やしお

ふつうの会社員の日記です。

会社でグループリーダーになるから準備する

 職場のグループリーダー(GL)を交代し、年明けから自分がやるように、という内示を受けた。古い大手メーカーで、課の9割が自分より年上の中で、32歳で係長クラスを任せてもらえる、そう評価してもらえたらしいのはとてもありがたいことだと思った。15歳でガンダムパイロットにはなれなかったけれど、35歳で係長の野原ひろしには間に合ったのかもしれない。
 グループの運営をこんな感じで進めていこうと思うところを、事前にまとめておきたいと思って。


根本的な動機

 そもそも「残業したくない」「有給休暇を100%取得したい」と思っている。それは10年前に入社した時そう誓っていて、今も変わらない。けれどそれは誰かを犠牲にすることで達成したいわけじゃない。誰かに仕事を押し付けて自分が早く帰れるのでは意味がない。そのためには仕事の総量を減らしつつ、他の人との負荷の差を均していく、ムリ・ムラ・ムダを減らすことが必要になる。それは結局マネジメントそのものだから、ここに「マネジメントをする」という(さしあたり個人的な)動機がある。
 これまで一担当者として可能な範囲で根回ししたり働きかけてその実現を図ってきたことが、今回GLをやってみろと言ってもらえたことに繋がっているのかもしれない。


 残業ゼロ、有給休暇100%取得をグループ全体で目指す。
 でも数値目標にはしないし、数字を監視しない。それをすれば必ずサービス残業のような本末転倒が発生する。目的ではなく手段を数値目標に設定すると絶対に狂ってくる。あくまで目的は「仕事でプライベートを圧迫させない」であって、「残業ゼロ、有給休暇100%取得」はそれを分かりやすく言い換える手段に過ぎない。


 サッカー選手が「逆転しますんで試合時間をあと15分延ばして下さい。」とは言わないように、仕事だって「試合時間」に収めるように組み立てていくのが基本だと思う。プロの会社員なんだし。8時間に納まるように全員で最善を尽くして、それでもどうしようもない時も現実にはあるけれど、最初から安易に残業や休日出勤で解決しようとするのは間違っている。それを実現するためにグループがあり、グループリーダーがいる。


業務を共有する

 どうしても仕事の忙しい/暇の波がある。だから「忙しい人」の業務を「暇な人」に移して個人間の負荷を平準化する。しかし仕事の「共有しやすさ」には差がある。共有しにくい順に並べると大体こうなる。(自分がいるのは大手メーカーの検査部門で、社内には生産部門・直接製造がない。)

  1. 新製品の立上げ
  2. 品質・生産問題対応
  3. 量産品検査(持込み検査・出張検査)
  4. 雑用(帳票の処理、整理整頓、計測器検定出しなど)


 「新製品の立上げ」は、新製品の情報収集・整理・理解、他部門との協力や調整、スケジュール上のリスク管理、検査工具の手配・製作、外注先での検査環境の構築、ロット1製品検査の実施と問題点の洗い出し・改善……といった諸々の作業で、半年~1年くらいかけて進めていく。
 「品質・生産問題の対応」は市場で発生したトラブルのうち製造問題が原因であるようなものや、生産時に発生したトラブルの調査や対応。


 定型的・汎用的な仕事ほど「共有しやすさ」が上がる。
 雑用はルールを知っていれば誰でもできる。量産品の実検査もやり方を習得すれば誰でもできる。ただ雑用に比べると「その製品の検査の仕方」は固有なので汎用的でない。
 新製品の立上げは、途中で設計変更が入ったりリスケされたり、あるいは生産時のトラブルや課題が多発するため定型的ではない。日々アップデートされていく情報の全てをメンバー間で共有するにはコストがかかり過ぎる。「今日はAさんがやって、明日はBさんがやる」といったやり方には向いていない。
 「共有にかかるコスト」と「共有で得られるリターン」を天秤にかけて共有するかどうかは決定される。共有しやすくても利益がないならやらない。


