やしお

ふつうの会社員の日記です。

2016年に読んだ本のこととか

会社や組織の本

 L・デビッド・マルケ『米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方』は組織運営という点でとても示唆的な本だった。組織を機能させるにはリーディングやマネジメントを強化する。しかしそうすると部下は指示されて動くだけの人間に成り下がってしまって次のリーダー/マネジャーが育たない。という対立が生じてしまう。これをいかに解消できたかという話が、潜水艦業務を具体的に紹介しながら自身の成功/失敗体験を紹介してくれる。
 この本をもう一段抽象化して
  組織内の権限移譲が成立する条件 - やしお
を書いて、さらにこれを材料にしながら、
  組織のなかで働く技術 - やしお
で組織の中で働く技術の全体をとりあえず体系化するところまで来られた。この本の示唆がなければこういう形にはなっていなかったかもしれないのでとても感謝している。しかし邦訳の書名がダサすぎる。

米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方

米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方


 大野耐一トヨタ生産方式』は前提をみんな疑い直して目的から手段を構築していく、そして「ふつうそこまでやれない」と諦めることを本当に実行してみたという本で爽快な気分になる。ヘンリー・フォード1世のフォード式、豊田佐吉自働化豊田喜一郎のジャスト・イン・タイムといった先行する方式を批評的に読み直すという試みにもなっている。こうした根本から語っている本を読んでしまうともう、例えば「かんばん方式」とかの解説本は範囲が狭すぎて読もうという気がなくなる。

トヨタ生産方式――脱規模の経営をめざして

トヨタ生産方式――脱規模の経営をめざして


 この2冊は対照的で、『米海軍〜』がとことん具体的にエピソードを積み重ねていく本、『トヨタ生産方式』がとことん根本精神から語っていく本になっている。普段ビジネス本や自己啓発本をあまり読みたくないのは、具体と抽象のどちらかに振れていなくて中途半端な位置にいて退屈なことが多いからだ。抽象化するなら前提を何もかも疑い直して自力で一から構築しているレベルでないと退屈だし、具体化するなら成功例も失敗例も経緯もその時考えたこともみんな整理せずに盛り込んでくれないと参考にならない。


 あと会計が面白そうだと思って簿記の本を読んだ。日商簿記の2級を受けてみようと思って始めたものの、9月末に母親が亡くなったときに中断してそのままになってしまった。会社の中で起こるすべての出来事を「金額」というたった一つの単位で記述し尽くす、それを長年かけて統一ルールにまとめ上げたという狂気じみた営みだからやっぱり面白い。右サイド(貸方)と左サイド(借方)の合計額が一致する状態を維持させながら、エネルギー保存則みたいに科目を移し替えていくという作業を具体的に見ていくと、たしかに企業活動をいかに実態と反映させながら「金」という数値で記述していくか、という営みになっていて(よくできている……)と唖然として楽しい。
 3級が商店、2級の商業が株式会社、2級の工業が製造業の原価計算を対象にしている。あれこれ見比べてこの教科書シリーズが「どうしてそうするのか」という理由がしっかり書かれていてわかりやすい。

みんなが欲しかった 簿記の教科書 日商3級 商業簿記 第4版 (みんなが欲しかったシリーズ)

みんなが欲しかった 簿記の教科書 日商3級 商業簿記 第4版 (みんなが欲しかったシリーズ)

みんなが欲しかった 簿記の教科書 日商2級 商業簿記 第5版 (みんなが欲しかったシリーズ)

みんなが欲しかった 簿記の教科書 日商2級 商業簿記 第5版 (みんなが欲しかったシリーズ)


一般教養(?)の本

 高木徹『国際メディア情報戦』は、あらゆる手をつくして「自分たちの方があいつらより(理念や倫理が)正しい」をアピールし合って実際に国際世論を動かしていく個人や国の姿を紹介してくれて内容もとても面白い本だけど、それと同時に、展開や細かい演出がテレビのドキュメンタリーのようになっていて読みながら引き込まれていく。
  わかりやすさの技術 - やしお
で、どうすれば「わかりやすい」を実現できるのかということをある程度まとめて書いた。その中で、相手が歩きやすい道を整備するだけではだめで、歩いていて楽しい道にしないといけない、エンタメ的な要素を入れる必要がある、とだけ書いて具体的な技術の展開まではできなかった。「わかりやすい」さえ到達していない本が多い中で、この本はさらに演出技術もかなり高い水準で発揮しているので、本書を丁寧に分析してみればどういう技術があるのか一般化することができるかもしれない。


 村山満明・大倉得史『尼崎事件 支配・服従の心理分析』は、一人のおばさんがいくつもの家族を乗っ取って家族同士で性交させたり殺し合わせていた事件に関する本。著者は心理学者で、乗っ取られた側の一人の裁判での情状鑑定を依頼されて作成したレポートを加筆して公開したもので、一般向けというより法曹関係者向けの本になっている。普通に考えると「どうしてそうなった」としか言いようのない事態に、どうしようもなく取り込まれて逃げ出せなくなるプロセスが丁寧に描かれていて恐ろしい。対岸の火事といった事態ではなくて、こうした人が自主性を手放してしまうという状況は、会社・学校・家庭といった空間でも条件が揃っていけばもっとライトな形でいくらでも起こる話だから、極端な例として知っておくことはとても参考になることだと思う。乗っ取る側も自覚的・意識的にそうしているというより無意識に相手を支配してしまうこともあるし。
  サンタおじさんのトナカイ掌握術 - やしお
でサンタのおじさんがトナカイたちを使役するための技術のお話を書いてみたのは、基本的にこの本の内容を元にしている。

尼崎事件 支配・服従の心理分析

尼崎事件 支配・服従の心理分析


小説

 ウィリアム・フォークナー響きと怒り』は小説に限らず今年読んだ本の中で唯一「あああーっすごすぎる」という気持ちになった。特に知的障害のおじさんの一人称視点で語る1章は言語や認識の感覚が強制的に押し広げられていくし、黒人奴隷のおばあさんが視点人物になる4章はとにかくひたすらあざやかで嘘みたい。

響きと怒り (上) (岩波文庫)

響きと怒り (上) (岩波文庫)

響きと怒り (下) (岩波文庫)

響きと怒り (下) (岩波文庫)


 小説をぜんぜん読んでない。05年から読書の記録を取り始めて以来はじめて10冊未満だった。同時代の小説家の作品をほとんど読まなくなってしまった。ストーリーやキャラクターや世界観を摂取するだけなら小説である必要がないし、そうでない部分で様々な試みによって小説の更新に誠実であるような同時代の日本の小説(純文学)を読むというのは、読めば面白いしすごいと思うのに、どうしても「ニッチ」とか「部分最適」とか「だから何だ?」といった言葉が思い出されて手に取る気にならなくなってしまった。外側に接続しているという意味では保坂和志が、そもそもそうした立ち位置や誠実さとは無縁という意味では金井美恵子や他の女性作家たちが、そうした退屈さから免れているのかもしれない。年に10冊未満で今の自分にはちょうどいいのかもしれない。