やしお

ふつうの会社員の日記です。

あれは何だったんだろう? と当惑する遠い記憶について

 もう1ヶ月以上も前のことだけど、ギャグアニメの『あそびあそばせ』の第10話で、主人公の女子中学生が、同学年の特に親しいわけでもない女子にふいにキスされて、「あれは何だったんだろう?」という困惑と、でも甘い感覚の混じった中でふわふわするというエピソードを見て、自分が22歳の時、もう10年前のすっかり忘れていた記憶がいきなりよみがえってきたのだった。


 田舎から関東の大きなメーカーに就職して1年目の、まだ同期入社の人達と色々な研修を受けていた頃だった。各拠点の工場見学でたまたま一緒だったJ君が、外での待ち時間に、突然僕を後ろからハグしてきたのだった。びっくりした。男子中学生くらいならハグしたりふざけ合ったり身体的な接触があったりして、そんな懐かしさがあった。どうして、何の脈絡もなく彼がそんなことをしたのかその時も今もわからないし、そしてどうして僕だったのかもわからない。何かで顔を合わせればそれなりに会話も交わすけれど、一緒にどこかに出掛けるほど仲が良かったわけでもないし、社員寮が一緒だったわけでもないし、お互いのメールアドレスや電話番号も知らない。
 ただ、J君はとても性格の良い人で、僕が何かを話しても興味深そうに聞いてくれるし、自分を良く見せようとしたり他人を見下すことで安心したりするタイプの人ではなく、否定や逆張りでものを語る人でもなかったから、僕は彼にとても好感を持っていた。きっと誰でも好感を持つ人だ。突然ハグされて困惑はしたけれど、嫌だとは思わなかった。というよりむしろ、何か自分が無条件に肯定されたような、嬉しいというのに近い感情があった。
 なんていうか、嘘みたいな気もするけれど、でも捏造された記憶ではなくて、たしかにそんなことが自分にもあった、ってことをアニメのそのエピソードを見た瞬間にわーっと思い出したのだった。


 J君とは配属された事業所も違って、1年目の研修が終わると会ったり話したりする機会はなかった。何年か経って、社内報の最終ページの結婚欄で、J君が同期の女性のNさんと結婚したことを知った。Nさんとは入社試験で偶然一緒になった。当時の自分はあまり積極的に人に話しかけるタイプではなかったけれど(というか人間関係・交友関係の構築の仕方がすっかり迷子になっていたひどい時期だった)、Nさんの方から「お互い頑張ろうね」みたいなことを言ってくれて、ずいぶん気が楽になった記憶がある。それから内定式の時にも向こうから声をかけてくれて「おめでとう」と言ってもらった。入社後の研修でもグループが同じになったりして、とても明るく気さくな性格の人だった。
 みんながきっとこの人に好感を持つだろう、と思うような二人が結婚したんだなあと思って、こんな最高なことがあるんだと思って嬉しくなったのを覚えている。嫉妬のような気持ちはまるで湧かなくて、ただひたすらさわやかな気分だった。
 社内報を見た時に、その二人のことを久しぶりに思い出すと同時に、あの時J君に突然ハグされたことも思い出して「あれは何だったんだろう?」という不思議な感覚になったのだった。


 でももしかすると、自分も誰か他の人に「あれは何だったんだろう?」と時間が経ってもふいに思い出して、少し困惑してしまうような記憶を与えていたりするのかもしれない。今はもう交流のない、お互いの人生の中である時期にだけ接点のあった誰かに、そんな気持ちを抱かせていたりする。
 誰かにあえて話すわけでもないし、本人に「あれは何だったの?」と聞くことも、その機会もなく、それどころか当の本人がもう忘れているかもしれない、でも自分は覚えていて不思議な気持ちになるような、そういう思い出がある。