やしお

ふつうの会社員の日記です。

反対車線を逆走する気持ち

 恥ずかしい上に違法なので今まで誰にも話したことがなかったけれど、以前に一度、反対車線を逆走してしまったことがある。高齢者でもなければ初心者でもペーパードライバーでもなかったし、運転がむちゃくちゃな人間だとも思っていなかったのに、そんなミスをするなんて自分でもものすごく動揺した。幸い事故にはならなかった。
 どういうシチュエーションで起こって、運転者としてどんな感覚だったのかを記録しておくのも無意味ではないかもしれないし、自身の再発防止にも役立つかもしれないと思って。


状況

 ショッピングモールの駐車場を出たところで反対車線に入って、20mほど走ったところで正面からくる車を見た瞬間に自分が逆走していることに「気付いて」、幸い周りに他の車がいなかったから慌ててもとの車線に戻った。

 はじめて来たショッピングモールで用事を済ませて駐車場の出口を探していた。出口の案内に従って進んでいったら出口の直前、引き返せないポイントで「○○方面出口」という表示を見つけた。自分が行きたいのは「××方面」だったから(あ、しまった逆方向に来ちゃった)と思った。
 駐車場出口まで来ると、そこだけセンターライン上にポールが並んでいて侵入できないようになっていた。幹線でもなく片側一車線の道路で、周りに車がいないことが確認できたため、ポールを回避して向こう側の車線へと侵入してしまった。


原因

 しかし、左折するならそのままポールに従えばすんだのに、わざわざポールを回避して反対車線に侵入して逆走するというのは全く不可解だ。簡単な正解ではなく、わざわざ難しい間違いを選ぶというのはまるで意味がわからない。
 当時もしばらく(どうして自分があんなことしちゃったんだろう)と意味がわからなかった。その後あれこれ要因を考えた末に、たぶんこうじゃないかなという結論に至った。


 そのとき初めての場所だったこともあってカーナビに目的地(××方面)を設定していた。ナビは出口で左方向を示していた。一方で駐車場には「○○方面出口」という表示が出ていた。(実はそのまま左折して進んだ先に、○○方面にも××方面にも行ける幹線道路に突き当たるからどちらにも行けた。)
 「自分は逆側に来ているから反対側にいかないといけない」という駐車場の表示から得た認識と、「行くべき方向は左側」というカーナビから得た認識が咄嗟に合わさって、表示に逆らった動きをしないといけない→ポールを回避して向こう側の車線に入るというアクションと、左に行かないといけない→左折するというアクションが組み合わさって、結果的に不適切な「逆走する」という結果に至ってしまったのかもしれない。
 駐車場の表示とカーナビの案内のどちらか信じる方を絞っていれば適切な行動ができたのだろうと思う。だけど「間違えちゃった」「リカバリしなきゃ」と焦っているところに、同時に別々の情報が入力されて不適切な組合せ結果が出力されてしまった。


感覚

 「2車線の道路上で、自分の真正面に対向車がいる」という異様な光景を目にするまで、自分が逆走しているという認識が全くなかった。その瞬間に「自分が逆走してる」とはっきり理解して、驚愕しながら左側に戻った。
 そのあと、(完全にいかんことしてしまった)とか(対向車の人にも無用な緊張や驚きや怒りや恐怖を与えてしまった)とかでしばらく動揺していた。どうしてそんなことを自分がしたのか理解できずに、(自分は何かおかしくなっているのだろうか)と自分で自分のことがわからなくてショックで、自分なりに納得のいく要因が特定できてようやく気分が安定した。


 よくよく思い出してみると、反対車線に入ってしまった後(なんか変だ)という感じはずっとしていた。でもその「変な感じ」が「自分が右側走行している」に結びつけられなかった。
 「左側を走る」というのがあまりに当たり前になりすぎていて、違和感が生じたとしても「今自分がどっち側を走っているのか」と疑う契機が出てこないのかもしれない。パスワードの入力を指の動きで覚えてると、とつぜんまるっきり思い出せなくなってしまうみたいな、いつもほとんど無意識にこなしていることだと、いざそれを意識の領域に出すべき場面になっても出せないのかもしれない。
 「違和感がある」「自分が何か間違ったことをしてるような気がする」という状態で、「真正面に対向車がいる」というはっきりしたヒントが出るまで「自分が逆走している」ということに気付かなかったんじゃないかと考えている。


