やしお

ふつうの会社員の日記です。

ワールポラ・ラーフラ『ブッダが説いたこと』

http://bookmeter.com/cmt/56120393

彼以降に発達した教義や方法の体系を一旦外して、ゴータマ・シッダールタ当人のしたこと説いたことのエッセンスを見る。仏教に限らずキリスト教イスラム教も、イエスムハンマド自身は「どうやったら人が幸せな状態であり得るか」を根本的に検討した上で、かなり柔軟に生活に根差した個別具体的なアドバイスをして回っている。その後その言動が整理されて体系化される過程で捨象や歪曲が起こったり言動を固定的に捉えたりして最初の精神が見えにくくなる。そこを一旦外すと輪廻や四聖諦や瞑想などの概念や方法論がシンプルにくっきり見えてくる。


 生きている中での人の苦痛を実践的に取り除くことと、そもそもなんで苦痛が起こってくるのかということを考えていく。
 輪廻って、魂が回っていきますよ、死んだら生まれ変わりますよ、悟りを開いたらそこで輪廻は終わりますよ、という「なんかわからんけどそういうルール」みたいな感じで漠然と捉えてたけど、本書を読むとかなりすっきりする。こういう必要性があって帰結されたメカニズムなんだなということがよくわかる。
 10歳の子が60歳になったら、それは同じ人だけど、全く同じ人じゃない、別の人でもある。同じ人だけど、別の人。それくらいの意味での輪廻。(ちなみに分子レベルで見ると3か月だか半年だかでその人はまるっきり入れ替わっちゃう、という話を聞いたことがある。)その人が死んで、別の人に生まれ変わる、魂が引き継がれる、みたいな言い方をするとちょっと神秘主義みたいになって見えにくくなっちゃうけど、10歳の子が60歳になったときに「同じ人だけど別の人」というのと同じ程度に、輪廻で転生したら「同じ人だけど別の人」なだけだと言われると、まず輪廻というのがさして特別な概念ってほどでもないのよ、とイメージが落ち着く。
 それからたぶん、もともと「なんで人間というか生物という形で組織されるんだろう?」っていう(当然と言えば当然の)疑問があったんだろうと思う。今どきの言い方をすれば、基本的にエントロピーは増大する方向なのに(生物はエントロピーが最大化したら死ぬ)、なんでエントロピーが減少する方向にまた働くんだろう(なんでまた生物が新しく生まれるんだろう)? という疑問だ。このとき、もともと生物を組織する、そういう方向へ何かしら力が働いている、と考える。その何かを組織する力というのが、「欲望」みたいなものだ。もともと物や考えを構築するような力として認識されている。それが保存されているために、生物が組織される。そう考えれば「生まれ変わったとは言っても別に思考だとか前世の記憶みたいなものは引き継がれない」というのは当然、ということになる。
 人にはそういう「欲望」みたいなものがあって、それによって物が組織されていく。ところが一方で、その「欲望」みたいなもののせいで苦しさが出てくる。ハッピーには生きられない。だから、一体どういう形で人間が生きている・組織されている・規定されているのかをきちんと分析して見通すこと、「欲望」を自覚することと、その次に「欲望」を相対化させて無化・解体させていく。これが「悟り」、ニルヴァーナにたどり着くということ。そういうわけだから、ニルヴァーナに至ってしまえばもう、次に生物を組織する「欲望」がもう無化されている以上、その人が死んだらそこで終わり、もう輪廻は終わり、というのは当然のことだ。(ここで「欲望」って書き方したのはかなり便宜的で、本書の中ではそういう用語は使われていなかったと思う。)
 と、こういう風に考えていくと、輪廻というのは「そういうルール」(前提)というより、当然の帰結ってことになる。本書では、仏教だと輪廻って本当なの? みたいな議論はそもそも起きようがない、というようなことが書かれているけれど、こういう風に言われると(そりゃそうだろうな)という気になる。
 本書だとそんな感じで、仏教で「なんかわからんけどそういうルール」みたいな理解でいたことを、もっとシンプルな形でとらえ直してくれる。もともと西洋人向けに一般的に誤解されているところを解く、という面もあるので、たしかに入門書(なるべくコアな部分でブッダ本人の精神の概観を確認しておく)にはいいかもしれない。


ブッダが説いたこと (岩波文庫)

ブッダが説いたこと (岩波文庫)