会社(大手メーカー)の社内報に毎年、新入社員全員の顔写真・名前・自己紹介文が載っていて、この前ふと20年前のを見てみたら、男性社員のスーツやシャツがカラフルでいいなあと思った。自分が入社したのは11年前、2008年だけどその時にはみんなスーツは黒で色シャツの人はいないのが当たり前だったから、ちょっと新鮮だった。
いつから変わったんだろ? と思って男性社員のスーツが黒じゃない人、シャツが白じゃない人の数を数えてみた。
※面倒だから「黒」って書いてるけど、ほとんど黒に近い濃紺かダークグレーのことで、喪服や男性アイドルの衣装みたいな真っ黒のスーツは(10年前の記憶では)あまり見かけたことがない。
※「スーツも黒じゃないしシャツも白じゃない人」がいるので3列目+4列目=5列目にはならないんだけど、そういう人は99年に1人しかいなかったので他の年はそのまま足した数字になっている。
2001年から急減して2002年でほぼ絶滅、となっている。
色シャツの人はまだ残っていたけど、明るい色のスーツは02年には絶滅している。それまでは明るいグレーやベージュ、茶色のスーツを着ていた人がいたのに絶滅した。ちなみに06~12年の間に黒以外のスーツの人がほんのわずかに登場してるけど、その人たちは例外なく明るいグレーであって、ベージュや茶色は完全に消滅している。そして2013年からは6年連続でそのグレーも消滅して黒一色になっている。(そもそも業績が落ち込んで採用が抑制されてたから数に出てこないだけかもしれないけれど。)
上の表は男性社員だけをカウントしたものだけど(男女比が9:1くらいで女性社員のサンプル数が少な過ぎたので)、女性社員の方も見てみると2001年からリクルートスーツが増加して、02年に絶滅(全員例外なく黒)になっていた。(もしかしたらメイクや髪型も変わっているのかもしれないけど自分には正確に語る能力がない。)
リクルートスーツっていつから出てきたんだろうと思ってググったら、どの記事でも「2001年から登場した」と書かれていた。
いつから就活生は黒のリクルートスーツを着るようになったのか|就活サイト【ONE CAREER】
リクルートスーツ いつから「黒」が定番色になったのか|NEWSポストセブン
90年代前半にバブル崩壊してからだんだん黒が増えてきて、00年に大卒新卒の有効求人倍率0.99と過去最低を記録してその翌年の01年にリクルートスーツが登場した、という解説になっている。
(ちなみに98年1.68→99年1.25→00年0.99とわずか2年で一気に急落して、その後08年に向かってゆるやかに回復していった。リーマンショックの影響で2010年以降にも落ちているが、それでも12年の1.23が最低値なので、1倍を割ったのは99年だけだったようだ。)
https://www.recruit.co.jp/newsroom/pdf/20180426_01.pdf
あと面白いなと思ったのが、自己紹介文もリクルートスーツの登場に合わせて一変している。
00年入社の人達は「将来の夢はパイロットです」とか「アッパーカットが打てるようになりたい」とかふざけたことを書いている人もいて、そうでなくても趣味のこととかを緩く書いている人が多かった。それが01年になると完全にふざけたことを書いている人は絶滅して、「頑張ります。よろしくお願いします。」みたいな無難なものになっている。
やっぱり求人倍率が1を切って、「売り手市場」から「買い手市場」に転落して、「落ちても次があるからいいや」という現実が完全に消え去ったのを目の当たりにした人達は、「落ちる可能性がある要素の一切を排除しよう」という価値観になってるのかもしれない。
そのタイミングで「これが就活のマナーだ」というのが流布されればみんな飛びつかざるを得なくなる。その真偽が定かでなくても、というより真偽が定かではないからこそ、念のためそうするしかなくなる。例えばどこかのスーツの量販店が「これがリクルートスーツです」と言ってそのタイミングでうわーって売れまくったら、他の量販店だって追従せざるを得ない。「常識」は条件がそろえばたった1年で作れるってことだ。
「失点をなんとしてでも防ぎたい」という意識が、スーツだけでなく自己紹介文ともリンクしているのかもしれない。
ちなみにリクナビは96年から、マイナビは95年からネットの新卒求人のサービスを開始していて、利用者が拡大したのも00年代頭からみたいだ。
それは就職氷河期とインターネットの普及が同時期に起きたことで、大量の求人情報を収集する必要に迫られた求職者(新卒者)のニーズに合致している。みんなが同じ情報を参照する土壌ができたことも、画一的になった一因なのかもしれない。
自分が入社した08年の新卒(大卒)の有効求人倍率は2.14で、バブル崩壊後の最高値になっている。
自分の就活を思い返しても、リクナビにもマイナビにも登録してなくて、学校に来てた求人企業一覧を眺めて「めずらしく東京の会社があるからここにしよう(知り合いのいない土地に行こう)」と選んだ会社を学校推薦で受けたら内々定をもらったので入社した。入社したら配属は東京ではなかった。
結局1社だけしか受けてなくて、会社研究とかもしなかったし、OB訪問とか会社訪問とかも全然してなかった。周りはちゃんとやってたと思うけど、その頃は友達もほとんどいなかったし、先輩との付き合いとかもなくて、社交性が死んでたからどうやればいいのかよく分かってなかった。
ただ「就活……就活やらなきゃ……」と漠然とした焦りがあったけど、やり方も分からないし意欲も出なくて、やばいやばい……と思ってとにかく受けたら受かったのでほっとした、というのを覚えている。
