やしお

ふつうの会社員の日記です。

ライブハウスの中で感情が変化する

 ライブハウスに初めて行った。ライブ自体小学生のとき一度ドームに連れていってもらって以来約20年ぶりだった。いろいろわかった。一人で行ったら待ち時間が暇だった。3時間じっと立ってたら腰むちゃくちゃなった。
 特に観客の感情や感覚ってこんな感じで変化を蒙るのかということがよくわかった。


 始まってしばらくして、自分はノリノリみたいな感じにはなりづらいってことに気付いた。見てるとどうしても、あんな風に楽器弾いてるんだなとか、トランス状態みたいな感じで歌ってたんだなとか、あ、ここでみんな手とか上げるんだとか、CDと違ってこんな感じで聞こえるんだとか、いろいろ考えて、しかもその考えに引きずられて別のことを考えだして、ふと気が付くと聞くのも見るのも忘れていた。
 たぶんあたかも自分が演奏してる/歌ってるくらいの感覚まで入り込まないとノリノリになること難しいと思った。でもそうした感情移入をやめて距離を取って物を見る方針で10年近く訓練してきてたから今さら急には難しい。すぐにあれこれ分析的な思考の方に寄っていってしまう。
 そういうのは視覚的な情報をあえて切ってしまうと改善されることに気づいた。もうステージもフロアも見ない。目を閉じてる。個別の音にも意識を向けない。ただもう欲求に沿って聞いてる。そこまでするとだいぶ没頭できるという感じだった。


 そんなわけで、せっかくライブに来てるのに演奏しているバンドを見ない、そんな手段って哀しくなーい? と思ってたけど、MCがそれをある程度解消してくれるということがわかった。MCで自分たちのことや対バンの相手のことをあれこれ話してる。笑わせてくれたりする。そうやって何か親近感が湧いて安心させられると、あの感情移入がより起こり易い状態になる。観客をリラックスした気分にさせることが大事なんだな、MCってそんな効果があるんだなとわかった。
 ただMCで観客を緊張させるようなこと、例えば「あなたたちは盛り上がりにかけます。もっと盛り上がって下さい」といったことを言うと、恐らく逆方向に作用する。


 でもねえ、そんなこと考えてたけど、小賢しかった。もうそういうの全部無化されたよ。
 GOOD ON THE REELLyu:Lyuが出演してたライブだった。最初におグンザリの演奏を体験しながら、その中で上のようなあれこれを考えてた。おグンザリも好きなおバンドで、でもそんなに熱心に聞いてこなかった。もともとおリュリュのこと最高に素晴らしいと思ってて、(これを大きな音で目の前で聞いたらとんでもないことなるぞ……)とずっと予感持ちながら1年ほど経過して、ようやくライブ来た。それでおグンザリの後、おリュリュが始まった。
 泣いちゃった、あたしもう、おじさんなのに……


 あまりに切実さをまとって声が、一瞬で人の思考の一切を武装解除させる。なにか途方もないことを目の当たりにして、ひたすら呆然とさせられる。声のない時間にはスリーピースバンドのシンプルな楽器構成の中で弦や皮や金属の、振動がみだりにノイズを孕みながら異様なクリアーさで豊かに響いていく。そしてふいの全楽器と声の停止が訪れ、音の減衰につれて人の思考が立ち上がりかけるその寸前で、あの切実さそのものの声が歌うとき、もはや人はその自己の存在に耐えられない、ただ無意味にこみあげる涙を抑えられずに力の入らない体でかろうじて、そこに立っている。


 周りに人がいるので号泣するなんてことはないけど、内的な感覚としてはもう、フロアにぐんにゃり横たわって嗚咽してるみたいな感じなので、結局ノリノリみたいな感じにはならない。初心者なので後ろの方に立ってたけど、後ろの方の人たちはおよそ棒立ちだった。ひょっとしたら内的感覚としては同じようなところかもしれない。
 私自身、人前で何かを話す機会の記憶があるから、演奏する側にしてみれば観客が楽しんでいる姿を見て、自身が肯定されていると感じられれば安心できるに違いないということは理解できる。しかし観客側としては上述の通りで、盛り上がりを外部に表現する余裕もなく呆然と立っている。それだから、観客が腕も上げず躍りもせず棒立ちになっていても、おリュリュのお歴々におかれましては、決して退屈している様子と解釈されることなく、気にせず演奏と歌唱に集中していただければ幸いです。


 どれだけ聴いてもいつまでも曲名を覚えないし、歌詞も見ないし聞いてない。文字情報としての把握をしていない。メンバーの来歴や人となりにもさほど興味がない。そう言うとファンの人からしたら、そんなのファンじゃないって思われそうだ。
 そんなだから、セットリストとかもわからないし、記憶を振り返ることも難しい。どうしたって人は名付けなければものごとを把握できない。名前を知らない花とすれ違ってもそれを記憶できない。
 それでもいいと思っている。細かな記憶や分析を持つことを捨てて、ただその体験の印象だけを残してもう、それでいいって気がしてる。かえって知識で体系の中へ静的に位置付けてしまわずにまだ済んでいるのは、幸福な期間かもしれない。


 始まるときわくわくしたよ。明るかったフロアが急に真っ暗になって、ステージの後ろから光が差し込んで、大きな音が鳴り始める。こんなにわくわくすること、みんな体験してたんだなと思った。