やしお

ふつうの会社員の日記です。

プラトン『ソクラテスの弁明』

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宗教の始まりの形と似てて、方々を回って個別具体的に人と対話を繰り返すのはキリストやブッダと同じ姿勢で、その後弟子(プラトンパウロ)が言行をまとめて固定化させちゃうのも同じ。後から整理・固定されたものって意識で読まないとソクラテスそのものと混同しちゃう。「エウチュプロン」で最後どう終わるのかと思ってたらエウチュプロンが「いっけなーい急に用事思い出しちゃったまたね」みたいなこと言い出してソクラテスが「ひどくなーい?」で突然終わるから笑っちゃった。「弁明」が姿勢の表明で「エウチュプロン」「クリトン」が実践例。


 相手と対話を繰り返してどんどん掘り下げていって、最後「わからない」にたどり着くという運動をする。これをとにかく誰彼ともなく繰り返していく。それは最終的に「真理」にたどり着きたいからだと本人は言う。しかしほとんど、手放しの「真理」の実在を信じていないような動きだ。
 それで「どうしてそうするのか」という問いに対しては「神がそう命じるから」という答えになる。これは神ありきというより、むしろ終わり側から見るとそういう形になるということで、元の形作られ方としては、とことんまで根拠を掘り下げていった果てに、もはや無根拠に辿り着いて、しかしそれでもなお「自分はそうする」と自分にとって選択的でない形でそう言わざるを得ないとき、「その至上命令をもたらすものは何か」という問いを立てると「それは神である」と答えざるを得なくなる、ということだ。


ソクラテスの弁明―エウチュプロン,クリトン (角川文庫)

ソクラテスの弁明―エウチュプロン,クリトン (角川文庫)