やしお

ふつうの会社員の日記です。

サンタおじさんのトナカイ掌握術

 そりを引くトナカイたちのポジションには暗黙の、しかし厳密な序列が存在する。そりを引くたびにトナカイたちはお互いの位置で序列をはっきりと思い知らされ、自然と自身の序列を上げたいと思うようになっていく。隠微な優越感と劣等感が植え付けられていく。
 サンタのおじさんが時々序列を変える。「ずっと同じというのもよくないから」とか何とか、理由になっていないような理由を言ったり、あるいはなにも言わなかったりする。トナカイたちはここ最近の自分たちの行動を思い出しながら、あれが良かったんじゃないか、あれがまずかったんじゃないかとサンタのおじさんの意図を自主的に忖度し始めるが、答えはわからない。そうして行動原理が徐々に「サンタのおじさんの気に入りそうなこと」へと支配されていく。
 序列の低いトナカイは扱いが悪い。最下層のトナカイはまるで下働きのようだ。食事の用意もさせられ、食事をする場所も時間も分けられている。暴力もふるわれるが、サンタのおじさん自身が手をあげることはなく、もっぱら序列が上のトナカイから受ける。トナカイたちはサンタのおじさんの意図を先回りして勝手に考えてしまう習慣がすっかり身に付いているから、指示をされないうちにトナカイ同士で制裁を加えてしまう。


 トナカイたちは頻繁に「反省会」をさせられる。毎日夕食後のほか、サンタのおじさんから突然指示されて開かれる。何を「反省」するのかはわからない。ただ自分たちで話し合って自分たちの何が悪いか、そしてどうすればいいかを考えさせられる。話し合いの結果をサンタのおじさんに報告すると、「そんなことじゃないだろう」と突っぱねられて、また反省会が続けられる。サンタのおじさんの満足する答えが出るまで、明け方まで続くこともざらだ。「そうだな。ちゃんと分かってるじゃないか」「うん。じゃあこれからはそうしなさい」という答えが返ってくるまで終わらない。
 入って日の浅いトナカイは不満を言う。結局サンタのおじさんの要求をきくのと同じことだから、最初からサンタのおじさんが自分たちにどうしてほしいのかを言えばいい、こんな話し合いは時間の無駄だと言う。それはもっともな意見だが、他のメンバーはそれを認めることができない。自分たちがこれまで毎日してきたことを「無駄」だと言われることは我慢がならなかった。自分より経験の少ない者に正論で指摘されるのも不愉快だった。それで、こうして自分たちで考えて話し合うことが大切だとか、とにかくそうすることになっているとか、お前は何も分かっていないとか懐柔や抑圧をする。自動的にサンタのおじさんの代弁者として振舞いはじめる。
 反省会の間は水を飲むことも許されず、眠ることも許されず、トナカイたちは疲労で思考力が奪われていく。とにかく早く終わってほしいと思うようになる。自分たちの損得を盛り込もうという最初の、当然の気持ちはすっかり奪われて、とにかくサンタのおじさんが肯定しそうな結論を出すことだけに精一杯になってしまう。それして出した結論はしかし、「自分で決めたこと」として自分自身を縛ってくる。「お前が自分で決めたことじゃないか」と縛り付けられてしまう。「他者に言われてやらされたこと」であれば反抗できても、「自分で言ってやったこと」はたとえ形式的でも抗い難い。そこを否定してしまえば「私は主体性のない奴隷です」と自分で認めてしまって残り僅かな自尊心が崩れてしまうから守らざるを得ない。
 「反省会」に限らず、トナカイたちの排泄・食事・睡眠の自由はなく管理されている。そうした生理的な欲求をコントロールされるだけで知らず知らずどうしようもなく主体性を奪われて従属してしまう。


