やしお

ふつうの会社員の日記です。

イクメン地獄

 子育てを、特に赤ん坊の世話を、手伝わなければ非協力的だとなじられ、手伝えばやり方が悪いとなじられ、先回りして察しなければ気が利かないとなじられ、そんな空間に嫌気がさせば妻を子供に取られていじけるなんて大人気ないと外でなじられる。そうした侮蔑の沼に閉じ込められている男親がこの世にそこそこいるのだろうかと空想している。
 8年ほど前に姉の子が生まれ、シングルマザーの姉にかわって母がときどき面倒を見た。突然のことでその頃の私は赤ん坊の世話のルールが何もわからなかった。そんな私を母は「気が利かない」となじった。すべきことがあるなら指示をしてほしい、と苛立てば「そんな当たり前のことが分からないのか」と言う。そんな経験を足掛かりに、男親が家庭空間の中で侮蔑に包まれている光景を想像している。


 女親が「私が子育ての責任者だ」という自負を持って、その自負を確認するために男親をけなすという構造はあり得るのではないかと思う。男親の側から見れば、やることなすことを否定されて訳が分からないかもしれない。しかしごくシンプルに、プライドを確かめるための否定、否定するための否定だと思えばすっきり理解できる。そうせざるを得ないほど女親が追い詰められている。
 仮に家計収入をその時点で男親に頼っていたとして、「私が子育てをしている」が「相手が家計を経済的に支えている」に匹敵するか凌駕するかしていると感じられなければ、女親のプライドは満たされない。そのことが確信されていなければ、自身のプライドを守るためにことさらアピールしなければいけない。たとえば職場で仕事アピールが激しい人がいたりする。ことさら忙しそうに振る舞う、ひとり言が大きい、等々。しかし傍から見るとどうも大変な仕事をしているようには見えなかったりする。それは本人も無意識に自覚していて、その重要感を補って何とか自分のプライドを守るためにアピールしている。


 こうした自己防衛反応それ自体を否定することはできない。自己が守られなければ崩壊してしまう。問題なのは、いかにすればそうした実体のないアピールによらずとも、本人のプライドを適切に満足できるのかという手段だ。
 そう考えると女親が男親の子育てをあてどもなく非難し続けていたとしても実のところ、それは女親が悪いのではなく、女親のプライドを適切に肯定する周囲環境の整備を、とりわけ男親が怠っていたからに過ぎないという見方が浮かんでくる。あなたが子どもの面倒を見てくれることが、いかに意義深く、素晴らしいことで、この自分の幸福にどれほど役立っているか、どれほど感謝しているかを、過剰と思われるほど、かつ適切なポイントに対して、言葉と態度で日常的に表現することを怠っているからかもしれない。
 それを忘れて、相手の自己防衛反応を字義通りに受けて反発して「お前が言うほどお前の仕事など大したことはない」という態度を示して余計に侮蔑空間の重さを深めていくのは、あまりに愚かなことだ。例えば「俺だって仕事で疲れているんだよ」などと言えば、それはとりもなおさず「あなたの仕事よりも自分の仕事の方が重要だ」という表明になる。言葉の上だけの話ではなくて、実際にそうした意識が前提されなければそうした表現はなされない。紛れもなく相手の仕事が意義深いと確信できていれば、そして後は褒める・感謝を表明することに慣れさえすれば、相手のプライドを確保することはそれほど難しいことではない。


 ところでここまで、男親/女親という呼び方をしてきたが、この話は生物的な性差に基づくとは思っていない。課せられた役割による。ただ、今の社会通念が男女で分けさせている現実が(まだ)あるから、ここではさしあたりそう呼んだまでのことだ。(ひょっとすると社会的役割による命名という意味では夫/妻という呼び方をした方が適切だったかもしれない。)


 ここまでの話ではとりたてて赤ん坊の世話に限ったことではなさそうに見える。しかし「赤ん坊の世話」というフェーズでは特に侮蔑の沼が露わになるのではないかと想像している。
 まず赤ん坊の世話というルールの習得が少し難しい。言葉を話し、ある程度自分の世話を自分でできるようになった幼児であれば接し方の差異も子供側で多少は合わせてくれる。しかし赤ん坊は赤ん坊のルールに確実に大人が合わせないといけない。それだから、よりそのルールを習得した私という点でアピールがし易い。
 あるいは子供が成長して復職するなりパートを始めるなりして「私もまた経済的に支えている主体だ」というプライドの別の柱ができるまでは一本の柱で支えざるを得ない。また夫がプライドをきちんと支えてくれないままでも、身近で子供がこの自分を肯定してくれるような存在になってくれる。さらに単純に、乳児の世話がとても大変でストレスフルだとか。
 そうしたもろもろの要素があって、特に赤ん坊の世話のときに沼が深まることがあるんじゃないかと想像している。実家に帰って祖父母に支えてもらうといった手段が取れないとなかなかつらい。


 世の中の趨勢で男親が「イクメン」化しても、こうした構造をそのままに、しかも男親としては「俺だって頑張ってるのに」が募って女親の自尊心をますます毀損して両者疲弊していく、そんな光景は地獄みたいだ。お互いに自身を確実に肯定できる環境と手段を構築していかないとヤバいなとか思ったけど俺結婚してないし子供もいないしそんな予定もないし。