やしお

ふつうの会社員の日記です。

「みんなが成長したいわけじゃない」の捉え方

 ここ最近のツイートや記事で「社員のみんなが成長したいと思ってるわけじゃないから、そこの配慮が必要だ」っていう話をちらほら目にして、一方で「いや成長したいと思う気持ちは自然なものじゃないか?」といったコメントも見かけて、意見が対立している。この話って、マズロー欲求段階説を前提に考えると「どっちかが正しい」という話ではなくて「どっちも正しい」話で、矛盾なく理解できそう、とふと思った。


 マズロー欲求段階説自己実現理論とか欲求のヒエラルキーとも呼ばれる)は、人間の欲求が5段階で構成されていて、低次の欲求が満たされると今度は高次の欲求を求めるようになる、という説。低次の方から順に以下のようになっている。

  1. 生理的欲求:食事、排泄、睡眠などへの欲求
  2. 安全欲求:身の安全や経済的な安定性への欲求
  3. 社会的欲求:自分が社会に必要とされていて、社会の役に立っているという感覚。他者に受け入れられている、何かに所属しているという感覚(愛と所属)への欲求
  4. 承認欲求:低次と高次がある。低次は他者からの評価(尊敬、地位や名声)への欲求。高次は自分自身からの評価(自己尊重感、技術・能力の習得、自立性)への欲求。
  5. 自己実現欲求:「あるべき自分」「なるべき自分」になろうとする欲求


 「成長したい」という気持ちは、4段階目の承認欲求のうち高次にあたる「自分自身からの評価に対する欲求」か、5段階目の「自己実現の欲求」にあたるのだろうか。そう考えると「みんながみんな成長したい訳じゃない」という話も、1~4段階が全部クリアできていない、達成する順番がちぐはぐになっているのかもしれない、と捉えられそう。
 残業だらけで睡眠を削ったりするような職場じゃないとか、しっかりした給料が貰えている、だけではまだ足りなくて、職場(グループや課)が自分の居場所だと思える、周りからも認められていて「自分すげえ」という実感がある、ある程度決裁権・自己決定権があってやりたいようにできる、ぐらいまで達成できていて、ようやく「もっと自分を成長させたい」という気持ちが自然に湧いてくるってことだと考えると、なかなか実現は大変そう。そこまで達成されないと内発的に「成長したい」って気にはならないっていうのは、自分自身の実感としても違和感が少ない。そのレベルまでチームのメンバーや社員が感じられる環境を提供できるか? と考えると結構むずかしい。
 スキルを身に着けたい、最新技術にキャッチアップしたいという気持ちが、4(高次)~5段階に基づくものではなくて、もっといい収入を得たい(2段階)、周りからバカだと思われたくない、すごいと思われたい(4段階低次)に基づくものだとしたら、それは自発的な「成長したい」という欲求ではないので、「同じような環境なのに、成長したい人とそうでない人がいる」が出現してくる。2、3段階の欲求に対する手段としては必ずしもスキルアップなどでなくてもいいから、人によっては「成長しよう」にはならない。


 マズロー欲求段階説を補助線として引いてみると、「同じ職場なのに成長したいと思う人と思わない人がいる」っていうのもよく分かるし、でも「自分のできることが増えて成長してるって実感はみんな嬉しくないの?」っていう言い分もよく分かる、両方分かるっていうのを矛盾なく理解できそうだとふと思ったのだった。


 あとこの5段階って、どの程度ブラック企業ホワイト企業かのチェック項目にもなってる気がする。はちゃめちゃに残業が多くて睡眠を削らざるを得ない、拘束時間が長くて食事休憩・トイレ休憩を取る時間もままならない(1段階)といった仕事が一番ブラックで、給料が安くてちゃんと生活できない(2段階)がその次にブラック、安心して職場にいられない(3段階)がブラックとホワイトの境目くらいで、3段階目までの欲求を社員にちゃんと満たせていればそれなりにホワイト企業、みたいな感じだろうか。
 アジャイル開発の提唱者の一人であるジェフ・サザーランドは、著書の『スクラム』の中で、仕事の質とスピードを阻害する要因を徹底的に排除してムリ・ムラ・ムダのない仕事の在り方を追求しているけれど、それはメンバーを4の高次~5段階目まで引き上げることを含意しているんじゃないかと思っている。


 それから「やりがい搾取」という言葉があって、給料が安かったり長時間労働だったりするのに、それをバイトや社員の「やりがい」で覆い隠して働かせるって手口がある。最近だとアニメーターが働きに見合わない対価で仕事をしていて、でも「アニメを作りたい」という夢を人質にして働かせているという話があった。
 5段階説は、ちゃんと1から順番に満たされると次の欲求が立ち上がってくるという話だったから、矛盾しているようにも思える。1や2が達成できていない状態なのに、働いている人たちは4あたりを求めているように見えるから、5段階説は成立していないように見える。
 これは、上位の3~5段階が達成できているように見せかけることで、実は下位の1~2段階がちゃんと達成できていなくても、あたかも下位の欲求が満たされているような錯覚を覚えさせる、みたいな機序なんじゃないかと解釈している。欲求が5段階の順に出てくるとして、先に上位の欲求を外側から強制的に満たしてしまうと、「もう上が満足されているから、下も満足されているはずだ」と錯覚して、下位の欲求が内側から十分に発現されなくなってくる。人間のバグを利用しているような感じ。
 ゲーミフィケーションもちょっとそれに近い感じかもしれない。ゲームが人を楽しくさせてハマらせる仕組みを上手く応用して、ゲーム以外の色んな分野(仕事も含まれる)で成果を上げようって話だけど、これも一歩間違えば(というか悪用すれば)「やりがい搾取」と同じことになるんだろう。


 別に5段階説に拘泥する必要はないと思うけれど、そんな風に解釈すれば「成長したい人ばかりじゃない」って話も、ブラック企業からホワイト企業に至るレベル感のことも、「やりがい搾取」みたいな現象も、そんなに違和感なく統一的に理解できそうな気がしている。