やしお

ふつうの会社員の日記です。

嫌いな人にはまるサイクル

 嫌いな人は、何か嫌なことをされた過去があるから嫌いになってるわけだけど、そのマイナス分を取り返そうとするとゼロになるどころか余計にマイナスが積み重なっていく。


 「こいつにされた嫌なこと」をゼロにしたくて、こいつにもギャフンと言わせてやろう、恥をかかせてやろう、痛い目を見せてやろうという気持ちに知らず知らずのうちになってしまう。こっちが損をした分、相手も損をしないと平等じゃない。自分だけがマイナスだなんて不条理は嫌だ。だからそれを取り返せそうなチャンスを見つけてしまうと、ついそれを利用したくなってしまう。すると相手にまた接触することになる。上手く相手にダメージを与えられればいいけど、かえってそいつの嫌な部分をまた味わって終わる。
 マイナスを取り返そうとすると余計にマイナスがかさむ。


 「こいつはクソだ、自分の方が上だ」と確かめればスッキリできる。そのために相手の言動に意識が向く。その過程で「こいつにされた嫌なこと」の記憶が絶え間なく喚起される。自分が損した分を思い出せば、絶対にその損を取り返したくなってくる。相手を観察していれば相手をギャフンと言わせられそうなチャンスをつい見つけて、見つけてしまったら利用したくなる。そうしてマイナスがかさんでいく。


 「ひょっとしたら自分の態度が悪かったのかもしれない」「こっちが譲歩すれば相手も譲歩してくれるかもしれない」「そうすればお互いの悪意も晴れてこの苦しさも解消できるかもしれない」そう思って相手に融和的な態度で接してみる。それで相手も融和的になってくれればよかったね。でもそいつの嫌な部分をまた味わって終わる。マイナスがかさむ。


 負けが込めば込むほど余計に取り返したくなって同じ事を繰り返す。ギャンブルと同じだ。そうやって嫌いな人にはまっていく。相手はずっと変わらないまま、自分ひとりで、勝手に憎しみを増幅させていく。


 好きな人でもまるで同じ機序が働く。
 こっちはこんなに気を遣ってあげたのに、こっちはこんなに便宜をはかってあげたのに、こっちはこんなに好きでいてあげているのに、ずるい。自分ばかりが損をしている。
 その損を取り返そうとして、相手の中に自分への好意を探そうとする。相手の言葉の端々に、態度の断片に材料を勝手に見出しては「相手も自分のことを好きだ。大丈夫だ」と安心したり「いや、やっぱり好かれているわけではないのかもしれない」と不安になったりする。解釈はどうとでも可能な以上、そこに答えはない。不安から免れようとしてさらに材料集めが加速する。材料を集めれば集めるほど、その手法で正解が得られないから不安がかさんでいく。不安がかさめばそこから免れようと余計に必死になる。
 こうしてストーカーに陥っていく。本人はひどく苦しい。その苦しさがあるから自分が加害者だとは気付かない。「こんなに苦しんでいる自分」がむしろ他人を苦しめている悪者だなんて思いもしない。


 嫌いでも好きでも、このサイクルに自分が囚われ始めていると気付いたらもう、とにかくその相手との接触を断つしかない。言葉を交わさない、メールのやり取りをしない、視界に入れない。職場の人間だと難しいこともあるけれど、それでもなるべくその状態を作り出すように手を尽くす。上手に他人をあいだに挟んだり、一言言ってやりたくなってもあえてスルーしておく。
 そうしていればしばらくするうちに本当にどうとも思わなくなる、絶対に心が平穏な状態に至ることができる、と信じてそうするしかない。
 溺れているのにじっとするのは怖い。もがきたくなる。でもそれではますます溺れてしまう。じっとしないと生き延びることはできない。絶対に体が浮くと信じてもがくのを一旦やめるしかない。