やしお

ふつうの会社員の日記です。

会社の独身寮と老人ホーム

 会社の独身寮のことをなんとなく思い出してて、一人部屋があってそれなりに気楽で、でも仲のいい知り合いの部屋に遊びにいって喋ったりだらだらしたりもできるし、食堂があって食事は出てくるし、そこでも誰かに会えばお喋りできたりする。
 今は会社で仕事してるからそれなりに他人と話したりすることあるけど、いつか退職して仕事もしなくなったら、そういうところに住めればすごくいいんだけどなあ、と思ったらそれが老人ホームか。


 8月のお盆休みに、友人にも会わず、バスにも電車にも乗らずに一人暮らしの自宅周辺で5日間過ごしていたら、(ああ、これが定年退職後の生活なのか)と思って、気楽というよりちょっとしんどさがあった。映画を見ることと本を読むことと、あとなんか書いたりできればそれでと思っていても、どうしたって精神衛生のためには誰かと喋ったりすることが必要になってくる。店員に注文する時以外誰とも喋らないのだとちょっとしんどい。そうした意味でも今いる友人関係もちゃんと大切にしてかないといけないとか、地域のボランティアに参加してみるとかした方がいいのかなあと思ったりして、でもあの独身寮みたいな感じだとちょうどいいんだけどなと思ってたらそれが老人ホームなのかという。


 しかし独身寮は、年功序列型の賃金で「若いうちは割安で働かされてる」という面があったから、その代わりにかなり安い寮費で住めた。土地建物も古くから会社がずっと保有しているということや、地方出身の学生も入社してほしいということも諸々含めてあの安さ(光熱費こみで月額1万円ちょっと)だった。でも老人ホームにはそんなのないし、じじばばをケアするスタッフの人件費も必要だしでお金が必要になる。


 それに独身寮は、同じ入社試験を通って同じ年代で入ってるから似たような価値観を持った人たちで、しかも男性ばっかりだし、かなり同質性が強かったはずだ。しかも「同じ会社の人間」ってところや「どうせ数年したらいなくなる」っていうのでお互いに抑制的に、我慢できたりしたのかもしれない。(えっなんか言ってること違うんじゃない?)と思ってもあんまり相手を否定しなかったりとか。
 それが「どっちかが死ぬまでずっといる」で、しかもこれまでの人生やキャリアも違うし固定化された価値観を持ったお互いだと「譲る」「引く」というのが難しかったりするかもしれない。そこで自分が相手に譲って引いちゃったら、自分の人生を否定することになっちゃうって思う人はたくさんいるしね。こっちが別に平気でも、相手がマウンティングを仕掛けてくるタイプだと、こっちも防衛戦をしないといけなくて大変になる。ギスギスがエスカレートしていくかもしれない。「こいつ許せねえ」って感覚が強くなったりする。部屋の外に出るのがもう気持ちがしんどくなって引きこもるかもしれない。想像するとしんどい。


 そんなこと想像したってしょうがない、お金だってそのころ全然ないかもしれないし、地球がどうなるかもわかんないし。でも「独身寮と似てるかも?」とふと思って、でも「いや似てないかも?」とも思って、そう思ったことをただちょっと、記録しておきたかっただけ。