やしお

ふつうの会社員の日記です。

ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』

http://bookmeter.com/cmt/61834919

学校の不良グループの存在が、離れて見ると階級構造への異議になっていて、さらに離れて見るとそれすら資本主義の肯定になっているという1977年のイギリスでの指摘。いい成績を取っていい職に就けという学校の言い分は、いい成績を取れずに低賃金労働者になること=階級構造への肯定でしかなくて、その異議として反抗が機能してるけど、そうした適度な反抗が労働者にとって過剰な搾取から身を守って資本主義が安定する方向に役立ってるという。じゃあ今の日本だとそうした反発で身を守ることもできずに低賃金で働いてるのって暗い気持ちになる。


以下メモ

  • 学校に反抗する文化が労働者の文化と地続きの関係になっている
  • 仕事に「やりがい」を見いだすことの自明性が疑われている。「やりがい」は見いださないよりは見いだした方がいいよね、というのは個人レベルでは正しくても(その方が満足感も得られるし幸せだし)、よりマクロに見ると必ずしも正しいとは言えない、せいぜい部分最適でしかないことがよくわかる
  • 学校への反抗的な態度が、実は構造への拒絶になっている。「いい成績証明を取ること」が階級の強化に貢献してしまう。みんなで学校で勉強を頑張ることは結局、頭のいい人/悪い人の差をはっきりさせて階級構造の中に押し込んでいくことに繋がる。それで学校への反抗がマクロ的に見ると(本人の意識とは無関係に)、資本制労働の搾取を押し止める方向に働く
  • 学校側は「勉強をしていい成績を取ればいい給料の仕事に就けて人生が楽になる」というストーリーで勉強させる方向にインセンティブを与えてくるが、「勉強したっていい成績が取れる訳じゃない」と知っているから反抗に繋がる。餌が餌として機能しない

 今だと肉体労働に分類されながら、かつ技能を要するといった仕事自体が技術的な発達に伴って減ってきているのかもしれない。それだと下層である種の自負を持つことも難しくなってきていると考えると、余計につらい社会なのかもしれない。
 さらに外国人や女性を蔑視することでその自負がかつては支えられていたということなら、ここも消されてきているからますます逃げ場がないという感じ。もちろん外国人や女性蔑視が抑圧されるのは当然だし復活してほしいとは全く思わないけど、そこでかろうじて自尊心を支えていたような人たちはじゃあ今度はどこに救いを求めるんだろうかという。


 あとここでは剰余価値は、労働力に実際に支払われる賃金よりも、実際に投入される労働力の価値の方が大きいため(労働者が搾取されているため)に発生する差額だ、という立場だけど、純粋な理論体系としてのマルクス資本論(というか宇野弘蔵の整理し直した資本論)だとそうはならないような気もする、それだと循環しちゃう気がするけど自分がまだちゃんと理解してないから。

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)