 「ちょっとした異常な状況」なら正常な状況との差分をすぐにつかめるけれど、「あまりに異常な状況」だとかえって正常な状況との差分がつかめなくなる。ズレの距離が大きすぎると、何からズレているのかがつかめなくなってしまう。
 高速で逆走してしまったとか、アクセルとブレーキを間違えて店に突っ込んでしまったといった事故を起こしたドライバーも似たような感覚なのかもしれない。「何かおかしい」と違和感を抱きながら、でも何がおかしいのかわからない状態に陥ってしまうのかもしれない。「対向車のドライバー一人をびっくりさせてしまった」ことだけでも結構動揺してしまうくらいだから、高速道路で逆走して対向車がどんどん向かってくる状況や、店のガラスを突き破った状況なんかで「大勢に見られてしまった」と思うと動揺ももっと大きなものになるだろうし、ますます焦って、止まればいいのに走り続けたりさらにアクセルを踏み込んでしまったりするのかもしれない。


 あまりに異常な事態だと当事者にとって「どう異常なのか」がむしろわからなくなってより悪化させてしまう、というような機序が働くのだとすると、はたから見ると「なんでそんなことに?」と不可解でしかない事態がどうして起こってしまうのかも、少しは理解できそうな気がする。


対策

 焦っている中で複数の情報が与えられると、正しい選択ができなくなってしまう。しかも大きく不適切な状況に陥ると、自分がどう間違えているのかさえ分からなくなって悪化させてしまう、という話だった。それで「焦らせない」と「選択肢をあらかじめ限定する(不適切な選択肢を事前に排除する)」といった対策を取る。


 別に間違えてもカーナビがリカバリしてくれる、多少時間がかかってもいい、としっかり思えていれば焦らずにすむ。あるいは頭の中に地図が入っていて自信があれば焦らずにすむ。結局、自動車学校で習う「時間に余裕をもとう」「初めてのところへ行く前に事前に調べよう」という基礎の基礎をおろそかにしないということだ。
 それから同乗者がいると「間違えたと思われたくない」「とろくさい奴と思われたくない」といった気持ちが出てきて、間違いを糊塗しようと焦りに繋がる。あらかじめ「私結構とろくさいのよね」とか「時間がかかっても無理しない方針でやってるんで」とか言っておいて、いざ間違えたときは素直に「間違えちゃった」と言って、自分の方からさっさと伝えていけば焦らずにすむ。
 ちょっと前に、もし間違えて高速で出口を通過しても、次の料金所で事情を話せば追加料金なしで戻れるチケットをくれるという記事を見た。「過ぎても大丈夫」と知識で安心させて焦りを取り除くのはとても大切なことだと思う。
 そうやって焦る要因を取り除いていって「焦らせない」を実現する。


 それから、この事例だと「他に車がいないからルールを逸脱しても大丈夫」という判断があった。ここをもう一度、ルールを守る方向、実態重視より建前重視の側に戻す。リスクは影響度と発生確率の掛け算だけど、自動車の場合は影響度が大きい(最悪人を殺す)せいで、トータルで見るとルールを守った方が得になるんだ、とあらためて考え直す。
 自動車の運転は、全体最適を実現しようとすると個別の場面で「厚かましさ」のようなものが必要になってくる。たとえば合流や車線変更で車が詰まっている時には「私は今ここで入ります」とはっきりした意思表示が必要で、いつまでも遠慮し続けていると自分の後ろ側に迷惑をかけてしまう。そうした「厚かましさ」に慣れていくうちに、ルールの順守がルーズになったりする面があるのかもしれない。実際、信号のない横断歩道で歩行者が待っていても一時停止しない車の方が多かったりする。自動車学校で絶対に習う(道交法違反なので破ると実技で一発アウトになる)ルールでもルーズになっている実態がある。
 しかし交通ルールはそれなりに歴史の厚みの上で洗練されているわけで、一見非効率のように見えても結局は守った方が得なようにできている、と思うことにする。
 そうやって急な判断を迫られたときに、あらかじめ「ルールを逸脱する選択肢」を排除することでより適切な選択肢を取れるようにする。


 そんなことをあのあとに考えて、それ以降は幸いおかしな運転をせずにすんでいる。


 そもそも人間に複数のことを同時に気をつけさせるという要求自体が過大なんじゃないか、プロサッカー選手・野球選手みたいに選抜された上に訓練を繰り返している人なら複雑な状況判断で最適解を出せるとしても、そうでない普通の人に1トン以上ある物体を操作させることがそもそも間違っているのではないか、やはり根本的には完全自動運転が対策になるんじゃないか、みたいな地点までいって、自分の失敗事例1件を持ち出して「人間には」なんて主語が大きすぎると怒られそうだけど、たぶん「ふつうの」人だと思われる自分でもこうしたおかしなことをしてしまうんだとはっきりわかると、そう思わずにいられなくなる。


 「お前がおかしいだけ、ドライバー失格なだけ」と言われてしまえば返す言葉もないけれど、他山の石と思って玉をおさめてもらえればという気持ち。