やしお

ふつうの会社員の日記です。

ジェイン・オースティン『マンスフィールド・パーク』

https://elk.bookmeter.com/reviews/61216855

オースティンの長編6篇のうち、ナボコフが文学講義で取り上げた作品で、ナボコフも指摘してるけど、死が主題にならずに本当にナレ死というか、病苦も心理も描写ゼロでもう死んでる、各人の状況や立場の変化をもたらすために物語上の役割として死ぬのは、死を主題にした日本の小説に慣れた身からすると軽やかで楽しくなる。もともとこの小説自体が地位・兄弟姉妹や婚姻・金や財産といった条件の組み合わせで人物の動きを規定していくっていうシステマティックなお話だっていう前提があるから、死もその一環としてシステム上の要素として処理される。


 主人公のファニーの立場が、他人だけど家にいる、客観視してるけど当事者、っていうお話を語るのにちょうどいい位置にいる。他の長編(といっても6篇中の4作品しか読んでないけど)だと当事者そのものの位置から能動的に語っていくスタイルなのでだいぶ違う。ファニーの場合はほとんど受け身で自分からアクションを起こすということはなく、巻き込まれていくという関係にある。
 他のオースティンの長編もそうだけど、読んでると全体の95%くらい読み進めてもまだ伏線回収というかお話の収束にいかないから、(えっどうするつもりなの……)(まさかこのまま投げっぱなしで終わる気では……)と心配してると最後の数%で暴力的にハッピーエンドに収束させてきて、安心するというよりなんか呆然とするという感じ。
 オースティンが読みたくなるのは、社会システムをしっかり詳細に描いてくれて、そこから人間の考え方や判断が規定されてくる、というのを見せてくれるから。馬車のタイプ、貴族としてのクラス、屋敷の大きさ、地理的な距離、乗馬用の馬のやりくり、等々が人の心情や思考を規定してくるという。それが好きなの。

マンスフィールド・パーク (ちくま文庫)

マンスフィールド・パーク (ちくま文庫)