やしお

ふつうの会社員の日記です。

改善活動を熱心にやる意味って何

 グループを組んで課題を見つけて改善案を出して実行する、そういった改善活動はいろんな職場で、特に製造現場に近い職場ほど熱心にやっている。これって、その改善による直接的な効果だけじゃなくて、こうした活動をするってこと自体の持つ効果の方がずっと大きいんじゃないかと最近思っている。
 今までは漠然と、現場に近い職場はミスが品質問題に直結するから特に気をつけてるんだなーくらいにしか思っていなかった。けれどそれだけではなくて、やる気がなくなるのを防ぐこと、課題を自力で見つけて解決するトレーニングをすること、といった効果の方が目的としてはずっと大きいのかもしれない。

俺が良くしてるぞって実感が意欲をひき戻してくる

 会社で働いていると数年単位で急にやる気がなくなることがある。
 この前、職場の入社5年目の後輩が、なんかもうやだなー、異動とかしたいなー、みたいなことを言ってるのを聞いて(あっこれ俺と同じじゃないか)とびっくりした。自分も5年目の時にどういうわけかやる気が急減した。仕事にさしたる不満があるわけでもないのに、異動したい、別の業務をやりたいと思って、上司との面接でそれとなく言ったりしていたのだった。
 その後回復したため忘れていたけれど、その後輩の話を聞いて改めて思い出していた。


 今までと同じ仕事なのに急に嫌になる。何も変わっていないのに気分が変わるのは一見不思議だけど、外側から見て何も変わっていないように見えるだけで、自分と仕事の相対的な関係が変わっている。それまで自分にとってチャレンジングな仕事だったのが、自分が慣れたり力を付けたことで仕事とのレベル差が埋まった。役不足になる。何か自分がより良くなっている、もしくは自分が周りをより良くしているという実感が得られなければ意欲が減退してしまう。少し背伸びして演じるくらいの役が与えられなければ、プレイヤーは満足できないようだ。


 当時の自分を振り返ってみると、ちょうどプレイヤーとしては一通り仕事をこなせるようになっていた。グループがあり、リーダーがきちんと仕事をマネジメントしてくれて、そうして振られた仕事をきちんと適切にこなす。そのことに不満はなかったけれど、飽きていたのだと思う。意欲が低下していた。
 その後、職場の業務上の規定(規格)の改訂作業が立ち上がってメンバーに選ばれた。一から見直しをするという作業で、根本から考え直した結果を反映させていく作業は楽しかった。それから、職場に新人が配属されて教育係に選んでもらえた。どんな順番でどのタイミングでどれほどの密度で教えていけば一番教育効果が高いだろう、本人の満足度も上げられるだろう、といったことを真剣に考えて実践してみると言うのはこれもとても楽しかった。その後、人事異動で職場が変わった。新しい仕事を覚えていったり、それがある程度できたら今度はもっとチーム運用を良くしようとしたり、新しい製品を担当させてもらったり、といったあれこれが楽しい。そうして気づいたら意欲が戻っていた。


 5年目の後輩も今、「言われたことをやっているだけだ」という気分が支配的になっているようだった。高卒5年目で年齢的には大卒1年目と同じと考えると、ずっとすごいことをしている(中国の生産拠点を行き来して仕事をしている)と思うけれど、どれほど外側から見てすごくても、本人として「自分がより良くなっている/周りをより良くしている」という変化の実感が失われると意欲が低下してしまう。
 せめてと思って、折を見て本人に「それはすごいことだと思う」と伝えてみたり、上司との面接で「彼の意欲が低下しているようでとても心配している」「自分と同じグループではないから直接手を出すのは難しいけれど、何かチャレンジングな仕事がないとつらいのかもしれない」といったことを伝えてみたり(なるべく越権行為に見えないように)しているけれど、直接的な解決にはなっていない。

改善活動を意欲減退の防止に利用する

 こうした意欲の減退は、周りからは見えづらいものかもしれない。本人だって「やる気のないやつ」とは思われたくないから悟られないようにする。指示している仕事の程度に変わりがないし、本人から出力されてくる仕事の早さや質にも目立った変わりがない。外側に見えてくる変化がないのだから捉えるのが難しい。
 しかし放っておくのはまずい。意欲があればプラスアルファでしてくれたことでも、しなくなってしまう。最悪、異動や転職でせっかくの人がいなくなってしまう。そうでなくともその人の満足感が低下するということ自体がいけない。他人の自尊心が満足されていない状態というのは良くない。何とかしたい。


 それを防ぐために改善活動をやる。いつもとちょっと違う仕事を、ある程度の自由度を持たせて、自分が良くしているという実感を得られるようにやってもらう。企画部門や開発部門といった職場に比べると、製造現場に近い職場の方がルーチンワークになりやすい。それだから、特に製造現場に近い職場では熱心に改善活動をやるのかもしれない。
 これが間接的な効果の一つ目、「意欲減退の防止」の話だ。



