やしお

ふつうの会社員の日記です。

枝葉末節勉強法

 打合せの中で、全体の流れや会議の目的を考慮せずに、気になったこと、思いついたことを急に話し出す人を見て、何か、懐かしいような、うらやましいような気分になった。


 たぶん20歳くらいの頃から、まずは大枠をきちんと把握することが大切だという認識になった。大きな流れや位置づけを見て大雑把な形を見るということをしないと、枝葉末節ばかり見てもいい悪いや妥当性がわからない。自分が結局何をしているのかもわからない。学校の勉強で細かいところばかりを追って、自分がわかったのかわかってないのかもよくわからなかった。公式があってそれを覚えていて数値計算はできる、けれどその数値の意味するところはいまいちよくわかっていないというような。ところがそんな式の意味するところや、どんな動機や目的で存在しているのかといった点をきちんと押さえれば、かなりクリアーに景色が広がることがわかった。
 それまでもそういったことをやっていなかったわけじゃない。でも曖昧に、未分化にではなく、はっきり意識的に細かいところを見る/概要を見るというのを分けてやれるようになってきたのが20歳くらいだった。随分遅かったと思う。でも振り返ると就職する前に気付いて、しかもしばらく練習期間があったのは良かったのかなと思う。


 ところが会社に入って経験も積んで、だんだん「今この時点で必要な情報の粒度」みたいなものがきちんと見えるようになってくると、時間がもったいないので無暗にその線を越えて知ろうとはしなくなってきた。そんな習慣に慣れてくると、なにか手当たり次第のように線引きもなく突っ込んでる方が、長い目で見ると特定の分野に詳しくなれるんだろうなと思ってあこがれみたいな気分になる。
 でも整理して必要な範囲が見えてしまってる以上、もうそうすることは難しい。せいぜい線引きの+αだけ踏み越えてお勉強するくらいが関の山だ。