やしお

ふつうの会社員の日記です。

権力に追従する技術

 この前テレビをつけたら国会中継衆院予算委)をやっていた。旅行の出発当日で荷造りしながらつけっぱなしにしていたら、途中で自民党萩生田光一議員が質問者として出てきた。
 萩生田議員は、日本会議と創成「日本」のメンバーで、国粋主義者で、安倍首相の追従者の筆頭、という漠然とした知識はあったけれど、実際に喋っているのをきちんと見るのは初めてだった。


 萩生田議員の名前は、西村康稔議員とセットで「安倍首相の熱心な追従者」として覚えていた。
 清和会の中で次期大臣の座を狙う二人だが、西村議員が、西日本豪雨の際に安倍首相や小野寺防衛相を含む自民党議員が宴会をしていた写真をTwitterにアップして大炎上させたり、総裁選で「石破の応援演説に参加すれば将来に差し障る」と神戸市議を恫喝したことがバレたりして、「失点」を重ねている中で、萩生田議員の方がリードしている、というようなニュースを去年に見て、この二人の名前を何となくセットで覚えていたのだった。


 萩生田議員は他の質問者・答弁者よりはるかに語りが上手くて、つい見入ってしまった。他の自民党の質問者より政府をしっかり批判しているように見えた。しかしその内容をよく見ると、政府に全くダメージを与えないどころか華を持たせるようなものになっている。
 自民党には自浄作用がきちんと働いている、政府もそれに真摯に対応している、という印象だけをノーコストで与える。その高い技術があって初めて、追従者としての役割を果たせるんだなと思った。


 国会の映像は↓で見られる。(2019年2月8日の衆議院予算委員会。)話題が3パートに分かれていたから、それぞれ萩生田議員の技術がどのようなものだったか、具体的に記録しておきたい。
衆議院インターネット審議中継


地方自治体の行政能力

 幹事長代行という立場上、地方自治体から様々な陳情を受けることがあるが、よく聞くと国の仕事ではなく自治体の仕事だと思う内容が結構ある、という掴みで始まった。そこから「交付金は財政力には直接効くが、行政力には効かない」という話をして、「非常時の地方自治体の行政能力の問題」の話へと導入していった。
 そして具体的な事例として西日本豪雨を挙げる。総理が官邸で電話をかけて直接「簡易エアコン」の手配をして、被災地にせっかく届けられたのに、箱から出されることなく積まれたままで被災者に届かないケースがあったという。間に自治体が入るべきだが、自治体自身も被災している中でその能力が不足しているから、自治体の行政能力を上げないといけない、という主張になっている。


 ここでの主張は、あくまで表向きは「政府が動くだけでは不十分、自治体も動くこととセットでなければ実効性がない」というもので、誰もが納得できる真っ当な意見だ。
 しかし、昨年の西日本豪雨の時、安倍首相たちは宴会をしていて初動対応が遅れたと批判を浴びた、という背景を思い出すと、ここでは同時に「安倍首相はちゃんとやっていた」というメッセージにもなっている。時間が経って世間が宴会のことをだいぶ忘れかけているから、「あの時、政府はちゃんと対応していた」というイメージで上書きするにはちょうどいい時期なのかもしれない。またその前段で「政府による交付金は財政力に効いても、行政力は自治体の問題」という話をしていることも、ここでの「政府はしっかりやってる、自治体のせい」というイメージを補強している。
 さらに、この宴会が世間にバレた原因が萩生田議員のライバルである西村議員だった事実も思い出すと、「安倍首相に汚名を着せる西村議員と、その汚名をそそぐ萩生田議員」という対比を「ついでに」作り出している。


 ものすごく短い間に、

  • 納得性の高い問題提起をして見る人に信用を与えること
  • 政府(首相)の過去の不手際をプラスイメージで上書きすること
  • 政府の責任を回避して他(自治体)へ問題を転嫁すること
  • 自身の立場を向上させること

