やしお

ふつうの会社員の日記です。

最悪な打合せ

 いない人を小馬鹿にしてみんなで笑う、その場にいる人も小馬鹿にして失笑する、「それはうちの仕事じゃないだろ」と怒り出す人と、「どうしてそういう言い方をするんだ」と怒り返す人がいる、そして何かが決まるわけじゃない。
 そういう打合せに久しぶりに出て心がくたくたになった。


 新製品の立ち上げに関する毎週定例の打合せだった。部課長含めて20人くらいが参加している。定例が始まった当初は自分も参加していたけれど、嫌になったのと、どうせ上司(課長)が出席していたから自分まで出る必要はないと思って行くのをやめていた。
 その日は課長が出張中で代わりに出ろというので久しぶりに出て、改めて最悪の打合せだと思った。


 「この人たち最悪だなあ」という高みの見物ではなくて、自分も口を開けば同じような態度を取ってしまうだろうと思えるのが辛い。


 会議で人数が多くなるほど「下手なことを言って馬鹿だと思われたくない」という気持ちが働く。同時に「上手いこと言って優秀だと思われたい」という気持ちも働く。部課長がたくさんいればなおさらだ。こうした心情は何かを話そうとするときに邪魔をする。
 話す時は、短い時間で組み立てていかないといけなくて、ただでさえ頭の中が忙しいのに、自分を良く見せようといった気持ちが入り込むとさらに判定条件が増えて処理が間に合わなくなる。緊張するとおかしなことを口走ったりする。自分で自分が何を言っているのかわからなくなって迷子になったりする。
 それで「何が言いたいのかわかんない」とか「今の彼の話を翻訳しますけど」とか言われたりする。


 会議で黙っていると「何も考えていない馬鹿」だと思われてるんじゃないかみたいな気持ちになってくる。これと「下手なことを言って馬鹿だと思われたくない」という気持ちとの挟み撃ちにあう。
 そうした抑圧された状態で「わざわざ話し出して馬鹿なことを言ってる人」が現れると、この人を嘲笑することで「自分は馬鹿じゃない」という安心を得ようとしてしまう。


 「馬鹿にしていいやつ」認定して、自分たちはそっち側じゃないとお互いに確認し合って安心する。それはその場にいない人に対しても同じだ。欠席している人を小馬鹿にしてみんなで笑う。
 これは面白くて笑っているんじゃない。笑うことが要求されている空気だから笑っているだけだ。自分はこの空気を共有していますというアピールのための笑い。「空気を読むこと」に慣れていると、気持ちをしっかり持たないと流されて一緒に笑ってしまう。


 学校で運動ができない人を笑うのと本当に何も変わりがない。体育で(特に球技が)下手くそだった自分にとって、その時の気持ちがよみがえるようでしんどかった。


 それから「それはうちの仕事じゃない」と怒る課長が出て「何を怒ってるんだ」と怒り返す部長も出て場の雰囲気が最悪になるのは、単に全体を取りまとめるプロジェクトリーダーが存在していないから、という理由で起こっている。
 新製品の立ち上げであっても、いつもは各部署の役割分担がある程度わかっているので問題なく進められる。けれど今回は進め方が全く確定していないかなりイレギュラーな製品になっている。「どこが何をするか」も同時に決めていかないといけないけれど、それを決める人がいない。


 アサインされていない仕事をその場の空気や流れで曖昧に押し付けられそうになれば、その課長にしてみれば「うちの仕事じゃない」と言いたくなる気持ちもよくわかる。一方でそれに対して「そんな風に筋論だけ言っていたって進まないじゃないか」と苛立つ気持ちも理解できる。
 もともとプロジェクト全体を統括していた人がいた。でもその人はなぜか最近部長に昇進してしまって、しかも統括の後任はいない。「どこが何をするか」をきちんと指定して管理する主体が存在しない。


 「全体を管理する人を置く」「参加者を絞る」という極めて当たり前のことをやめるだけで、全員にとってアンハッピーな会議が生まれるという、よくある光景だけど、心がめちゃくちゃになるので距離を置く。