やしお

ふつうの会社員の日記です。

説教を説教にしない技術

 職場の後輩に説教してつらい。もうこっちの心理的ダメージの方が大きいんじゃないかってくらいストレスがひどかった。
 「こういう姿勢で、こういう考え方で仕事に臨んでくれれば、他人から文句を言われずに済むし、楽に仕事ができる」、「一から考える、相手の立場で困ること・嬉しいことをとことん考えるって習慣を今からしていけば、5年後とかにはほとんど意識しなくてもできるようになるから」みたいな話をした。なるべく具体的に、こういう場面でまだちょっと甘いなと感じている、っていう話で始めていった。もともと感じていたけど、今日はっきり(これだとまずいよな)と思うことがあったので、ちょっと改まって二人きりで話をしたんだった。
 それだけだとアンフェアだから、「そもそも君はかなり頑張ってくれてるし、ちゃんとやってくれている」、「その年齢でそのプロジェクトの課の代表者になってるっていうのは、大変なことだしすごいことだ。トレーニング期間が十分ないのにそうなっちゃってるのは、組織としてよくない面もあるかもしれないけど、個人としてはとてもやりがいのあるしある意味で有難いことなんだ」、「君ならもう一段階ここからステップアップできると本当に思ってるからこういう話をしてるんだよ」っていう話もした。
 後輩の彼は、ほとんどうなずかない、眼もあわさない、返事もしない、という状態で、神妙に話を聞いている風にも見えるし、完全にふてくされている風にも見える態度で、話しているこちらも不安になった。それで、「もし君にとって『いや、そうじゃない』っていうところや、『こういうところがわからない』っていう点があれば、そこは言ってほしい」と聞いて、そこから少し話はできたんだけど、全体としてはこっちが一方的に話す感じになってしまった。
 最後、「君にとっては不愉快な話だったかもしれないけど」と言ったら、「そんなことないです、ありがとうございます」と(別に嘘じゃなさそうな感じでは)言ってくれていたけど、どうしても(ほんとはとりあえずこの場をやり過ごせればいいな、さっさと終わればいいな、としか思ってなかったりするのかな……)と不安な気持ちになってしまった。
 後輩の彼の顔を見ながら、そういえば自分が子供のころ母親に怒られながらこんな感じだった、自分が悪いなと反省してるけど何も言えずに黙ってうつむいて耐えてた、と思い出してしんどかった。


 話し終わった後、心理的なしんどさがもう胃と肩にくるこの感じ、ものすごく久しぶりだと思って、(なんでこんな風になっちゃったんだろう)と考えてた。自分の場合どうしてたんだろうと思ったら、説教されかけたときは、「僕個人の問題」じゃなくて「建設的に解決すべき課題」にいつもすぐすり替えてたんだった。僕が説教されている/こいつを説教している、という形に突入する前に、客観的な解決すべき課題が僕の中にあって、それをあなたのアドバイスを受けながら二人で改善していくんだ、という前向きっぽい形にすり替えてたから、あまり説教されたって感じが今までなかったかもしれない。
 もう最初に「ああ、そうそうそこなんです、自分もあなたの指摘してくれたそこをまさに課題だと感じています」ということを(そんな言い方はしないけど)さっさと伝えて、具体的に「自分はこう考えてこうしたんだけど、これだとまだカバーしきれていない点があるって指摘だと思うんですけど、そこが自分ではまだ把握できてないから教えてほしいんです」みたいな話に展開してた。説教する側にとって一番不安なのは「こいつほんとに俺の言ってることわかってるんだろうか?」という点なので、そこを安心させてあげれば、話も早く済むし、雰囲気も殺伐としないし、話の中身自体もお互いにとって意味のあるものになっていく。別に説教に限らず、仕事を指示されたときなんかでも同じだ。
 説教を説教にしない技術っていうのがあって、それを自分は(あまり意識してなかったけど)やってたんだなと思った。


 自分が説教をする側に回った時に、相手がその「説教を説教にしない技術」を使ってくれたらこっちの心理的負担も軽くなる。
 でもこれ、そういう風にしてくれなかったからその後輩の彼が悪いんだ、なんて絶対言いたくない。そうじゃなくて、僕の側が彼にそうさせなかった、そういう環境整備をしなかったのが悪いんだよ。ちゃんと初手から、「この件とこの件があって、それで僕は君がこういう面でちょっとガードが甘いと感じたんだけど、君の側から見たらどういうことなんだろう」と一つずつ相手に話させなきゃいけなかった。そうやって、一方的にこっちが話すという状況を最初から作らないように気を付けて、「君にとっての課題を解決する道を、二人で探してる」って形に持ってかなきゃいけなかった。相手が黙っちゃって返事もしないから、それで不安になってこっちが自論を補強するようなことを付け加えて、相手が(はいおっしゃる通りです)ってますます黙るから、ますます不安になって自分がさらに言葉をついで……っていう悪循環が、「説教する」っていうモードを作っていく。相手が説教モードを解除してくれるタイプの人だったらいいけど、それを期待して甘えるんじゃなくて、こっちが解除しなくちゃいけない。
 今まで説教をされる側の立場でしか「説教を説教にさせない技術」を行使してなかったけど、それだけじゃもう足りなくて、説教をする側の逆の立場で「説教を説教にさせない技術」を身につけて使っていかなきゃいけないんだ、って思った。


 今回のこと、やっぱり僕の側は、ちゃんと彼に伝わったのかな? っていうのはとても不安になってる。でもここで、その不安に駆られて同じようなお小言を言っちゃうと、(もうわかってるよ!)ってなって逆効果になる。二度も三度も同じことを言うというのは、相手を信用していないという表明そのものなので、相手に反発心を生むのは当然だ。だからもう、この話は彼にちゃんと伝わってるはずだ、とさしあたり信じて様子見にしないとダメ。