 共有しにくい仕事で発生する忙しい/暇の波を、共有しやすい仕事の調整で吸収する、というのが基本的な方針になる。


実際の業務の共有

 各製品の実検査は2人以上ができるようトレーニングしておく。忙しくて手が回らなくなっても他の誰かがカバーできるようにしておく。実検査は時間を食う割にやること自体は決まっているので共有する価値のある業務となっている。
 検査担当課にとって絶対に達成すべきことは、

  • 営業要求に応える(必要な品物が必要なタイミングで在庫されるようにする)
  • 下請法を遵守する(外注先への支払いを遅らせない=検収をすみやかに上げる)

なので、その意味でも共有化されている必要がある。
 ただし複数人で担当する場合でも「主担当は誰か」をはっきりさせる。お互いに「あの人がやってくれるだろう」と曖昧に思って「誰もやらない」お見合い状態が発生するのは困るし、そして痺れを切らした誰かがやって既成事実として「こいつが主担当」にさせられていくとものすごい不満が溜まる。(そういう経験がよくある。)だから最初から「この製品はあなたが主担当です。ただこの人と相談して業務をシェアすることができます」という形にする。


 各製品を二人以上が検査できる体制にすることで、「品質・生産問題の対応」の方も共有可能な幅が結果的に拡大する。その製品の仕組みなり現場でどうしているかが分かっていないと対応が難しいため「品質・生産問題の対応」は基本的にその製品の主担当がやることになる。しかし検査のやり方を覚える過程で、出張検査で現場に行ったりその製品の仕組みを学習するため、ある程度の問題はサブ担当でも対応できるようになる。
 それ以前に誰がどの製品を担当しているのかがよく分かっていない。現状ディスコンになっていない、生きている製品が2000種以上ある。(細々したモジュールを組み合わせて特定の機能を持たせていく、オプション品が膨大にあるという性格の製品なので。)完成品検査の他にも部品の受入検査もある。課内で「誰がどの製品の主担当で、副担当が誰か」がみんな分かるようにまずはする。


 「新製品の立上げ」は共有しにくい仕事とはいえ、大きな案件(ある製品シリーズのフルリニューアルとか)の場合、規模に応じて担当者が複数人割り振られることになる。この中で業務を共有していくことになるが、ここでも放っておくと「主担当/リーダーが決まっていない中で、たまたま気の付く人に仕事がどんどん押し付けられていく」現象が起こってしまう。(以前それで疲弊していく後輩を見た。)ここでも最初からきちんとその製品の「リーダー」を決めて、製品リーダーが抱え込んでいないか/メンバー間で仕事をムリ・ムラ・ムダなく割り振れているかを定期的にチェックして、必要があれば人を融通していく。


 もともとこうしたことは今までも担当者個人という立場で周囲と協力してやってきた(そうしないと残業まみれになってしまうので)。ただせっかくGLという立場になったのだから、きちんとグループの中で展開したいと思うし、それをしないのならグループの存在意義が無い。


進捗管理

 「誰が何をいつまでにやらないといけないのか」が目に見えるようになっていなければ「業務の共有」はただのお題目になってしまう。GLだけが見えればいいわけではなく、グループのメンバーがお互いに見えていないと納得のいく共有ができない。


 「量産品検査」に関しては、もともと生産管理部門が組んでくる生産予定が公開されていて、それに従って各検査担当者が検査を進めている。他の業務が忙しくてやりきれなければ、主担当は副担当に相談して調整してもらうし、調整がつかなければGLに相談してもらえばいい。
 一方「品質・生産問題の対応」は現状、進捗管理の仕組みがない。誰が何をどこまで進めていて次に何をしないといけないのか、はその本人しか分からないような感じになっている。(よほど炎上している案件だとGLや課長が状況把握している。)そのため困っていない状態(生産が滞っているわけではない状態とか、他部門から煽られていない状態)になると何となくそのまま放置されたりしている。これは洗い出してリストアップした上で、毎週各メンバーを一人ずつ訪ね歩いて「いつまでに何をする」を約束してアップデートしていく。この時ついでに、忙しさの状況やリスク要因や困っていることがないかもヒアリングしていく。
 「新製品の立上げ」はうちの部署にとっては「検査工具・検査手順を遅れなく・漏れなく準備する」「ロット1、ロット2品の生産日程を遵守する」が絶対に達成しないといけないポイントとなる。工具の準備は予算の確保や発注先の都合などで「間に合わなくなるタイミング」が存在しているから、それを担当者と確認して「ちゃんと間に合うか」をチェックしていく。ロット1、2品はたいてい何かしらのトラブルが発生する。現場にいる担当者と密に連絡を取って、必要なら開発者その他関係者がすぐに対応してもらえるよう社内から支援する。


