やしお

ふつうの会社員の日記です。

ぬるくなりますけど、よろしいですかあ??

 マックで氷抜きのアイスコーヒーを頼むと「ぬるくなりますが、よろしいですか」と聞かれる。これはマックが客を「氷をなくせば冷えた液体は常温へ向かうということも理解できぬ愚かな者ども」と見なしているからだろうと、うれしく思っていた。
 氷を入れなかったドリンクを持ってきて「ぬるくなってきたじゃねえかコノヤロウ!」って怒鳴りこんでくる客を未然に防止しているのかもしれない。マックのこういうとこ、大好き! と思った。
 マックじゃなくてもこれはよく聞かれる。


 それで「はい(いいですよ)」と答えると、ときどき氷入りのアイスコーヒーが出てきて、これって「わざわざ忠告してやったのにそれを聞き入れぬ愚かな客よ、氷を入れておいてやったぞ」みたいな意味なら嬉しいなと思ってニッコニコしてしまう。あと忙しいのにノーマルじゃない注文してごめんねって気持ちになる。


 この前バーガーキングで氷抜きのアイスコーヒーを頼んだら、レジのおばちゃんが「常温で保管しておりますので、氷抜きだとぬるくなりますが、よろしいですか」と聞いてきた。その時今さら(あ、そういうことだったのか!)と気付いた。なんで今まで気づかなかったんだろう。
 あの「ぬるくなります」は冷たい状態→ぬるい状態への遷移・変化を意味していたのではなく、単に「ぬるくあります」の意味、ぬるい状態を丁寧に言おうとしていただけだった。なあんだつまんないの。「この愚かな客どもよ」みたいだったら良かったのに。
 実際、回転の早い時間帯(朝マック)に行って、ぬるいというより常温よりも温かい「アイスコーヒー」が出てきたことがあって(なるほどこういうことか)と思った。


 「になる」が丁寧表現なのか、あるいはそれ本来の意味(変化と完成)を意味しているのか、二面性があるからこうした勘違いを引き起こす。例えば「ぬるい状態でのご提供になりますが、よろしいですか」と言ってくれれば意味が確定されて混乱もしない。
 「○円のお返しになります」という表現が昔批判されたことがあった。いわく「最初からそのお金は○円であって、○円に変化するわけではないのだから、そう言うのはおかしい」という。しかしその批判は、本来の意味だけを盾にとって、言語が一般に、距離を取ることで丁寧表現を作り出すという面をまるきり無視した言説だ。
 「お返しです」という断定的な表現を避けて「お返しになります」と距離を取ることで丁寧にする。「〜かもしれません」だの「ひょっとして」だの、特に意味を持っていないものを付け足して、直接的な表現を避けてやわらかくしていく。日本語に限らず例えば英語でも、現在のことであっても過去時制を使って距離を取る、丁寧にする(Will you...?よりWould you...?の方が丁寧といったような)表現がある。


 それだから、「になる」が丁寧表現として使用されてしまうという面を無視しようとしたってしょうがないという気がする。距離を持った言葉が勝手に丁寧表現と化していく力を押し止めることなんてできない。冗長さがもたらす丁寧さと鬱陶しさが、時代や状況を背景にしてバランスする点であいまいに揺れながら位置するのをただ、見つめることしかできない。
 「になる」の丁寧表現機能を否定することはそうした理由から私はしないけれど、二重の意味のどちらか確定しづらい場合は改善した方がいいとは思っている。それで「○円のお返しになります」は「お釣りが変化していく」と誤解する蓋然性が低いから許容できる。一方で「ぬるくなりますが、よろしいですか」は変化の意味と丁寧の表現のどちらとも取り得て慣れないとやや混乱するので少しだけ直してほしいと思っている。


 ところでマックのレジでいきなり「お召し上がりですか?」と聞かれて困惑したことが何度かある。最初(食うに決まってる、観賞用なわけねえだろ)と混乱してから(あ、これは「店内で」を略してるのか)と気付いた。しかしこれはあたし許さないわよ。for here or to goという肝心の部分を省略したらもう何もわからない。
 以前そう言われたおばあさんが「はあ?」と(何言ってんだ当たり前だろが)の意味で聞き返しているのを見た。それを耳が悪くて聞き取れなかったと勘違いした店員が「お め し あ が り ですか??」と大きくはっきり聞き返して、おばあさんがまた「はあ??」と言ってて、地獄みたいだった。
 でも「今日は」や「済みません」が本来文意のコアになる言葉を失った上でそれぞれ挨拶と謝罪の言葉として定着したみたいに、「お召し上がりですか」が定着することもあるかもしれない、と思っていたけど最近あまり聞かなくなってきたのでそうはならなかったらしい。よかったね。