 ときにはサンタのおじさんに意見するトナカイもいる。こうした方がより効率的だとか、こうすればもっと良くなるとか提案してくるトナカイもまれにいる。サンタのおじさんは嬉しそうな顔で、いいアイデアだ、頭がいいと褒めあげる。そして何もしない。どれだけトナカイが提案しても採用されることがないし、序列として評価されることはない。そのうちトナカイはそんな提案をしても無駄なのだと悟る。より卑屈になっていく。
 あるいは労使交渉を求めてくるトナカイもいる。サンタのおじさんは、もっともだとか、大事なことだと言う。そしてそのトナカイは序列が少しずつ上がる。まわりのトナカイたちも少しずつ「こいつが自分たちのリーダーなのかもしれない」と尊敬を集め始める。本人もリーダーらしく振る舞い始める。しかしそのトナカイがわずかなミスを犯すと、サンタのおじさんは舌打ちをして後で序列を少し下げる。それはたいしたミスではなく誰もが犯すミスなのだが、サンタのおじさんは確実に拾い上げて、ため息をついたり舌打ちをしたりする。「反省会」でトナカイたちがそのミスを取り上げると、サンタのおじさんは残念そうな顔で「そうだ。あれじゃいかんな」と彼らの結論を肯定する。序列は最下層より少し上まで落ちて止まる。他のトナカイたちはすでに「こいつはダメなやつだ」「口だけのやつだ」とすっかり思ってあからさまにバカにした態度を取る。最初から序列が低ければバカにしたり嘲るだけなのだが、上から落ちてきたそのトナカイにはかてて加えて敵愾心まで混じるのだった。もはやそのトナカイは「自分はバカだ」という立場を受け入れるしかなくなっている。他の仲間にバカにされても反発せずひたすら下手に出る以外にその小さな「社会」で生きることができなくなっている。プライドを完全に破壊されてしまう。


 サンタのおじさんに反論することは難しい。サンタのおじさんの言うことにはいつも筋が通っている。トナカイが何かミスを犯して「どうしてそうしたのか」とサンタのおじさんに訊かれれば「こう考えたからだ」「こう判断したからだ」とトナカイは答える。そうするとサンタのおじさんは「しかしそれではこうだからダメだろう」と言う、トナカイは「そうですね」と言う。「ではダメだと分かっているのにどうしてそうしたのか」とサンタのおじさんはさらに訊く。そして最終的にトナカイが「すみませんでした」としか言いようがない地点まで追い込む。サンタのおじさんは「すいませんじゃない、どうしてそうしたのか聞いている」とさらに追い詰める。
 命題Aも、命題¬Aも、仮定のとり方をさりげなく変えてしまえばどちらも導くことは難しくない。そして「それらしく見える仮定」というのはどこにでも転がっている。論理さえ正しければあたかも正しい話のように思えてしまう。サンタのおじさんはとにかく論理、筋を素早く構築できるから正しく見えてしまって反論が難しい。トナカイたちも「あの人の方が正しい」と思う。それどころか、サンタのおじさん本人も「自分の方が正しい」と信じているからますます自信を持って相手を否定でき、その立派な態度が余計にトナカイたちとサンタのおじさんの力関係を強固に固定化していく。


 トナカイたちは頻繁に「訓練」をさせられる。重りを載せたそりを引いて上昇と下降を繰り返す。スタミナをつけるとか技能を向上させるといった名目が与えられているし本人たちもそう考えているが、実際にはそうした効果はほとんどない。ただポジションで自分の序列をはっきり再認識することと、お互いのミスを見つけあって「反省会」の材料にするだけだった。