といった操作を同時に施している。効率的で、圧縮率が高い。


 かつて気象予報は3.3km四方の単位だったが、今は400m四方の精度で出されている。しかし気象庁から出されるその情報をきちんと解釈できる職員が自治体にいなければせっかくの情報も生かされない。
 そんな話が続く。原稿に目を落とすこともなく具体的な数値を挙げる。「知らなかった事実」「意外な事実」を教えられると「へー」と思って人は耳を傾ける。そして数値や具体的な事例で語られると、それは正確な内容なのだと信じてしまう。そして一つでも信じられれば、その他も信用に足るものと推定する。こうして話の全体を「信頼できそう」と思わせることができる。
 これは良いとか悪いとかいうものではなく、話に説得力を持たせるためのただの基本的なテクニックだ。ただそれを、話の中で定期的にきちんと繰り返して説得力を維持するという作業を、他の人々が疎かにしているために、一人だけ突出して説得力があるように見えている。


 そして最終的に、「技術職を増やすのは本末転倒なので、自治体の職員に資格を取らせればいい」という話に持っていく。それに対して総務相と首相は「人材育成に地方交付税を充当する」という答弁をする。
 地方公務員の総数は1994年をピークに減少を続けて昨年(2018年)時点でピークから16%減少している。自治省総務省事務次官通知や閣議決定などの形で削減の方針や指示が中央から示され、安倍内閣に限らず減らし続けてきた実態があるので、それを踏まえて「人は増やさないが」というエクスキューズになっている。(ちなみに「就業者数に占める公務員数の比率」だと日本は先進国中最低で、世界でもモロッコに次いで低く第2位らしい。多ければいいという話でもないけれど、かなり少ないのは確かなようだ。)
 「公務員の数は増やさないけど資格を取らせよう、時間外勤務を増やしたり、給料が正規の3分の1の非正規職員を増やしたりして頑張ってね。」と言っている。


 形の上では「委員が指摘したことで政府が対応した」となっているが、地方自治体の職員の資格取得を推進することがどう課題解決になっているのか、16兆円ある地方交付税のいくらがどのように「充当される」のかと思うと、どれほど実体のある約束がここでされたのかはよく分からない。
 ただ何となく聞いていると、前半に説得力があるので、「ああそうだその通りだなあ」みたいな気持ちで結論をスルーしてしまいそうになる。
 全体を通してとにかく圧倒的に聞きやすい。つっかえることもなく、原稿に目を落とし続けることもなく、「ま、あー」とか「えー」とか、無意味な「まさしく」「あります」とかで間延びさせない。ほとんどの答弁者がずっと原稿を見続けていることと対照的だった。練習に費やす時間が違うのだろう。


幼児教育・保育の無償化

 無償化の対象外となる施設の中にも、対象にすべき施設はあるのではないか、という指摘だった。萩生田議員の地元・八王子市内にある、発達障害児の教育に力を入れている「みどり幼児園」を、対象外となる実例として具体的・詳細に挙げていてここでも説得的だった。
 文科相の答弁は「制度からあぶれる施設もあるが、国でなく各自治体でサポートするとか、認定に移行してほしい」というものだった。それを受けて萩生田議員は声のトーンを強めて、直接的には文科相の答弁を否定はせずに、力強く批判しているような雰囲気を作っていく。そして
「これ時間がありません、総理の決断でもう一度指示していただきたい」
と迫る。
 安倍首相が答弁に立ち「用意した答弁ありますが」と断って原稿は見ずに、「今の話でそういう例があることを知った、検討したい」と答弁する。首相の答弁が終わった時、「おおっ」と誰かが上げた声が映像には入っている。


 首相のリーダーシップのアピールになっている。管掌の大臣の答弁を覆す首相、官僚の用意した答弁を覆す首相のイメージを出している。一方でそれを引き出した萩生田議員の力のアピールにもなっている。
 ただ、2日前に質問通告はされており、だから手元に「用意した答弁」が存在するのだということを考えると、出来レースとか茶番劇といった言葉が浮かんでもくる。


国家公務員の人事制度

 統計不正の問題に絡めて、国家公務員の人事評価制度に持っていく。
 自分は幹事長代行の仕事をしている、複雑な仕事だが、経験者の先輩がいるからやれる、一方で官僚は統計局から局長に上がった人は一人しかいない、仕事の内容を理解してくれない上司だとだめだ、キャリアとノンキャリには壁があり、人事の採用も出世も各省庁がやっていて「採用してくれた人」「引き上げてくれた人」という恩義で固まった縦のラインができている、だから各省庁から人事権を取り上げて人事院でやればいい、内閣人事局でせっかく仕組みを作ってあるのだからそれを利用すればいい、という話だった。


