やしお

ふつうの会社員の日記です。

斎藤環『ひきこもり文化論』

http://bookmeter.com/cmt/56120410

ひきこもりの臨床例や治療法の紹介ではなく、社会的/内在的な構造が語られている。もともと、ひきこもるのも結構しんどいだろうなと、蟻地獄みたいにもがくほど抜けられなくなるようなシステムなんだろうなと漠然と思っていたけど、その機序を明確にしてくれる。自尊心を仮想的に確保しようとして、でも本人も仮想的だと理解しているので不安になって、ますます仮想的に強化して……みたいなスパイラル。実は家族の側もアンビヴァレントで、自立してほしいけど甘やかしたい、外に出てほしいけど世間から隠したい、っていう環境の縛りがあるという。


 本書を読んでいた中で、「去勢」がきちんと働いていない=子供が万能感を一つずつ諦めていく過程が働いていないという話があった。俗にいう親離れ/子離れなんだけど、その話を読みながら、自分が中学生だったときの出来事を急に思い出した。
 自分が高校の受験勉強していたときに、家の中がうるさくて集中できないというような文句を言ったら母親がキレたんだった。私らが頼んであんたに高校に行ってもらうんじゃない、金だって私らが出すのに何を偉そうに言うんだ、じゃあ高校なんて行かなくていい、中卒で就職しろ、出てけ、みたいなことを言われた。ちょうど母親が更年期障害だったこともあって激怒してたんだと思う。あと母親自身、中卒で田舎から都会に出てきて美容院で住み込みで働き始めた、という経験があったからかもしれない。
 最終的に、高校に行かせてほしければ土下座しろ! と半沢直樹みたいなことを母親が言いだして、僕も泣きながら土下座して「高校に行かせてください……」って、バスケがしたいですみたいな強制三井状態な感じだった。今まで恥ずかしくてこのこと人に言ったことなかったし、だいぶ忘れかけてた。
 子供に土下座までさせる必要があるかはともかく、今思うとこうやって子供の思い上がりをどっかのタイミング(たぶん身体的に成熟する思春期あたり)で段階的に粉砕しておくのは良かったのかもしれない。確かにそれまでは「自分は高校に行くのなんて当然だ」とまるっきり疑ってもいなかった。はっきり言われてみて(たしかに親が金出して当たり前ってことはないのか)と分かった。これがここで言われてる「去勢」の一種だったのか、と思って。そういう意味では感謝した方がいいのかもしれない。
 もしそういう場面で、「そうだね。うるさくてごめんね。じゃあ勉強できるように静かにするね」などと子供の要求を親がのみ続けていたら、子供(自分)の側も勘違いしたままだったんだろう。そうして、みんな親が悪いから、みんな他人が悪いから自分がこうなっちゃったんだ、と人のせいにして、でもそれだと何も解決しないから本人は苦しくて……っていうスパイラルに陥っていく。