 トナカイは時々「補充」される。サンタのおじさんがどこかの群れの中の一頭に目星をつける。その「候補」にトナカイを近づけて一緒に飯を食うなりして意気投合させる。トナカイは「紹介したい人がいるんだよ」「すごい人だから」といって候補をサンタのおじさんの元に連れてくる。サンタのおじさんは候補のトナカイを褒め上げる。「あんたは赤いピカピカの鼻がいい」「夜道も照らせて素晴らしい」「わしはあんたを気に入った!」。そして極上のエサをごちそうする。候補が遠慮しても「わしがあんたを気に入ったからおごりたいんだ」などと言って許さない。サンタのおじさんは自分がクリスマスに世界中の子供たちにプレゼントを渡していること、この仲間たちでそれを毎年成し遂げていること、それがいかに素晴らしいことか熱をこめて語り上げる。周りのトナカイたちも同調してこの人がどれほど世界的に有名で素晴らしいかを語る。候補はたびたびサンタのおじさんたちの元へ訪れる。そのたびに極上のエサをごちそうになる。自分も参加してみたいと思う場合もあるし、素晴らしい人たちだが自分には関係のない世界だと思う場合もある。
 候補はサンタのおじさんの仲間になるように勧誘を受ける。しかしそれには群れから完全に抜けて一生戻れないという。候補は尻込みをする。サンタのおじさんは突然激昂して「ここまで親切にしてやったのにアダで返すのか」と責める。責められた候補は動転してなんとかその場を丸くおさめようとするがサンタのおじさんの怒りは止まらない。話をつけてやるといって夜中に、何頭かのトナカイと候補をつれて群れに乗り込む。
 サンタのおじさんはだったらエサを返せという。あれは人間でも入手がとても難しいエサで本当に特別な時に仲間たちで食べるものだったのをやったのだ、仲間にならないのなら返せといって、トナカイたちとひとしきり暴れる。群れの仲間たちがみんなで少しずつ返すと言っても「同じものでなければダメだ」と言ってきかない。食べてしまったものを返せというのは不可能な話で群れは途方に暮れる。
 「話し合いをしろ」とサンタのおじさんは言う。5時間後にまた来るから自分たちで話し合いをしろという。午前2時で、突然平和な生活を一方的に乱された群れのトナカイたちは疲れ切っている。結論は出ない。候補のトナカイは責任を感じている。自分のせいで仲間を面倒に巻き込んでしまったと自分を責めている。もともとそういう性格のトナカイを候補に選んでいるのだった。ついに候補が「自分が出ていくから」と言う。群れの仲間が「行くな」「俺らが話をつけてやるから」と言っても「大丈夫だから」「ちゃんと話してくるから」といって出ていってしまう。
 そうして候補を仲間に取り込む。しかしそれで終わりではない。サンタのおじさんのもとでの生活に十分慣れたところで、すっかり忘れたころにサンタのおじさんが突然「あの群れの連中は許せない」と言い出す。「お前に全部判断を押し付けたのは、群れの仲間なのに最悪な連中だ」と言う。そしてトナカイたちを連れて元の群れにまた乗り込んで暴れる。今度は候補のトナカイ自身に群れの仲間たちを罵らせる。候補はサンタのおじさんの機嫌を損ねて最下層に落とされる恐れがすっかり身についているから、昔の仲間に悪いと思いながらも本気で罵るふりをする。本心と裏腹の言葉を吐くストレスに耐えられずに、自分は本気で「昔の仲間は最悪な連中だ」と思っているのだと思い込もうとする。群れはすっかり変わってしまった候補のトナカイに驚かされ、ショックを受け、嫌悪感を抱く。
 候補のトナカイは「もし自分が逃げようとしたり群れに戻ろうとすればまた群れに迷惑がかかる」と思うし、群れのトナカイたちは「あいつはすっかり変わってしまったからもうだめだ」「これ以上の面倒は御免だ」と思うし、双方向から絆を断ち切らせるに至る。こうして群れからの離脱が完成する。トナカイはもともと群れで生きていく動物だから、サンタのおじさんのグループから抜けて一人で生きていくことはできない。「候補」は完全に「仲間」になる。


 トナカイたちにとって、自分たちは世界の役に立っているという思いだけが自尊心の支えになっている。実際、サンタのおじさんもたびたびそう口にする。それでも自分は世界を幸せにする存在なのだと言い聞かせて毎日を生きている。
 そしてクリスマスが来る。イブの夜にトナカイたちは世界中の子供たちへのプレゼントを満載したそりを引いて飛び立つ。それは極めて過酷な作業で、時差と日付変更線の関係で連続31時間が配達に費やされる。この過程でトナカイは何頭か命を落とす。帰り着くと心身ともにボロボロのトナカイたちが仲間の死体を見つめてぼんやりしている。サンタのおじさんは彼らに「どうするんだ」「自分たちで考えろ」「反省しろ」と言い捨てて一人で家に入る。
 トナカイたちは、死んだ仲間を自分たちで土に埋めている。
 サンタのおじさんは世界中の子どもたちが枕元に置いていた手紙をめくって満足そうに頷いている。「子どもたちの笑顔を思い浮かべると、本当に幸せな気持ちになるものだ。やはりわしは、まだまだこの仕事を続けんといかんな。」