 「各省庁から人事権を取り上げれば統計不正は起こらない」というすごい理論になっている。しかしやはり話し方は上手いし、一つ一つは不自然ではない事実を語っているので、ぼんやり聞いていると何となく納得しそうになる。「単体では不自然でない話を重ねていって最終的に妥当性のない結論にたどり着く」というのは「風が吹けば桶屋が儲かる」論法そのものだ。無数にある因果関係の束のうち、因果関係の強弱とは無関係にそのうちの一つを任意に選ぶことができる。
 2つ目の幼児教育・保育の無償化の話のところで「一番詳しいのは身近な地方自治体だから、施設の認定は地方自治体の判断で」と萩生田議員は語っている。その理屈を援用すると、ここでも「一番詳しいのは各省庁だから、職員の人事は各省庁の判断で」という結論を導くことだって可能だろうとも思う。
 問題への対処に見せかけて首相・官邸への権力集中を進めようとするのは、正しい尻尾の振り方ということかもしれない。


 途中、大学4年生の試験でキャリアかノンキャリが決まってしまうという話に絡めて、
「学校時代の成績ですべてが決まるんだったら、ここにいる人結構いないですよ」
と発言して、議場がどっと笑いに包まれた。
 「学生時代の学力でその後の全ての評価が決まる世界はおかしい」というのは一般論としてその通りだ。ただ、「ここにいる人」の中で「偏差値が高くはない大学を出ている」一人が安倍首相だという背景を考えると、ある種の学歴コンプレックスを慰めたり、肯定感を与えたり正当化するのに寄与している。
 ちなみに西村議員は東大卒・元通産官僚なので、ここも同時にある種の当て擦りとして機能しているのかもしれないが、それは邪推が過ぎるような気もする。






 本当の意味で権力に追従するというのはこういうことなんだなと思った。一見、強く批判しているように見せて、その実ダメージを与えない。その上「きちんと対応する政府」のイメージを作る。
 この日の衆院予算委は、岸田政調会長も最初の質問者として出ているが、「統計不正は制度やルールの問題ではなく公務員の意識やモラルの問題、政治家がチェックできるわけないし」みたいな話をしていて、萩生田議員と比べるとあまりに雑だった。コーティングする手間を省いていてダイレクトに政府擁護をしてしまう。それは頭が悪いとかいうわけではなく、追従することへの本気度の差なのだと思う。
 岸田文雄が三世議員で地盤を引き継いで政治家になったのと違い、二世議員でもなく、官僚出身でもなく、市議から都議になり国会議員になった萩生田光一にとって、権力基盤のない中で上ろうとすると、こういう戦略になっていくのはある意味自然なのかもしれない。


 党内で派閥に権力が分散した中選挙区制では、族議員になって専門分野で能力をつけて派閥に貢献していくのが一つの生存戦略だったのが、党首(総裁)に権力が集中する小選挙区制では、徹底して党首のイメージアップを測ることに貢献していくのが生存戦略になっている。(ただ「だから中選挙区制へ戻せ」と単純に言うのは、権力闘争の激化で政権運営が安定しない、バラマキ型になる、といった大きなデメリットを無視しているので無意味だとは思う。)
 それが国会議員の本来の役割からかけ離れていたとしても、過剰適応は一般的にそうしたズレを孕む。その過剰適応の一例が萩生田議員なのかな、みたいなことを初めて話している映像を見て思ったのだった。
 萩生田議員は、国粋主義的な言動(日本の核武装容認等)や守旧的な価値観(育児は母親がすべき等)をたびたび表明して叩かれたりもしているが、これも「安倍首相の(日本会議等の)価値観と合わせる」という適応の結果だったりするのだろうか。


 ここまで全振りして貢献しているし、当選回数も5回だし、大臣のポストくらいあげてもいいんじゃない、みたいな気持ちにもなるけれど、それは国民の利益を視界の外に置いて、国政のみを舞台として矮小化した視点で言えることでしかない。
 こうやってがんばっている国会議員がいるということを、中の人達だけじゃなくて、外からもちゃんと見てあげた方がいいかなと思って。