 業務負荷の把握は、業務量だけを見ても正確じゃない。同じ仕事の量でも新人ならアップアップだけどベテランなら軽々だったりするし、プレッシャーの強さも個々人で違う。結局、本人の実感で負荷の量を見た方が、定性的・主観的なように見えても実際には正確なのではないかと思っている。


 あと会社の全員のPCに「Skype for Business」が入っていて、でもほとんど活用されていない。(Slackはない。)メールか電話か対面かという世界。出張検査で社内に人がいないことも多いので、こうしたツールも活用できないかなと思っている。やってみて上手く行かなければやり方を変えればいいし。


業務を減らす

 コップから水が溢れないようにする、そのためにコップを複数用意して空いているコップに水を移す。しかしそもそも水の量が多ければどうしたって溢れてしまう。だから業務の総量を減らす必要がある。難しいのは「やらなくていい仕事」と「やらないといけない仕事」が0か1かでバッサリ分かれるわけではなく、グラデーションになっているということ。

  • どうしても自分がやらないとダメな仕事
  • 他の人に任せられる仕事
  • やった方がいいけど、必須ではない仕事
  • やらない方がいい仕事

 暇か多忙かでどれくらいのレベルまでやるか、あるいは仕事を捨てるかを決めていく。


 例えば課長と担当者が2人とも毎週定例の打合せに出ている、みたいな場合は課長に任せて出るのをやめて議事録だけチェックするとか。社内向け資料の完成度を上げないとか。別の部署がやるべき仕事を曖昧に肩代わりしていたのをきちんとやめるとか。
 あと製品検査でも、全数検査→抜取り検査→外注先お任せ(検査結果のみ確認)とリスクに応じて(ルールに沿って)だんだん緩めていく。この検査方式を緩めていく手続きが面倒くさいからとそのままにしているといつまでも検査業務に他の業務が圧迫されてしまうし、新製品が出てくると首が回らなくなってくる。半年に一度この「確認のみの検査」に移行していない製品の洗い出しと、どのタイミングで移行させるかをグループの中で確認する。


 「念のため」でやって結果的に無駄になってしまう仕事が多い。例えば市場で品質問題が起きればまずは品証部門が調査する。その時点ではまだ全然製造問題だとは確定していないのに、「念のため」検査部門が過去の号機の調査を始めたりする。結果的にその作業が無駄になってしまう。
 文句言われるかも、感謝されるかも、と思って「念のため」やってしまう。「忖度」や「おもてなし」で仕事が増加し、塵も積もれば山となる方式で生産性は低下する。
 もちろん「念のため」の仕事は無意味じゃない。それが奏功することもある。でもそこがクセモノで、そういう「念のため」の仕事を捨てずにやってしまうと、積もり積もっていく。やるべき担当者・部署にまずは仕事を任せる、「念のため」の仕事をきちんと捨てる。
 これはGLが「念のため」の仕事をメンバーに要求しない、ということが重要だ。「念のため」を要求するタイプの上司やリーダーがいると、メンバーはダメ出しされたり否定されるのが嫌なので先回りして「念のため」の仕事をやらざるを得なくなってくる。そうして会社の利益にならないし、世の中のためにもならない仕事が増加する。


