やしお

ふつうの会社員の日記です。

メーカーの中で技術力の延命措置をする

 日本の大手メーカーの中で働いていて、技術力が失われていく一面ってこういう感じなのかなみたいな実感は結構ある。
 ↓みたいな流れで外製化が進んでいて、それに伴ってゆっくり生産に関する技術力は失われていっている。(別に「日本のメーカーが」というより「うちの会社が」でしかないけど。)

  1. 社内レート(人件費)が高いので部品を外注する(最終製品の完成(組立・調整)は内製している)
  2. 試作などの一点ものだけは内製しているため加工場(フライス盤や旋盤)と作業者を維持していたが、コスト的に見合わないので加工場を廃止、作業者を配置転換
  3. 最終製品の組立・調整も外注(アジアの生産子会社や国内外注先)、社内から製造部門が完全になくなる
  4. 分散していた外注先を集約し始める(原価低減や管理コスト削減のため)
  5. 集約した外注先に人を送って勉強(?)させたり、コンサルを入れて原価低減を進める


 自分が入社したのはステップ2あたりで、それから10年が経ってステップ5まで来ている。
 設計⇔技術⇔製造 という関係がある中で、外製化が進むと「技術⇔製造」の距離が遠くなる。どうしても工程上の課題の抽出をする能力が失われていく。現場からのフィードバックがさらに技術→設計に伝搬して設計能力も向上するけれど、そうしたフィードバックの機能がどうしても弱くなってしまう。製造→技術→設計とゆっくり伝搬していきながら最終的に設計能力が徐々に低下していく。


 社内に作業者がいると技術者・設計者へダイレクトに「これでは作れない」「ここはこうしてもらわないと工数がかかる/品質が落ちる」といった話が来るけれど、外注先だとよっぽどトラブルが起こっている(生産が止まるとか良品にならないとか)わけでもない限り「ちょっとした文句」は上がってこなかったりする。
 工程を改善するにしても、自社の中にラインがあれば試せてもよその会社相手だとなかなかそういうわけにもいかない。コストダウンに直結してかつリスクが少ない改善だと実証的に示せなければ、稼働中のラインを変えて何かあれば即その会社のダメージになるので難しい。
 工程改善の話で言えば、現場を見ていること(工程の現状を把握していること)と、その製品の原理や目的がわかっていることの両方がそろわないと改善点を抽出できない。例えば効率化のためにある工程を変更しようとしても、「そもそも何のためにその工程があるのか」が分からないと変えた場合の影響の有無がわからないから変えられない。現場と設計の距離が遠いと、現場側は原理がわからないから改善できないし、設計側は現状を把握できないので改善できないといったことが起こる。そのためにその間に技術部門が存在する意味があるはずだけど、「よその会社だから」というので技術⇔製造の距離が遠いとその存在意義が薄れてくる。
 あるいは人事異動で加工、組調経験者が技術部門に入ったりするといった形でのフィードバックも別会社だと起こらない。ステップ2、3で加工場と組調作業を社内から消したタイミングで、その作業者は技術部門に配置転換になったけど、その人たちがどんどん定年退職でいなくなっているので、その失われていく分の反動でステップ5で現場に近いところに人を送って技術力を延命させている、という格好になっている。


 「設計⇔技術⇔製造」という関係の繋がりがあって、製造を手放すと連動して(時間差はあるけれど)技術→設計の能力も失われる。そうだとするなら設計外注にシフトしていくしかなくなっていく。要求される能力も「自分の手で図面を引く能力」から「正確に仕様を定義できる能力」といったものへシフトが必要になる。
 自分自身は製品検査の担当なので、「設計⇔技術⇔製造」の流れからはやや外れた位置にいる。設計外注にシフトしていく流れなのだとすれば、検査も「自分たちの手で検査する」から「相手にお任せする」になっていくことになる。生産部門がないのに20人弱近くも検査員を抱える体制は奇妙で無駄なことであって、旧体制からの転換が進んでいないために現状との齟齬が出ている箇所なのかもしれない。設計同様「どういう種類の検査を相手にしてもらうのか」を規定できる能力、検査の仕様を固める能力を上げて、発注段階で提示できるようにシフトしていかないといけない。
 社内から生産部門を失くした以上は、設計外注へのシフト、検査員の削減、という方向へ進んでいくのは構造的に必然だ。その進展を加速させて「生産部門を持たないこと」に適合した組織に変えないといけない。