それで、(こんなのを就活と呼んだらちゃんとやってた人たちに顔向けできない……)みたいな気持ちを持っていたのを覚えている。今から考えるとほんとはそれくらい適当で許されて、嫌になったら辞めて他のところを受けて、労働市場の流動性が高いし再チャレンジがちゃんと機能するのが普通なんだろう。偶然生まれた年がちょっと違っただけで「はい、塗炭の苦しみですよ」なんて不条理だ。自分が就職できたのは生まれ年の運でしかない。
現実にはちゃんと就活をやらなくても就職できていて、でも「就活は大変だ」「ちゃんとやらなきゃ」みたいなイメージや焦りだけ漠然と持っていたのは、就職氷河期の時代に形成されたスタイルが、氷河期が終わった後も文化としては残存していたってことなんだろう。(残存させると得になる人達が残存させていた、とも言えるのかもしれない。)
現実には売り手市場なはずなのに、心理的にも構造的にも買い手市場みたいになってた。買い手市場の時代に確立された「数撃ちゃ当たるでとにかくたくさん受けて落ちるのは当たり前」という就活スタイルは、本当は売り手市場になっているのに、みんなが同じ情報を参照してみんなが同じ企業を受けるせいで(一部の人気企業を)買い手市場のようにしてしまう。学生側からは買い手市場に見えてしまうのだから、学生側の心理も「失点したくない(だけど他人より優秀に見られたい)」となるし、その心理に基づいた「就活マナー」も生き長らえる。
2008年の自己紹介文を見ると、単に「頑張ります」だけじゃなくて「様々なことにチャレンジしてみたいです」「何事にも積極的に取り組みたいと思います」といった内容に変化している。「何事も」「何事にも」という単語がすごく多いなと思って、数えてみたら184人中34人が使っていて約2割、「色々なことに」とか「仕事もプライベートも」とかは除外しているのでそれも含めたらかなりの割合の人が「私は何事にも積極的な人間である」というアピールをしている。
「失点したくないから奇抜なことはできないけど、やる気があると思われなきゃいけない」という心情が醸成されてきた結果なのかもしれない。これは当事者だった自分の記憶とも合致している。
ちなみにさらに10年後の2018年を見ると「何事」使用者は53人中3人で5%くらいになってかなり減っていて、むしろ「自分はこういうことをやりたい」とか「自分のこういう経験を活かしたい」とか内容が具体化したことでバラエティが出ている。
アバウトな頑張りアピール時代→全範囲積極性アピール時代→具体的な専門性でアピール時代、と「頑張る」姿勢の見せ方が、より説得力を持たせる方向に進化しているみたいだ。個々人が、じゃなくて集団の意識が進化している。
この自己紹介文は、入社する前に自宅にいろんな資料や書類と一緒に用紙が送られてきて「書いて返送してください」となっていて、自分は何を書いていいのかよく分からずにちょっと変なことを書いてしまって(古典・国文学を引用するとかいう変なイキり方をした……)今見ても恥ずかしい。もしかしたらみんなミクシィのグループでどんなこと書くのかも相談してたんだろうか。それともそんなの相談しなくても、みんなが内在化させてた「就活生の常識」から自動的に出力されてたんだろうか。
※内定式に行ったら、みんな初対面のはずなのに既に仲良くなってて、実はミクシィのグループで繋がってたらしいと後から知った。ちょうどその頃はミクシィが全盛期だったけど自分ははてなダイアリーとかやってたから。懇談会でその輪に入るだけの勇気も社交性もなかったので、二次会とかあったらしいけどすぐ岐阜に帰った。入社後は独身寮に入って交流のある環境が用意されたおかげで社交性を回復することができた。リハビリって感じだった。
10年代半ばあたりになると、外国出身の新入社員も少しずつ増えている。それで服装も多様性が増しているかというと全くそうはなっていなくて、外国出身者もみんな黒スーツ白シャツを着ている。自己紹介文もみんな「頑張ります」になっている。かえって外国出身者の方が過剰に適応しているんじゃないかとさえ思える。(関係ないけど、モンゴル出身力士の方が日本の良くない体育会系の側面を受け継いでしまっているように見えるのも過剰適応なんじゃないか、みたいなことちょっと思い出す。)「よそもの」が「村」の一員になるには、もともとの「村人」以上に村人らしくしなければならない。
会社がそういう人しか取ってないっていう面もあるのかもしれないし、会社が採用できるくらい「常識」に適応した外国出身の新卒者が出てきている、とも言えるのかもしれない。
ところでスーツが完全に黒で定着した一方で(?)男性の髪型がおしゃれになってきている。自分が入社した08年の頃やそれ以前は、(ああ、技術系の企業だからなあ)と思うような無頓着な髪型の人が多かったのが、前髪がちゃんと処理されている人が増えている。服装面では完全に「就活スタイル」が定着したので、今度はさらに細部に入って髪型も「就活スタイル」の浸透が始まったのだろうか。
リクルートスーツやマナーも含めたこの「就活スタイル」は、
- 就職氷河期(=新卒一括採用+不景気)の到来
- インターネットの普及
が重なったことで一気に浸透して、でもこの条件が一部解除されても、一旦浸透してしまうと今度はそれが所与の条件として働くせいで、消えるよりむしろ強化されていく方に働いている、みたいな話なのかなとぼんやり想像している。所詮は「古い製造業の大企業」1社っていう狭い観測範囲だから、外側は結構違うのかもしれないけど、かえって範囲を絞って定点観測した方があらわになることもあるのかも。
マナーや文化が形成されるのは一瞬だけど、消えるには時間がかかる、むしろ定着していく方向に働く、そういう非対称性があるのかなと思って。
今まで社内報の新入社員紹介コーナーなんて、関係ある人か、変わった名字や名前の人くらいしか見てなかったけど、こういう視点を持ってしまうと今度からじっくり見てしまう。