課題発見と解決の習慣は、訓練しないと身に付かない

 そしてもう一つ間接的な効果として、「課題を見つけて解決するトレーニング」があるのではないか。


 現状に違和感を感じること、そこから課題を抽出すること、それを解消する手段を考えること、そして人と協力しながら現実にやってみること……。こうした行為を誰もが最初からできるわけではない。訓練が必要だ。
 高校、高専、大学、大学院、と進むにつれてそうしたトレーニングの機会が増えていく傾向にあるのではないか。「先生が出した課題を受動的にこなす」という形式より、「自分で課題を見出してどう解決するかを考えてそれを実行する」という形式の授業なり活動なりが増えていく。こう想像しているのは、実際に職場の周りの若い人たちを見回してみるとそんな傾向があるからだ。高卒、高専卒の人たちの方が指示を実行するというタイプが多く、院卒だと新人の時点でもう課題を見つけて改善する姿勢の見られることが多いように感じている。(ただ、個人を完全に規定するほど強い傾向だとは全く思っていない。)
 私自身は高専の専攻科という高専と大学のあわいみたいなところを卒業したけれど、そうしたトレーニングを学校で積んできたという実感はあまりない。卒検にしても先生が提示したテーマの中から選んだだけだった。ほとんどテーマを選んだ時点で結論が出ているようなテーマだった。


 それから、今の職場へ1年前に異動してきて少し驚いたのが、若い人でもそうでない人でも、現状への不満を口にしてもそれを自分で解決しようとするわけではないタイプの人が多かったことだ。怠惰だからではなく、習慣がないだけのようだ。「現状に違和感を感じること」というフェーズには至っても、そこから要素を分解して課題を正確に抽出する、そして解決手段を考えるといった方法を知らないのと、そうした習慣がないだけだ。
 そもそも課題を見つけて解決し続けるのが職務のような職場であれば自然と身に付いてくる。けれどやや受動的な業務が主な職場では、日常的にそうした訓練ができるわけではない。しかもどちらかというと後者の職場の方が高卒・高専卒の人が多かったりする。学生のあいだに訓練の機会が十分なかった上に、会社員になってもそうした訓練の機会が乏しい。そんな事態が起こっているのではないか。
 もともとのその人の資質というより、そうした「課題を見つけて改善する」というトレーニングの量の差の方が支配的なのではないかと思っている。(というより、「本人の資質」の一言で切ってしまえばそこで終わってしまう。)

改善活動を課題解決のトレーニングに利用する

 「現状から課題を抽出して解決する姿勢と力」というのは、組織にとっては極めて重要だ。それというのも組織はある瞬間に最適でも、その次の瞬間にはもう齟齬が生まれていく。(例えばメンバー構成がある時期に最適でも1年経つと全員が1歳分歳を取ってしまうという現実的な条件があって、経験年数や定年までに残された時間といった条件の変化に伴って適切な役割が変わってくる。あるいは社会的な環境が変わってその連鎖で末端組織の役割がゆっくり変化していったりもする。)根本的な目的から、どこがズレているのかを正確に見極めて、組織を修正するといった操作が必要になっていく。


 ところが製造現場に近い職場だと、そうした能力をふだんの業務から伸ばしていくのが難しい。その上もともとそうした能力を有した人が入ってくることも比較的少ない。学校で教わったわけでも職場で教わったわけでもないけれどできる人、という存在をあてもなく待ち続ける訳にもいかない。このような構造的な状況を少しでも解消するために、改善活動をやる。わざと課題抽出と解決を訓練するような場を設けていく。
 製造職場で熱心に改善活動をやるということのもう一つの意義は、こうしたところにあるのではないか。



改善活動を逆効果にさせない

 それで実際に、改善活動がそうした効果(意欲減退の防止、課題抽出・解決能力の向上)をきちんと果たしているのかというと、そうなっていないことが多々ある。形骸化している光景がお馴染みだ。
 改善活動それ自体がルーチンになり「指示されてやらされているだけ」になっていく。あの構造的な問題を解消するどころか、むしろ悪化させる一要因に成り下がっていたりする。やらない方がマシだ。


 改善そのものだけが目的ではない、これらの効果を実現させるためにやるんだ、という目的への認識をマネジメント側がかなりはっきり持っていないとそうした側面を引き出すのが難しい。制度設計が適切になされずに逆効果に陥っていく。ひたすら労働生産性を下げる方向にしか働かない。
 メンバーにそういう目的もあるのだと伝えて、若手社員に明確な範囲で権限を委譲して人をあてて、状況を細かくウォッチしながらダメ出しは抑えるといった運用面に気を付けて、テーマの選び方も「些末な問題を表面的に解決する」という話に落とし込んで意欲を減退させないよう「大事な問題を根本的に解決する」という話にして……と常に合目的的かというチェックを入れていかないと、すぐ形骸化する方に流れていってしまう。


 そうした設計と運用を適切にできれば、無意味な上司の自己満足と思われがちな改善活動も、とても意義深いものとして機能するんじゃないかと最近思ってるんだ。