 と、昔(1年くらい前)は思っていたけど、最近ちょっと考えが変わってきた。


 もともと「社内レート(人件費)が高いから」という理由で外注にシフトしていったのだった。社内レートが高いというのは、「昔よりも高くなった」と、「社内で単一レートしか適用できない」という2つの理由がある。
 昔は内製できていたのだとすれば、昔はレートが低かったということになる。農村に安価な労働力がプールされていたことが高度成長期の一要因だった。その時点では内製してもお釣りが来る程度に低い水準にレートが抑えられていた。それは儲けが労働者に還元されていなかったという意味だけれど、「農村の安価な労働力」の基準に対しては高水準だったため許容されていたのだし、またその水準が上がるまでに時間差があったためその間はレートが抑えられていた。その期間が過ぎて差分がなくなると「内製するには高すぎるレート」になってくる。(日本の各メーカーがアジアに生産拠点を作ってきたのはこの種のレート差利用の変奏だし、海外のレートが上がってくるというのも高度経済成長が終わったことと構造的には同じ話になる。)
 それでも(国内の)外注で成り立つというのは、会社によるレート差の違いというのは存在していることを意味する。だとすればそれを内部に展開すれば良いという議論もあるはずで、それは職務別給与ということになる。しかし日本の場合には職務の違いによって同一企業内で異なる給与体系を適用するという制度は一般的に採用されていない。開発の人と製造の人は違う昇進の仕方、違う給与のルールになっている、ということが基本的にない。昔は「工員」という一種の身分制度が存在したりもしていたが戦後に消えていって、また60年代あたりに「職務給論争」という形で職務別の給与体系のリバイバルも起こったりしたが普及するには至らず職能給制度(職務とは無関係にその人のスキルや能力によって給料を決めていく方式)が一般的に採用されていった。(それは根本的には、労働者を簡単に解雇できない=終身雇用を基礎としているという日本の雇用形態が、余剰人員を別部門に回す=人員を職務に固定しないという行動様式を企業に強制していることが前提になっている。)
 アメリカのメーカー(外注先)に行ってみると、設計の人たちと製造の人たちははっきり勤務形態も給与体系も(ご飯を食べる場所まで)違っている。確かにこれなら「社内のレートが高いから内製できない」を国内の水準の範囲内でクリアできる。


 「外注する」が「社内のレートが高いから」に由来している。しかし「安い労働力」がもう海外(アジア)には求められなくて平準化してきてコスト面で海外に外注するメリットが失われてきている。実際、中国の生産子会社に出してもほとんど国内の外注先とコスト的な優位性はほとんどなくなってきている。(むしろ日本人の方が安くなりつつある。)
 それから最近会社が年功序列の賃金体系をやめようとしている。年功序列は、若い社員(2, 30代)を割安で働かせる代わりに高齢の社員(4,50代)に割増の賃金を払うという制度なので、長く働いて回収するというインセンティブが社員に働く、終身雇用と表裏一体の制度になっている。終身雇用制が崩れていく中で実質的に職務給的な性格に変わっていくかもしれない。


 そうして「社内のレートが高いから」というもともとの理由が薄れて外注することの意味が失われていけば、「やっぱり内製に戻していく」という判断は今後あり得るのかもしれない。しかしその時点で既に生産技術が完全に失われていれば、その選択肢は取り得なくなってしまうかもしれない。だとすると、その技術を急いで手放す(製造だけでなく設計・検査も外注へシフトする)という方針より、一見抵抗勢力のようでもむしろ延命させていく方がより合理的なのかもしれない。
 本来、製造を外注している以上は「外注先/発注元の垣根が存在していること」を正確に受け止めることで全体最適が成立するし、それは製造だけでなく設計・検査等も外注化するということだし、「正確に(設計上・検査上の)仕様を定義できること」の能力へシフトさせていくということになる。「設計⇔技術⇔製造」という連なりの全体を手放すということだ。それが全体最適であって、この場面で「技術」を強化して過去を引きずろうとするのは最適化への逆行になる。しかし前提が崩れている、将来的に内製化へ移る蓋然性がある状況下では、実はこの延命策の方が長期的にはトータルで正しいのかもしれない、と最近は思っている。


 それで、外注先からの現場情報を吸い上げて設計・技術部門側に流したり、現場側に設計情報や原理を流して工程改善を自主的に進めてみたり、あるいはその過程で(自分を含めた)技術部門が工程や生産技術の理解を持てるようにしたりといったことを進めてみたりしている。この辺を検査員が本来やる仕事なのかというと微妙だけど、結局最も現場に張り付いているのが検査員なので立ち位置的には最もそうしやすい面がある。(ちなみにその国内外注先は、こちらの会社の製品の生産のみで成り立っていて自社の営業能力・設計能力を完全に退化させていて、資本関係が無い以外はほぼ生産子会社化しているために設計情報を流しても実害がない。本当にレート差だけを利用している関係のようになっている。仮に「内製化する」という方針への転換が起こった場合、この外注先を買収することになるのだろうと思う。)
 1年ほど前はむしろその技術部分を延命させることは無駄だと思っていたくらいなので真反対だけど、前提に対する認識が変わった以上は最終的なアクションが変わってくるのも当然だ。


 ただ、こうした組織の前提や方針にまつわる部分をトップが提示するわけではなく、こういう組織の末端の人間が勝手に読み取ってアクションを決めているというのは、結局人によって向いている方向がバラバラになって全体最適にはならない。自分のように「むしろ生産技術を延命させる方が良いかも」と考えている人もいれば、「いや設計外注化するのが当然だ」と考えて進んでいる人もいるだろうし、特に何も考えずに今まで通りそうしてるだけという人もいる。この「それぞれが勝手に考えてね」方式がつらい。