GLを若干ヒマめな状態でキープする

 メンバーの数が多くないので、GLはマネジメント専任ではなく実務もやるし担当製品も持つ。ただ実務は軽くして「若干ヒマめ」をキープする。「期限に追われてギリギリでこなしている状態」は実際忙しいし「仕事してるなあ」って実感はあるし、こなしきった時の達成感もある。ただその状態だとマネジメントや改善に取り組む余裕がなくなる。そうしてグループが機能しなくなる。また突発的な事案に対応するためにも「若干ヒマめ」な人を作っておかないといけない。
 あいつリーダーの癖に楽してる、と思われるのが怖いから、つい率先して色んな仕事を引き受けてしまいたくなる。精神的にはその方が楽だけど、本来GLとしてやるべき仕事ができなくなるのでは本末転倒だ。(ちなみに課にはグループが2つあって、現状そのGL2人が課の中で残業時間の多いツートップになっていてマネジメントができる状態ではなくなっている……)


 これはGLに限った話ではなく、メンバーも業務に追われまくっていると自分の仕事を整理整頓したり、何かを改善しようと思ってもできなくなる。業務の総量を減らしてメンバーも「若干ヒマめ」を目指す。


判断

 GLの仕事はマネジメント以外に、ある種の判断や承認がある。「照査」としてGLがハンコを捺す書類があったりするし、ある仕事をどこまで「念のため」やってどこで切り上げるのか、といった判断が必要になる。例えば品質問題が起こった時に、開発も巻き込んで本腰を入れて原因調査するのか、あるいは突発的な現象と判断してスルーするのか。在庫を全て引き上げて調査すべきか、あるいは仕掛品だけ対応するか。もちろん大きな話であれば課長なり部長なりに判断を仰ぐけれど、そもそも課長に話を上げるかどうかも判断になってくる。
 こうした判断の妥当性は「それをするコスト」と「それをしないリスク」がどれだけ具体的に、正確に洗い出せるかにかかってくる。ここには筋論を構築する能力の他に、どうしても過去の経験、類似の事例の経験や、技術的な知識も必要になってくる。そして経験や知識の面で自分には不足するところが大きい。そこは素直に担当者や知っている人の協力を求める。一方で経験や知識の面で足りないとしても、筋論の構築で「どこが足りないか」を導出することはある程度できるから、そうした面で担当者をサポートする。


 それから「承認」という仕事。担当者の判断や成果に対して「それでいいよ」「もっとこうして」と言う。これは担当者としての実感だけど、後出しのダメ出しをされると腹が立つ。特に対外的に(他部署や外注先に)「こうします」と答えちゃった後でダメ出しされて撤回しないといけない時は、面目丸潰れみたいになるから辛い。自分の判断が甘くてそうなってしまう場合、責める相手が誰もいないからなおさら辛い。
 できるだけダメ出しを前出しにする必要があるし、そのためには「こうしました」より「こうしようと思います」と担当者に事前に言ってもらう必要がある。
 一方で先に「こうしようと思う」と担当者が言っても毎回「それじゃダメ。こうして」と課長やGLに言われるのなら、もう嫌になって担当者は自分で考えることをやめてしまう。それを防ぐには「完成度を求めない」が大事なのだと思う。もともと自分自身の仕事に対して「完成度は7割でいい」と割り切っている。実際「完璧」を目指し始めると時間や手間ばかり食っていいことがない。人にお願いした仕事はさらに7割×7割の5割でいい、と割り切る。こうした方がもっといい、自分ならこうする、と思ってもそのことが全体に影響がなければそのままスルーする。「自分の方が良く気付いてるし」とマウンティングしたくなる気持ちも、後で他部署や上司に突っ込まれるのが怖くて「念のため」でお願いしたくなる気持ちも、ちゃんと殺す。
 ただ時々、完成度9割でないと困る種類の仕事もあったりするから、そういうのはあらかじめそう伝える。


