やしお

ふつうの会社員の日記です。

安倍首相が「総理と総裁は違う」と言う位置付け

 この前、予算委員会の動画を見ていたら安倍首相が「私は総理としてここに立っているから、自民党の話をする立場にない」とたびたび答えていて不安になった。「それを自分が言うことの意味」を本当にわかっていないのではないかという気がしてどうしても(大丈夫なの)という気持ちになる。


 具体的には2/14の衆院予算委の午前、立憲民主党の枝野代表の憲法改正に関する質問での安倍首相の以下の答弁。

19:08〜
憲法についてですね、まさに、今ここに私が立っておりますのは、内閣総理大臣として立っておりますので、我が党の中における議論についてここで申し上げる立場にはないわけでございますが、しかし、あえてお答えいたしますと……


24:30〜
まずですね、まず、私は再々述べておりますように、まあここはあの、総理大臣として立っておりますから、この予算についてあるいは法案についてあるいは条約について答弁する義務は負っているわけでございますが、自民党の例えば案等々について申し上げる立場にはないわけでありますが、で、いつもこれはあえて申し上げればということを申し上げているところではございますし……


28:45〜
そして私の思い通りに、我が党の案がなるわけでもこれはないわけでありますから、それは、それは、ははっ、私はそもそもですね、この場には総理大臣として立っておりますから立場にはないということは再三申し上げているじゃないですか。だけど答えろと言うからあえて、そこまではお答えさせていただいている、ということでありまして、なぜ答えるんだという今ヤジがございましたがそれは非常に外野の方がですね、そういうヤジを飛ばしておりますがそれは全く私の議論を、議論を聞いていないものではないのかなあと、こう思うところでございます。


 二つ目以降は呆れたように笑って発言していて、特に今回に限らず安倍首相は同様のことをこれまでにも発言している。恐らく本気でこう考えているし、「どうしてこんな当たり前のこともわからないんだ」と思っているのではないかという気がする。
 これに対して枝野代表は最後の方で軽く以下のように指摘している。

41:17〜
安倍総理はここで先程憲法の9条の話についても、ここは行政府の長として出てきているんだと言って、自民党内の議論、あるいは自民党総裁としての発言については基本的には答えない、となっています。それ自体が、議院内閣制の理解として違っておられるのではないでしょうか。


 これはごく真っ当な、教科書通りの認識であって、国民は国会議員を選挙で選出する→国会議員は首相を選出する→首相は組閣する、という流れを考えれば当然、政府と政権党の意思は一致しているのが前提となる。もし政府と政権党の意思が異なるなら、国民と政府の意思が乖離するということになる。「選挙に勝った政党の党首が首相になる」という前提で投票している以上、政権党の党首と政府の首相は一体である、というのは当然の認識になる。


 ところが日本の戦後政治の歴史的な経緯ではこの前提が長らく崩れていた。そこを考えると安倍首相の「総理と総裁は立場が違う」という認識の意味がわかる。
 55年体制下で自民党がずっと政権党にあった頃('55年から'93年の40年弱)は、「政府と与党は一体ではない」という建前が存在した。与党の交代に伴う政権交代が発生しないということは、国民が選挙を通じて自分の手で政府を選択できないことを意味する。そのガス抜きのために「自民党が政府をチェックしていますよ」という建前があった。実際、内閣支持率が下がると自民党内で倒閣の動きが持ち上がって総裁が交代、総理が交代していた。
 これは中選挙区制(一つの選挙区から複数人が当選する制度)では「党と党の争い」ではなく「政治家個人と個人の争い」になるために発生した形態だった。ここが党内党と言えるような派閥が強力に形成されてくる源だった。


