やしお

ふつうの会社員の日記です。

素人のいちゃもん作法

 国立競技場だったりマクドナルドやフジテレビの不振だったり何かの事件事故だったり、ヤフーニュースやはてなブックマークなんかで、門外漢のど素人、利害関係もまるでない傍観者が、「こいつがバカだからだ」という前提をほとんど無意識に採用した上でコメントしているのを見るのがとてもしんどい。そして自分の言表が所詮それらと同じ穴の貉ではないかと思わず疑ってしまう。どの一線によってそこから画されるのか、自戒のために整理しておく。


 まず一般的に言って、当事者というのは傍観者よりその問題についてはるかに多くの時間を割いて考えているはずだ、という認識から出発する。当然だが、当事者は傍観者よりもはるかに切実に問題を捉えて行動している。
 そしてもうひとつ、相手の知的水準が自分より著しく劣っているなどということはないはずだ、という認識を持つ。まして当事者がその分野の専門家として職を得ている=社会的に一定の評価を得ている場合はなおさらだ。大学の研究者や国家官僚はたいがいの場合、自分より知的水準が上だとさしあたり考えておく方がいい。「その人がバカだからだ」という理由をまずは封印するという態度だ。
 こうして「その人は自分より真剣にたくさん考えているはずだ」、「その人は自分より賢いかもしれない」という仮定を採用した上で考えた方が、より妥当性の高い結論に至って視界が晴れることが多い。当事者は真剣に考えてる、バカなわけでもない、なのにおかしなことになってしまうのはなぜか、と考える。個人の資質に帰結させるのは結局「なぜか」という問いをそこで停止させることであって、それを禁止することで、構造上の問題として捉えるところまで到達できる。


 例えば食品添加物の話で、外国では規制されているのに日本では規制されないのは利権とかがあるからだ、といったいちゃもんがある。実際には、そもそも日本の添加物の摂取量が世界平均で見てもかなり低いので規制する必要がないという現実に基づいている。(余談だが、日本人は添加物を気にする暇があるなら塩分摂取量を本気で気にしてろ、というのが専門家の一般的な見解のようだ。)
 あるいは例えば、温暖化問題の話で、CO2は温暖化の主要因だと確定できていないのにCO2規制にばかり集中している、といったいちゃもんがある。実際には、あらゆるパラメーターを含めた精緻なシミュレーションモデルを組んで、過去の現実との整合性も検証して、世界中の研究者のチェックも経た上で、現状考えられる主要因は人間の生産活動に伴うCO2量の増加、と結論している。
 彼らは、自分が見ていない部分(前提や途中式)を相手は考えていないはずだ、だから結論も間違っているはずだと思い込んでいる。
 当事者は自分より真剣に考えているはずだ、自分よりバカではないはずだ、という仮定があればこうしたいちゃもんをむやみに放言せずにすむ。


 このような「省略された箇所は、当人は検証していないはずだ」という、「相手はバカだし考えていない」という前提に基づく推断は、2ch、増田、知恵袋等々でもよく見られる。何か相談したり愚痴をしたりしている人に「お前が○○だからでは?」と言うあれだ。そして本人が「そこは問題じゃないんだよ」と反論して疲弊していく光景をよく見かける。もちろん話として成立するだけの要素を網羅していない書き手が悪い、という言い方もできるかもしれないが、実際のところ書く訓練を十分に積んでいないとそうした穴埋めは難しい。そしてその穴埋めができていないといって素人が素人を責め立てるという不毛な景色。
 これも一旦、書かれていない部分については書き手側にとって良心的な解釈をした上で考えた方がよほど建設的な話になっていく。


 普段の生活でも、例えば職場の後輩で「言われたことしかやれない人」がいて困っているとしても、「そういう人だからだ」で済ませたらそこで終わってしまう。「この人をそうさせている構造」を考えた方がよほど楽しい。あるいは相手が子供だったとしても、「自分より頭が悪いからだ」と考えてしまえば頭ごなしに叱って終わりになってしまう。しかし自分とはまるで別の思考システムが正確に作動した上でこの結論(この無茶苦茶な発言、破茶目茶な行動)に至っていると考えてみた方がより正確な対処に結びつく。


 こうした認識があるにもかかわらず、なお「その人がバカだからだ」と言おうとしている自分を発見した場合は、なにか自分の自尊心が満たされていない(仕事や家庭、あるいは趣味などで自分が他人に評価されていない)ために、他人を見下すことで自尊心を満足させる作用が働いていると疑った方がいい。もし目の前の相手との会話でそうやって相手を倒そうとしている場合は、自分のメンツを守ろうとしているための攻撃だと疑うことにする。