やしお

ふつうの会社員の日記です。

喫煙者と非喫煙者の間にある認識のずれ

 喫煙者の友人とこの前海外旅行に行ってきて(自分は非喫煙者)、こっちはタバコのことを酒と同じような嗜好品だと思っているけど、相手はトイレと同じような生理現象として感じられている、そういう感覚のズレがあるんじゃないか、という気がした。こっちは嗜好品だと思っているから「我慢すればいいでしょ」と心の底では思っているのが言動や態度に出てくるし、相手は生理現象だと感じているから「しょうがないじゃないか」という態度になる、このズレによって衝突が起きる。
 「喫煙者はタバコが切れるとイライラしたり落ち着かないらしい」という知識はあるし、そのつもりで配慮してきたつもりだった。しかし根本的な認識の部分で最後に「そうは言っても嗜好品でしょ」と思い込んでいるからズレが生じる。


 旅行の最後の空港でちょっと怒ってしまった。
 手荷物検査に入る前に、「もしかしたら中はもう喫煙所ないんじゃない?」と言ったら「えー」という。構内案内図にも喫煙所のマークは無いし、スマホで試しに調べたらやっぱり中にはないと書かれている、と伝えたら「吸っておきたい」という。「我慢すれば?」と言っても「絶対に無理」という。「じゃあ早く吸ってきて」と言うと「場所わからない。調べて」と言う。その時「何言ってんの!」と怒ってしまった。
 なんで自分のスマホも出さないでそんなこと言うのという気持ちと、事前に調べときなよという気持ちと、もともと空港の中を見て回ろうという話をしていたのにあまり時間が無くて早く中に入りたいのにという気持ちと、この旅行中も時々喫煙待ちや喫煙場所探しで時間を使ったり移動したりしていたといった諸々が重なって、怒ってしまった。


 非喫煙者の方は「損をさせられている」という気持ちを抱えている。タバコさえ吸わなければあの待ち時間や移動も発生しなかったのにと思っている。もちろん相手がいつもより吸わないように我慢していることや、こちらが待たなくても済むタイミングで吸いに行くといった配慮をしてくれているのも分かっている。しかし「そもそもこっちは吸ってないんだからね」とも思っている。配慮してくれたところでマイナスがゼロに近付くだけで、そもそも吸わなければマイナスにならずに済む。マイナスをゼロに近付ける努力をしてくれたとしても、マイナスにしていない自分がそれを感謝するのはおかしい、という損得勘定の意識が働いている。


 それでプンスコしてたんだけど、ああ、これってトイレなのかもしれない、とふと思ったら相手の言動のあれこれが腑に落ちた。
 トイレに行きたいと訴える相手に「ダメだ。我慢しろ。」と言うのは非人道的だけど、そう言われるのに近い感覚を相手は持っていたのかもしれないと思った。「今日は朝吸ってからずっと吸ってないんだよ」と言われるたびに「じゃあ吸わなきゃいい」「この際やめればよい」と返していたけれど、トイレに置き換えると随分ひどいことを言っているという気もする。「我慢すればいいのに」「やめればいいのに」と言うたびに「無理」とにべもなく返事をするのも、トイレと同じ感覚で言っているなら理解できる。
 それなりの公共施設や商業施設で「トイレがどこにも無い」とは普通想像もしないように、喫煙所が無いことをそもそも思いつかなければ「事前に調べておこう」という発想にも至らない。(実際、日本ならそれなりに大きな商業施設でも駅でも空港でも喫煙所がたくさんあるし。)「場所を調べてよ」というのも、「トイレの場所くらいちょっと調べてくれたっていいでしょ」という感覚なら理解ができる。なんで吸わない自分が吸うあんたに配慮してあげないといけないの、と思っていたけれど、妊婦やお年寄りに席を譲るみたいな意味での配慮として「喫煙場所を調べてよ」と言う感覚なのかもしれない。
 「タバコを吸いたい」という欲求がニコチンの依存性に起因して現実に生理的な欲求として感じられる以上、トイレに対するのと似たような態度になってもおかしくないという気もする。


 喫煙が排便と同じような「仕方のない生理現象」として当人にとって感じられるかどうかは結局依存の程度による。「別に吸わないなら数日間吸わなくても何ともない」という喫煙者ならこうはならない。例えば放送を楽しみにしているアニメがあったとしても、別に旅行中は見なくて我慢できる(何ならしばらく忘れている)のと同じような距離感で「嗜好品」としての付き合いができていれば問題ない。
 これは喫煙者当人が「生理現象だから仕方ない」と自覚的に認識しているという話ではなく、むしろそうした自覚がない、それが自分の身体的な感覚だから疑わずに前提してしまうということだ。実際、自分の感情や感覚を出発点として捉えずに何かの結果として見る、感覚や感情が起こる機序や原因を見るというのは案外難しい。「自分がこう感じるのは正しい」という前提になってしまうのが普通だ。もし自覚があれば「生理現象だからしょうがない、という態度を取らないように気を付けよう」という方向だって見えてくる。


 もっと言えばこの話は「本当に喫煙者がどう考えているのか」すら関係がない。非喫煙者の自分が、喫煙者の友人にイライラせずに済むための見方を見出したいという話でしかない。精神衛生のための個人的な営みに過ぎない。


 衝突が発生しないようにするなら、非喫煙者の側は「相手にとってはトイレみたいなものか」と思って諦めるし、喫煙者の側は「相手は『ただの嗜好品』としか思ってない」と考えておくのが平和なのかもしれない。例えば教師は「自分の教え方がまずいからだ」、生徒は「自分の学び方がまずいからだ」と思ってお互いが改善して歩み寄れば平和だけど、逆だと悲惨なことになるのと同じような感じで。
 ただ「トイレみたいなもの」と捉えて相手のことをさしあたり許容するとしても、そもそも生理的に人間がコントロールできない、依存性の高いものを平気で売るんじゃないよ、という気持ちにはなる。「トイレに行かない人はいない」のと同じレベルで喫煙者が全世界でマジョリティなら良いというのだろうか。


 あとタバコ周りに関して嫌だと思っているとしても、それを上回る魅力があるからその人とは友人関係を維持している。これを書き添えておかないとフェアじゃないかなと思って。