 その後55年体制は崩壊し、小選挙区制に変わり、政党を選択する選挙に変化している。従って現状では「政府と与党は一体である」という(本来の)建前に切り替わっているし、実態としてもそうなっている。
 しかし「政府と与党は一体ではない」という古い建前の名残は今でも色々なところで存在していて、例えば党首討論になると自民党だけは総裁の代わりに幹事長が出てくるとか、「政府与党連絡会議」という首相以下内閣のメンバーと自民党幹部が毎週開く会議といった形で残っている。こうした名残に引っ張られて安倍首相は古い建前「政府と与党は一体ではない」「総理と総裁の立場は別」という認識でいるのかもしれない。


 ただ、この「政府と与党は一体ではない」という古い形に最後にとどめを刺したのは小泉元首相であって、その地ならしによって初めて首相になり得たのが安倍首相だったのだし、「政府と与党は一体である」という実態によって長期政権を維持できているのが安倍政権だという現実を考える時に、その安倍首相当人に「政府と与党は一体ではない」という古い建前を本気で信じて言われると、(あなたがそれを言うのですか)という途方もない気持ちになる。
 小泉元首相が「自民党をぶっ壊す」と言って経政会(平成研究会)を「抵抗勢力」と呼んで徹底的に破壊したことで派閥政治が終わったのだった。名実ともに政府の意思と政権党の意思が一致する状況に至った。首相が内閣の人事を一方的に決めるのが難しかった派閥政治が死んだことで、安倍首相はいきなり官房長官になることもできたのだし、その後その実績を基盤にして首相になったのだし、清和会中心の自民党も、野党から与党に復帰して以降の長期政権もここが前提になっている。


※この辺の、安倍政権が成立して継続している経緯については以前↓で細々書いていて、今も特にこの認識は変わっていない。
システムをハックする首相 - やしお


 「政府と与党は一体」になった恩恵を一番受けたはずの人が、「一体じゃない」って本気で言っているっぽいのを見せられると、(マジかよ……)と唖然とさせられる。
 建前としての有効性が既に失われているものを建前として本気で信じて言うのは、ちょっとはちゃめちゃが過ぎるという気もする。


 これ、些末な話といえばそうなんだけど、この「当たり前のことがよくわかっていない」「自分の立ち位置が理解できていない」というのを自分の国の首相に見せられるのはすごくしんどい。
 「自分の立ち位置って何だろう?」というのは誰しも一度は真剣に考えるテーマだと思うけれど、そこでさえすごく表面的な理解に留まっている、掘り下げられていないように見えると、では他のテーマはもっと考えられていないのではないかと見えてしまうのは仕方がない。順番に考えればそうはならないだろうという、理屈が見えていないっぽいというのは見ていて本当につらい。
 わかってて嘘をついているとか、わかってて詭弁を弄しているとかなら、不誠実だとは思ってもまだ(政治家だしなあ)という気持ちにはなるけれど、不誠実以前に「深く考える能力がどうもないように見えてしまう」というのは本当にしんどい。


 これは右派と左派とか、保守とリベラルとかは全く関係ない、もっとそれ以前の、法律を作る立法府は第一に筋論の世界であって、そのメンバーである国会議員はせめて論理を正確に構築する能力を持っていてほしい、という当たり前の気持ちの話だ。思想信条の話ではなく、職業に求められる技術的な能力の話でしかない。


 答弁する安倍首相の後ろで、麻生財務相は目を閉じて腕を組んでにんまり笑顔で大きく頷いていて、河野外相はうつむいて前かがみで無表情のまま左手を右手で揉んでいて、小野寺防衛相も無表情で時々手で顎を撫でたり目を撫でたり(手でひさしを作って目を覆うような)している。
 動作や態度から勝手に思考を読み取るのは危ういとは思うものの、他の普段の答弁や言動から考えても、たぶん河野外相も小野寺防衛相もさすがに「政府と与党は一体ではない」と安倍首相が言うのはかなり居心地が悪いというか、「自分もそう思ってるとはちょっと思われたくない」という気持ちにさせられる時間なんじゃないかという気がして、見ているこっちがそわそわした気持ちになってしまう。


