回は建前=ゲームのルールをメインで見てきたので、ほとんどお役所仕事みたいな、融通がきかない人のように見える。だけど建前を把握するのと同じくらいに、実態を把握することも重要だし無視することはできない。建前と実態をバランスして、実効的な行動を選択することになる。
 建前と離れる傾向にあるいくつかの実態について、簡単に触れておく。

  • 課長がマネジメントを拒否する : 課長自身が実態側に流されていて「担当者が判断して進めるのが正しい」と信じている場合がある。その時は「こうしようと思いますがいいですか?」ではなく「こうしようと思いますね」という言い方の側に寄せて、建前を隠蔽する。
  • 担当者が横でつながる : 課長がマネジメントしない(事後承諾する)ことの裏返しとして、担当者同士が課を超えて結びつき、物事を合議で進めていくという実態がある。建前を忘れると適切なタイミングで課長に情報を上げられなくなる。
  • 人間が集まって構成されている : 一人一人が別の内在的な論理で世界を把握しているということ、それらの組み合わせによって現実が生じているという実態。


 今までこのおダイヤリーでも会社の実態方面についてはいろいろ書いてきた。例えば↓
  打合せが増えていく構造 - やしお
  残業の沼からみんなで抜けたいよね - やしお
 でも実際に自分が会社の中でどう振る舞っているのかと考えてみると、建前方向と組み合わせてバランスを取っている。その3年目の同僚との話の中でそんなことを改めて思った。会社システムについて考える上では、そっち方向からも整理しておいた方がいいなと思った。