評価

 課員の成績評価は課長がつけるので、直接GLが評価するということはない。しかし(恐らく)課長からはグループのメンバーの評価を参考までに聞かれるのだろうと思う。
 これは自分が言われて嫌だったことだけど、「目立ってないから評価を上げづらい」と上司に言われるとかなりやる気がなくなる。検査部門で言えば大炎上してるトラブル対応を残業マシマシで一生懸命やるとかだろうか。その昔、長嶋はギリギリで捕球するから華麗なプレーになるが、王はあらかじめ準備して余裕で捕球するから地味なプレーになる、という話にも似ている。(現実に長嶋や王がどうだったのかは知らないけど……)プロ野球でファンに魅せることが目的なら長嶋スタイルでいいかもしれないけど、仕事なのでそれを目的化するのは間違っている。非合理なことを言われると意欲が著しく減退する。
 しかし長嶋スタイルは目立つので見えやすいが、王スタイルは確かに正確に評価するのが難しい。「起きなかった事故」を見るのは難しい。もっと言えば本人でさえ無意識にやっていたりする。日常的に「どういう工夫をしているか」を誰かが記録していないと、事前のリスクコントロールは後からではもう見えなくなってしまう。課長よりもグループのメンバーがよく見える立場にいるGLが、その記録係になる。リスク低減のためにその人がやってくれたことを日常的にヒアリングして、忘れないように記録し、課長に上げる。


 10年前の時点ではまだ「残業をいっぱいしてる人が仕事を頑張っている人」みたいな風潮が確かに社内に存在していた。最近ようやく「しっかり仕事の整理・整頓をして時間内に収める方が良い」という価値観に移りつつある。しかしそれを評価する方法がまだ確立されていない。残業をしないで済むように/事故や遅延が発生しないで済むように各人がやった工夫をどれだけキャッチできるかが、「正しい評価」の前提として必要になるはずだと考えている。


教育

 覚えたり身に付けないといけないことはたくさんある。さっきの量産品検査の担当製品を増やす話もそうだし、製品知識や技術的な基本(メカとか電気とか)もそうだし、事務的な話(設備購入の手続きとか、ISO9001等に基づく社内ルールとか色々)もあるし、「合理的な判断」とか「関係者を巻き込んで合意形成」といった直接教えるというより経験で身に付けていくような技術もある。
 最終的には本人が勉強したり頭を使って身に付けていくのだとしても、教育機会を提供するのは組織の側の仕事になる。そして「いざ」という時に「じゃあこの人に任せよう」となれるように準備する。

  • マニュアル化・標準化できるところはその整備をしていく
  • 教える時は「とにかくこうする」ではなく「なぜそうすることになっているのか」も伝える
  • スキルマップをちゃんと作って誰がどこの能力を伸ばしていくのかお互いに合意する(以前、課で作ろうとして、たぶんそのままになってしまっている)
  • 「人に指示する」「外部と調整する」といった経験を積める機会を提供する(製品立上りの課の主担当にしたり、改善活動のリーダーにする)


 「管理職に必要な技術」は実際に管理職になってから身に付けるのでは遅い。でも準備しようにもその練習の機会がないと難しい。「練習の機会」は部署・その仕事の性質によって量が異なる。企画部門であれば部長や事業部長に直接報告する機会もあるが、検査部門では全くない。あるいは品証部門であれば各部署に仕事を割り振って動いてもらうといった機会もあるが、検査部門ではそれもほとんどない。それでそうした機会を少しでも作っていくために、GLが全部マネジメント業務を独占せずに、メンバーにやってもらえる箇所を見つけて任せていく。
 これは根本的には職種別の採用ではなく、新卒を一括採用して会社側の都合で異動させたり昇進させたりするという人事制度の前提があるため。最初から「検査員は検査員、管理職は管理職」という採用ならそんなことやらない。本人の希望とは無関係にたまたま検査部門に配属になったという理由で、管理職への道が閉ざされるというのは不公平だろうし、誰にどういう適性があるか分からない以上は、技術職・管理職双方の教育機会を組織が提供する必要がある。


 あとGLのロールモデルを提示できればいいなと思っている。GLくらいは適当に交代して色んな人が体験してみた方がいいと思っているけど、その場合に「なるほどGLってこんな感じでやればいいのね」というモデルがあった方がいい。せっかくGLをやるなら、そのモデルを(反面教師になる部分もあるとは思うけど)提供するのも仕事の一つだと思う。