 この日の予算委のメインテーマとは全くかかわりない細部でしかない話なんだけど、見ていて一番しんどくなる、(ああ、頼むからそんなむちゃくちゃなこと言わないでくれ)(ああーこれが自分の国の首相かー……)という気持ちになる瞬間だった。




 余談だけど、憲法の話なんかを野党が予算委員会で持ち出すのがそもそもおかしい、揚げ足取りだ、野党は足を引っ張ってばっかり、となるかもしれないけど枝野代表の質問はこうなっている。
 安倍首相の他の発言では「自衛隊憲法に明文化しても現状の自衛隊からは変わらないから安心してほしい」みたいな話が出ていて、一方で(自衛隊が明文化されていない)現行の憲法でも自衛隊は合憲だという基本認識がある。「変えても変えなくても変わらない」という理屈になっている。国民投票を実施すると850億円の費用がかかるが、実質的な意味や効果のないことにこの費用を出して良いのか、という予算上の話として憲法改正の意義について確認しているのがこの質問だった。(というかそれ以前に具体的な条文の案がそもそもない中で「変わらない」と言うのはまずいのでは、という疑義が指摘されている。)


 ちなみに枝野代表は、自衛隊は必要だし合憲だと思っているし、憲法改定が必要ないとは思っていない、とも同じ場で明言している。
 自衛隊の合憲性については、そもそも過去の防衛費を含んだ予算案に賛成している国会議員は全員が合憲性を認めているのでなければおかしいとまで言っていて、憲法改定については、(9条というより)むしろ行政府による国会の解散権を制限することの方が優先順位が高いのでは、という話をしている。
 さしあたりはお金を使う合理性がそこにあるのか、という話でしかない。


 ネトウヨ……と呼んでいいのかわからないけど、ブログやYouTubeで「枝野は850億円かかるから日本人の命はどうでもいいと言っている」みたいな風に言われたりするのを見ると、さすがにうんざりする。ちゃんと「そうじゃない」と言ってるのにそこを無視するというのはあんまりだし、ずるい。
 これも左派右派関係なく、立憲民主党の肩を持つとかそういう話でもなくて、単に「そんなこと誰も言っていない」ことを「言ってる」と言われるのを見るのはもうしんどい。


 「野党は対案を出さない」「足を引っ張っている」と言われることもあるけれど、そもそも野党の仕事は「政府に説明を求める」ことが第一であって、その説明に合理性がなければ「おかしい」と言うのが仕事なので、そこを「やめろ」と言われると(では国会の存在意義とは)という気持ちになる。政府と与党が一体になって法案や予算案を出して、野党が説明を求めてチェックしていくというのが普通の仕事だ。それに「合理性がないから一旦取り下げろ」という要求自体が十分に対案だしね。
 ネトウヨの(?)人がそう言うのを見ると(たのむぜ)と思うけど、現職の国会議員がそんなこと言い出すの(2/23の予算委分科会での自民党 渡辺孝一衆院議員の「誹謗中傷クラス」発言)を見せられると(すげえな)って思うよ。自民党が与党に戻った2012年初当選の人なので、自分が野党議員になるって想像したことがないのかもしれない。比例名簿に乗せて当選させたら後は何も考えずに「数」として機能してくれればいい、ということなのかもしれない。
 確かに「自民党が政権与党」が前提だと「反対するのが野党の仕事」に堕してしまうし、55年体制下の社会党はそんな位置付けだったかもしれないけれど、今は実際に見てみるとそうではなくなってきている。民進党蓮舫元代表はややそのコンセプトだったので見ていて辛かったけれど、当時の民進党の他の議員の委員会質問は案外そんなでもなかったりした。


 中道右派中道左派の二大政党になっていて、どちらも政権担当能力を有して与党側に緊張感が働いていて、国会議員は職業上最低限必要な技術として論理構築能力や言表能力をきちんと持っていてほしいという、ささやかな気持ちしかない。