やしお

ふつうの会社員の日記です。

利用者を損得で分離させないという王道

 夫がクレジットカードで知らぬ間にリボ払いにしていて100万円くらいの負債ができていた、という話をツイッターお漫画で見かけた。「リボ払いは悪の発明」って認識はみんなそう思うけど、それとは裏腹に、年会費無料な上ポイントで実質的に割引で買い物ができるのは、リボ払いやキャッシングで高い金利を払ってくれてる人達のおかげなんだよな、と思うとすごく暗い気持ちになる。
 不平等な仕組みを作って社会を幸せにしない方法で会社が儲けているだけでもあれだけど、それに一部の客が加担する側に回されて、共犯者にされる、みたいな構図がね、つらいなと思って。


 もともとリボ払い自体がちょっとフールペナルティ的な要素があるけれど、その上、その旦那さんは「カードを発行する際にキャッシュバックキャンペーンで最初に自動リボ払いの設定をしていて、解除するのを忘れていた」という話で、もう完全にフールペナルティそのものだ。
 携帯電話でも契約時にたくさんオプションサービスを契約させて「1ヶ月以内に解約すれば利用料は発生しませんから」って言って、解約し忘れたり、解約のし方が分からなかったりする人にそのまま毎月利用料を自動的に引き落としていく。無料でお試ししてもらうことでサービスを気に入ってくれる人が出てくる機会を作ってるだけだ、という建前はあるんだろうけど、無料期間が終わる前に「利用料が発生しますよ」「解約はここからできますよ」と自動で案内しないのならそれは建前でしかなかったねってことになる。
 大手の通信会社だと機種変更が割安になっていて、それは逆に機種変更しない人たちは過剰な料金を払ってる、といった不平等もあるし。
 不動産屋が賃貸の退去時に過剰なクリーニング費用を請求して、借り主が「国交省の原状回復ガイドラインに準じてない」と指摘するとあっさり引っ込めるとか、レンタルビデオ屋の延滞料が高く設定されているとか(「返してくれないと次の人に貸せない」って機会損失の分も含めての請求だとは思うけど)、「知らなかった」「忘れた」「よく分からない」といった客のミスや無知からしっかりお金を取り立てるような仕組みは色んなところに仕掛けられている。


 もっとマイルドな形で、会員ポイントとか割引クーポンとか期間限定割引とかもちょっと近いところがある。「利用した人」と「利用しなかった人」で損得を分離させる。利用した人が得をしたという見方はその裏腹に、「スマホの使い方がよく分からなくて会員登録できない人」「クーポンを持ってくるのを忘れた/あるのを知らなかった人」「その時期にお店に行けなかった人」といった「たまたま利用できない人」に損をさせているという意味を含んでいる。家電量販店の割引交渉みたいなのも似たような理由でちょっと嫌だ。得たサービスは同量なのに、利用者の能力などで損得が分かれる。
 会社にとって有利な方向に客を誘導する、そんなのは資本主義社会なら当たり前だっていう。でも、そのためなら「しなかった」という理由で損する客が出ても構わない、という姿勢が、それってこの世界のためになるのか? そんなことを私達は本当に望んでいるのか? みたいな気持ちになってくる。「できない」人は自己責任だから損させたっていいでしょ、という世界をお前は望むのか? と言われると、そんなのは嫌だ、と言いたくなる。


 この意味で、やっぱりサイゼリヤのことが大好きなんだ。サイゼリヤは会員制度もないし、クーポンもないし、期間限定の割引もない。ずっとない。誰かが得しない代わりに、誰も損しない。客を徹底的に平等に扱ってくれる。そういう嬉しさがある。あらゆる面で合理化を図ってメニューを全般的に安価に抑えれば客は選んでくれるはずだ、それをやるんだ、って姿勢が好き。
 食器の種類を増やさないために他のファミレスみたいな和食メニューは入れないとか、通路の幅を標準化してモップと対応させることで清掃時間を短縮するとか、現金支払いに特化するとか、メニュー構成や店作りや教育や流通・調達、色んな面で考えられるだけ考えて合理化していく。それで値段を正当に抑える。クーポンや割引キャンペーンで客寄せするんじゃなくて、そうした王道の合理化で客を満足させることが本来の目的なんだ、みたいな姿勢が好きなんだ。信者なんだろうか。わからない。味のこともよくわからない。


 あとサイゼリヤってキッズメニューにある間違い探しが難しいってよく言われるけど、ただ「メニューのタイトルが実は違う」とか、そういうメタ的な部分に違いがありました、みたいな引っかけはない。(追記:これは嘘。メニュータイトルが間違いだったことも結構あった。ここ2年で9回中2回がタイトル部の違いだった。サイゼを信じたい気持ちが私の目をくらませた。)10個ぜんぶ見つけてみると、確かにはっきり違っていて、「ずっと視界に入ってたのに何で気付かなかったんだろ」って思うような「ふつうの間違い」しか盛り込まれていない。たぶん子供でも大人でも難易度はあまり変わらなくて、それでいてちゃんと難しくできている、ズルせずに作り込んである。子供も大人も平等に扱ってくれる感じ。
 ちなみにキッズメニューの表紙絵(間違い探しの絵)とグランドメニューの表紙絵って、画風は全く異なるけど、出てる人物や背景、場面は結構リンクしてて、同じ登場人物になっていたりする。そういう作り込みもどういうこだわりなのか知らないけど、キッズメニューだけどちゃんとサイゼリヤのメニューだよ、みたいな統一感なんだろうか。



 グランド/キッズの両メニューとも表紙にちょっとしたポエムが載っていて、これがまたイキり過ぎてもいないし、おしゃれを狙っているというほどでもなく、かといって詩として優れているとは全く思えない、というちょうどいい出来栄えになっている。もし地球最後の日にこれを見たら泣く、と思ったけど、地球最後の日はたいがい何見ても(全てが美しい……)とか泣くに決まってるんだから、何も言っていないのと同じだなとも思う。


 もうだんだんサイゼリヤをただ肯定するために肯定しているみたいな、肯定の自己目的化が進んできている気がするけれど、「好きになる」ってそういうことだからしょうがないね。「いいな」と思うから興味が湧いてよく観察したり調べたりするようになって、それでさらに好きなポイントを知ることになってますます好きになるというサイクルが「好きになる」ってことだから。気持ち悪いんだよ。


 でも企業のブランドイメージってそういうものなんだろうなと思う。「誰かに不利益をもたらすことで稼いだりしてない」って安心感はすごく大きい。
 クレジットカードのポイントとか飲食店のクーポンは「あなたにとってお得ですよ」だけど、それとは裏腹に「誰か他の客を損させますよ」って話だし、「あなたはちゃんとお得になるように行動しないと損させますよ」って言われてるみたいでつらい。自己決定権を踏みにじられるような、判断力や注意力を浪費させられるような息苦しさがある。その「お得」をゲットできなかった時の「自分は損をした」って感じさせられるのもしんどい。
 「ズルしてない」「客の全員を平等に扱ってくれる」って信じさせてくれる心地よさ。そこをちゃんとベースにした上で「社会の幸福と、金銭的な利益とを両立させるにはどうするか?」を真剣に考えて実行してそう(実態はわからないとしても)、って信頼感がブランドイメージにはすごく重要なんだろうな、みたいなことを、リボ払いの話を見たときにちょっと思った。