やしお

ふつうの会社員の日記です。

広瀬和生『21世紀落語史』

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客を笑わそうとするのではなく、つい笑ってしまうようでないといけない、何気ない会話の中で二人の関係性が浮かび上がってこないといけない、と考える柳家小三治が、08年に「千早ふる」を演りながら二人の会話を聞いて「この噺はこんな噺なのか、面白いなあ」と感じた、という話がすごい境地だ。小説家が書きながら「自分が書くのではなく作中人物が勝手に意思を持って動く」と感じるのに近いのかもしれない。小三治が弟子の三三に「大きな声を出せ」→「落語らしく演れ」→「人間として人間を語れ」と教えて三三もそれに答えたという話もすごい。


 落語には名人芸を見せる「作品派」と大衆を笑わせる「ポンチ絵派」がある。(ただし作品派は単純に伝統の継承に留まらず、両者とも現代を取り入れる。)
 立川談志は「ポンチ絵派」に落語の本質を見出して進んだが、その一方に「作品派」を追求する古今亭志ん朝という「落語の上手さ」を実証的に提示する落語家がいたから可能な選択だった。
 その志ん朝が2001年に死ぬと、談志は「志ん朝の分も頑張るか」と発言し、実際にそれ以降、作品派とポンチ絵派の両者を同時に実現するような実践を続けていくが、10年後、2011年に談志も死ぬ。ここで「昭和の名人」との連続性が一旦切れて、そこからの10年間で新しい局面に入っている。
 というのが大雑把な21世紀に入ってからの20年間の構造として提示されている。