リスクの低減

 怪我したり、親族が亡くなったり、子供が生まれたりすれば急に仕事を休まないといけなくなる。人事異動で突然いなくなることだってある。もしそうなっても大きな影響なく仕事が進められないといけない。突然の増産や立上り時のリスケにも追従しないといけない。ここまで「負荷の平準化」という文脈で担当者を複数化させるという話をしていたが、それはリスクの低減という意味でも重要な手段になっている。あるいは「教育」の文脈でマニュアル化・標準化の話をしていたが、それも属人化を防ぐという意味でリスク低減に繋がっている。技術職・管理職としてやっていける人を育てるという話も同様だ。


 数年前、自分の親が突然亡くなったので急遽帰郷した時、(親が死んだんだぞ! 仕事のことなんか知るか!)という気持ちで忌引きの間、業務の連絡は一切しなかった。(必要なことは全部関係者に伝えてから帰ったから特にそうする必要もなかった。)だからもし誰かがそうなっても、業務で煩わせたりしないような環境を構築したい。


課長の補佐

 今は課長代理はうちの課には設置されていないから、課長の補佐を2人のGLが担うことになる。ここまでは「自分のグループをどう運営するか」という話だけだったけれど、その他に「課長の一部の仕事や判断を代理する」という場面があったりする。
 そのためには課内に存在している業務を把握している必要があるし、関係部署がやっている仕事の内容も知っていないといけない。細かい話で言えば「設備費用の処理」とか「製造イニシャル費の付け方」とか、うちで処理した後次の部署でどう処理されているかとか、知らないことが色々あるので調べていこうと思う。そしてそれを文書化して、次にGLをやる人がいちいち自力で調べなくてもいいようにしておきたい。
 課長がもし突然いなくなっても代行できるような組織体制にしておく必要がある。


組織の存在意義

 課の存在意義や理念は、課長が課員にするべき話なのかもしれないけれど、GLもその認識をはっきりさせて必要なタイミングでメンバーと共有する必要がある。


 会社は営利組織であって利益を上げることが存在意義になっている。その手段は「たくさん売る」と「高く売る」の二つとなる。品物を製造して販売するのが製造業だから、製造業にとってその2つは

  • 流れるようなものづくり
  • 原価低減

と言い換えられる。(「たくさん売る」には市場を開拓するなど他にも色々な手段が含まれるが、それは製造業に限ったことではない。)
 「流れるようなものづくり」は営業サイドが必要とする数量・必要とするタイミングで確実に品物を在庫させることを意味する。
 さらに検査部門に落とし込むとこの2つは

  • 良品を遅延なく納める
  • 工数の低減

となる。
 それで、検査員を教育したり複数化させることも、良否判定を漏れなく、かつ無駄なくできる検査工程・検査環境を構築することも、製造に起因する品質問題の原因調査と対策を進めることも、この2つの目的を果たすためにやっている。課の中にある仕事は全てこの2つの目的に繋がっていて、だから「どうすべきか?」を考える場合「この2つに対して合目的的か?」を考えることになる。






 そんな話をあらかじめメンバーと課長には伝えようと思う。(一部は伝えない。)
 実際に運用すればそう理想的にはいかないよね、ということは出てくるに決まっている。試行錯誤しながらやってみて、失敗だったことややり方を変えてみたこともまた折りを見て整理したい。


 2年前に「組織の中で働くための技術」を自分なりに整理して体系化してみたのだった↓
  組織のなかで働く技術 - やしお
 基本的にその認識と変わりない。ただ今回、それをより広い範囲で実践できる機会が得られたのは、とてもありがたいことだと思った。


 それからこの話はそもそも「メンバーがみんな基本的にちゃんとした人である」という前提があって成り立っている。伝えたことをちゃんと理解してくれる、嘘をつかない、メンツを理屈や道理より過剰に優先させたりしない、そういう「まともな」人達がメンバーだから成立する話になっている。世の中そういう人ばかりではないし、これはとても恵まれている。そのありがたみを忘れないようにしたい。